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82歳からの旅

私の記録

私の今日の一日

2013年11月13日 18時53分30秒 | 生活
             11月13日 水曜日    
 今日は朝起きてから新聞を読んで,畑の野菜を植える床を作った。一昨年は体調が悪くてほとんど、畑の仕事はしなかった。コスモスを植えて秋の満開を,願ったが、夏の暑さと日照りで半分は枯れた。それでも近所の人は,お宅の畑はコスモスが「綺麗だね!!」とお世辞を言ってくれました。
 
 今その跡を毎朝少しずつ、耕しているのです。その跡に少しばかりのエンドウとソラマメを植えようと準備をしているのです。
 
 3時間ばかりでどうにか、種をまかれる様になったのです。その後に整骨院に行って,午後は友達と囲碁するのです。ところが友達は都合でこないようになり、バイオリンの稽古です。稽古と言っても「鋸の目立てのような」もので中々、上手くはなりません。

 体が固まってしまってから、やわらーかくリズムに合わせて歌を弾くのですから。中々リズムにはなりません。途中で「ごきごきと」まあ聞いてはおられんのです。-でも弾くご本人は,無我の境地で弾くのですから楽しさ100倍ですよ。

 こんな生活をしながら,今日の一日が風のごとく去っていきだんだん天国は近くなるのです。天国よもっと遠くで聞いたご覧なさい。バイオリンの曲も素晴らしいですよ,近い処から聞いては駄目です,遠くから聞く様には作曲してないんだから……誰も作曲してない曲だから
           




      

流行り唄五十年 ~ 唖蝉坊は歌う

2013年11月12日 20時43分33秒 | 読書

           11月13日 火曜日    

 流行り唄五十年 この本の作者は「演歌師 唖蝉坊 」の長男の添田知道氏・小説 教育者の作者からの依頼を受けて、音楽家の小沢昭一氏が解説した本です。
   此の本の中の一部を
  ストライキ節
         自由廃業で郭は出たが ソレカラナントショ
         行き場ないので屑拾い ウカレメノ ストライキ
           サリトハツライネテナコオッシャイマシタネ

         高利貸しでも金さえあれば コリャマタナントショ
         多額議員でデカイ面 アイドンノー ジスライキ
           サリトハツライネテナコトオッシャイマシタネ

         星をさされて千枚張りの コリャマタナントショ
         面も少しはショゲかえる シューワイノ シリワレテ
           サリトハツライネテナコトオッシャイマシタネ

         工事ごまかしお金を儲け コリャマタナントショ
         芸者ひかして膝枕 シューワイノ シリワレテ
           サリトハツライネテナコトオッシャイマシタネ

  これに類似した唄を 唖蝉坊は 流しで風刺していたのです。これらの唄を、唄を通して庶民の笑いと涙を誘い,明治・大正時代に芸能の原点を貫いていったのです。

  私は解説者の,小沢 昭一氏の解説を読み,解説者もそのようにいっているのではないかと思いました。この本の中には「小沢 昭一氏」が歌う 唖蝉坊 
    1 金金節  
    2 メドレー のんきな父さん(のんき節)     

      3 メドレー ラッパ節 ~ どんん節の C D も入っています。
       此の本を読むと,作者の心や解説者の心が良く伺えるような気が致  
        し ま す。  これは私の独断ですが……    
 


     


文豪 菊池 寛に学ぶ 

2013年11月11日 07時20分12秒 | 心に栄養を
          11月11日月曜日   
 今朝はだいぶん冷え込んで,肌寒い気持ちがします。こんな日はとても気持ちが良くて,身がが引き締まる思いがします。

 わたしは年間を通じて朝は肌着一枚で,新聞を取りに行き書斎で気の向く儘にしばらく過ごします。11月になった今も,そんな生活ですがそれが私の健康法です。

 さて私が以前に文豪「菊池 寛先生」の逸話に生きる菊池寛 1987年10月20日発行の(非売品)
の本の一部を紹介しましたので,又その中から………

  菊池寛 作 『父帰る』の初演を友達と一緒に観劇に行った時の感想を,友達の 江口 換(かんの手偏はさんずいです)さんは……字がパソコンで、出来なかったので……
 
 幕がおりてやがてパッと電灯がついた。隣にいた芥川を見ると芥川もハンケチでしきりに瞼を拭いている。久米の頬にも涙がとめどもなく流れている。小島政二郎も佐々木茂索も眼をまっかにしている。涙を拭いて立ち上がった私は,すぐ後ろに座っている菊池寛を振り返った。

