最近の東京新聞の記事より、外国人労働者問題に関する記事をピックアップしました。少し長くなりますが、最後までお読みくださると嬉しいです。
2018年11月18日付朝刊 「時代を読む」より
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「外国人労働者問題」 内山 節(たかし)氏(哲学者)
すべてのことには、それを実現するために必要な時間量があると思っている。たとえば米を作ろうと思えば、種籾(たねもみ)をまいてから収穫するまでにおよそ半年の時間が必要である。品種改良によって多少短縮することはできても、ひと月で米を収穫することはできない。子どもが大人になるためにも、地域社会が生まれるためにも、必要な時間量がある。だから何かをはじめようとするときには、必要な時間量を保証する覚悟をもたなくてはならない。
ところが、今日の社会では、必要な時間を大事にするという精神がなくなってきた。インターネットを使えば、瞬時に情報が飛び交っていく。グローバル化した社会では、たえず競争のための改革をしつづけなければならなくなった。こうして、いつの間にか、必要な時間量という発想をもたない時代が生まれてしまった。
だがそういう社会になっても、自然や人間は、変化を受け入れていくのに必要な時間量があることに変わりはない。それを無視すれば、自然も人間もストレスにさらされ、最終的には自然や社会の荒廃につながっていく。今日の政治や経済の問題点のひとつは、このことにある。憲法を改正するのなら、国民の合意が高まっていくために必要な時間量を保証する意志をもたなければならない。
現在議論されはじめた外国人労働者の導入問題でも、同じことが指摘できる。外国人労働者を日本に大量に入れるのなら、たえず外国人が働きにきて、その何割かは定住する社会へと日本を変える覚悟が必要だ。そのためには、外国から来た人たちとともに働き、ともに暮らす社会へと日本を変えていく時間量が保証されなければならない。人手が足りないから安い労働力として入れるというだけでは、来た人たちにも日本の社会にも、ストレスばかりが高まってしまうだろう。
現在の日本の政権は、次々に「〇〇改革」という旗を掲げて、頑張っている政権を演出しているかのようだ。だが改革に必要な時間量、自然や人間、社会が、変化に対応するのに必要な時間を保証しない改革はうまくいかないし、強行すれば問題点の方が多くなってしまう。単に「改革」のスピードを競うようなやり方は「善」ではないのである。
ヨーロッパの多くの国は、1960年代以降にたくさんの外国人労働者を入れた。私が幾度か足を運んだフランスでは、人口の10%くらいがそういう人々になっている。この外国人労働者を待ち受けていたのは、低賃金、劣悪な労働環境、差別的な社会だった。帰国しようと思っても、次第にそれも困難になっていった。なぜなら、仮に10年間働きにきていたとすれば、10年間分、母国での仕事や暮らしの基礎を失っているのである。つまり母国では根無し草なのであり、帰国すればもっと基礎のない人間になってしまう。
外国人労働者たちは、集団をつくって助け合うしかなかった。そうやって生まれた集団を、多くのフランスの人たちは、犯罪やテロの温床のようにみなし、社会の対立が激化していった。それは、人手不足を補うことしか考えなかった政策の失敗だった。外国人が働きにくる社会をつくるのなら、そういう社会へと自分たちの社会を変える決意と、そのために必要な時間量を保証しなければならなかったのである。
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2018年11月22日付朝刊 「本音のコラム」より
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「包摂力を欠く社会」 河村 小百合(日本総研 上席主任研究員)
昨年2月、参議院の国民生活・経済に関する調査会に私含め3人の参考人が呼ばれ、三様のテーマが与えられた。その一人、森口千晶一橋大学教授のテーマは「日本は『格差社会』になったのか」。女性の経済学者はまだ少数派。鋭い指摘に心を刺される思いがした。
日本が戦後育んだ平等主義は世帯単位。世帯主の男性正社員に政府が安定的な雇用を配って平等を実現。同質性や均質性が強調される社会だった。1990年代以降、未婚や離婚が増加し、同居は減少。家族は多様化し高齢単身世帯も急増。平等主義の前提だった世帯は崩れた。バブルと均等法施行の頃、正社員の中に女性を入れたと思ったら出ていってもらった。不良債権問題後は正社員の適用範囲をもっと縮小し若年男性を門前払いした。その後は中高年男性の一部も外へ。終身雇用制度の適用範囲を縮小しインサイダーは守られたが、外に出された人々の膨張が日本の格差社会の現状と同教授は述べた。
外国人受け入れ拡大の法案審議が今、急ごしらえで進む。生活環境の整備や社会との調和といった大事な議論は後回し。35万人の“上限”を超えたら受け入れお断りのご都合主義には既視感がある。そもそも、人手不足を招いた少子化は何が原因だったのか。時代の変化に応じた包摂力を持たない社会には活力も成長も生まれない。
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2018年11月27日付朝刊 「本音のコラム」より
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「外国『人材』を獲得せよ」 鎌田 慧(さとし)(ルポライター)
国会答弁で安倍首相が「日本人と同等以上」と言うのを聞いた。前にもそう明言していた。これから大幅に拡大しようとする外国人労働者の賃金を「日本人と同等以上」にするなら誰も反対しない。同一労働同一賃金。これも安倍首相の公約である。人権への配慮か。
しかし、どのように実現するのか、その方針も具体策もまったくない。口先だけの空手形。賃金を下方にむけて同一化するのなら、目くらまし政策というしかない。
労働力不足とかいわれているが、それは労働条件が悪く、賃金が低い職場のことであって、高給優遇すれば、人材は殺到する。ところが最近は熟練技能者以外の、未熟練単純労働者も「外国人材」に格上げされている。
これは戦後長らく、職業安定法で労働者供給業(いわゆる「人夫(にんぷ)出し」)が禁じられていたのを、1986年、専門的13業務に限って施行された労働者派遣法が「人材派遣業」などと体よくいったやりかただ。派遣労働を増やしたことが日本の雇用秩序を破壊した。「人材」の勘定は「資材代」にされていたりした。
単純労働者が「特定技能1号」の名目で大量に導入される。2012年~18年6月まで、虐待に耐えられず失踪した実習生は32,647人*。半数以上が時給500円。戦時中の徴用工の損害賠償問題も未解決なのにまたもや財界要求丸呑(の)み政治。
(* 縦書きに伴う実際の表記の「三万二千六百四十七人」を、ブログ管理人が算用数字に替えました。)
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(※いずれのコラムも、本文中のブロック分けと太字化は、ブログ管理人によります。)
政財界の権力者は一体となって、自分達の“食い物”の対象を変えてきただけ。使い捨てとしての日本人労働者が底を尽きたからといって、次は外国の労働者を、しかもその弱みにつけ込んだ形で利用しようとしている…私にはそうとしか見受けられません。その結果、社会が、国力が将来どうなろうと、“自分達の今”が凌げればそれでよし…なのでしょうか。人道にもとる、本当にえげつない人達がこの国を牛耳っているのですね。そして、それを許している大勢の国民がいる……。
そもそも、人の労働力は「人財」だったのではないでしょうか? それがいつの間にか「人材」となって久しいですね。労働者は材料ではありませんよ、社会の財宝です。年々膨れ上がる軍事費を、社会の宝に少しでも回せばよいのでは? そういう単純なことではない?(^^;
最後までお読みくださり、誠にありがとうございましたm(__)m
関係ないつぶやき:あちこち出かけ過ぎ&記録したいことが多過ぎて、記事に編集するのが追いつかない……(^^;