 其の瞬間、思いがけないものをそこに見て、また,新しい感動が私を襲った。作者の菊池寛までが泣いているのだ。菊池寛はあぐらをかいたまま,しばらくはたとうとしない。とめどもなく溢れる涙は,彼の頬をすじになって流れている。だがそれをふこうともしない。
 
 そしてなおもじっとうつむき続けて、しきりにまぶたをしばたいた。涙はなかなかやまない。いつか眼鏡のガラスさえもぬらしてしまった。やがて彼は眼鏡をはずして手巾でふいて、その手巾で眼をふいた。だが、やっぱりだめだ。とうとうたもとからはな紙を出して何度も何度も涙と一しょに鼻水をぬぐった。

 「泣くまい泣くまいと思ってずい分我慢していたんだが、とうとう泣いちゃった」と言う小島政二郎のいささかてれたような声が廊下に出る戸口のへんから聞こえてきた。 
   
 その時 菊池寛の顔に、それまで一ども見たことのない悲痛な表情をはっきりと私は見た。そして,舞台で見ていた猿之助の兄と,今目の前で涙をふいている菊池寛とが、何故か全く同じ人間に見えてきた。

 「そうだ。あの賢一郎こそ菊池寛自身かもしれない」そう思った瞬間、またしても胸が一ぱいになって,新しい涙があふれてきた。その晩、菊池寛からうけた、その感動的な印象を,20年たった今日でも私はやはり忘れる事ができずにいる。

 此の感想から,文豪 菊池 寛先生の人柄が私の胸にも,迫ってくるような気がします。まだ他にも色々な人が,菊池寛について書いていますがはんめん泥臭い人間らしさも沢山書かれています。

 心の栄養には本当に,有り余る楽しくも可笑しくもある本でした。私の心は栄養たっぷりに………     
                







 

ブログに入れる写真で?四苦八苦して

2013年11月08日 17時21分09秒 | 日記

           11月8日 金曜日   
 ブログの中に写真を入れて、ブログの内容をより豊にしたい。その為にデジカメの撮影の設定を、学習しているのですがこれが上手く行かないのです。

 その訳はデジカメの説明書を見て、一つ一つをクリアして行くのですが?これが難関です。おわかり・・・・・・
これはブログをしている人に、聞かないと解らない。
  
 何故写真の画像の大きさを、変えなければいけないのか聞く私にも良く解らないのです。聞いた時にはその理屈は解るのですが、今度はそれを写真を撮る人に尋ねるのです。その人がブログをしている人、で有ればよいのですが?・・・・・・
 
 年老いて一人で周りに聞く人もいない中で、苦心奮闘しながら其の解決に向かって前へ前へ進むだけです。
写真が出来たら、今度はパソコンの中に写真を入れる?・・・これが又問題です・・・・・・??果たして進めるか?

 今日はこれくらいにしておこうよ? みいかん きいかん  酒の燗 ・・・…  子供の頃の囃子ことば でまだ続きが有るのですが、思い出しません?ので   
           



     

私のブログの読者の方に

2013年11月06日 10時34分31秒 | 日記
             11月6日水曜日  

 私がブログを始めてから、少しずつ私の世界が開けて来ました。今日は私のブログに、読者が居ることに気づきました。

 呑気で少し呆けて「パソコン呆け」と、名付けました。出てきた画面を無造作に、チエックして元に戻すことが出来なくて何時も困って居ます。

 今日はたまたま開いた画面に「私の読者の欄」が、あるではありませんか?。そこで私はその欄を一つずつ、クリックして見ました。

 其処には私の予想もしてない、内容の文が有るのです。今迄の私に中に無い事が、色々と出てくるのです。私はブログの虜にされて、しまいそうです。いやもう虜になって、しまったのかもしれません。

 私の頭の中の引き出しの一つに、「私の読者に欄」を設けて大事に育てる事にしようと思います。