郷土の歴史と古城巡り

播磨 岡城跡

岡城(一宮町須行名)


【閲覧数】3,698件(2010年11月16日~2019.10.31)

     
播磨 岡城おかじろ)


▼南から見た宮山と頂上



▼岡城のあった頂上周辺



▼頂上・中腹からの景色



宮山(みやま)の頂上に岡城跡は位置し、眼下に伊和神社を中心とした伊和の里とその南北を通る因幡街道を見下ろし、北東には染河内(そめごうち)谷筋が一望できる。南部には伊和三山のその先には長水山が見える。この岡城は、その長水山山頂の長水城の出城であったという。山頂より街道の人の動きがよくわかり、出城としては最適な場所に築かれていることがよくわかります。




岡城(おかじろ)跡

 岡城は、岡山城・宮山城とも呼ばれ、播磨国一宮伊和神社を眼下に望む宮山の山頂に築かれています。

 「播磨鏡」などの古記録によれば。七条赤松家の末流である赤松治部少輔教弘が、明徳3年(1392)ここに始めて城を築いたとされていますが、嘉吉の変(1441)の時に一旦落城したものと見られています。その後、天文年中(1532~54)に至り、岡城豊前守吉政が再びこの地に城を築いて居城としましたが、天正8年(1580)羽柴秀吉によって宇野氏の居城である長水城が攻め落とされた際に、岡城も落城したものと伝えられています。

 山頂部から三方の尾根にかけては、主郭跡と見られる石塁を備えた東西約12m・南北15mの平坦地を中心、それを取り巻く帯郭跡や階段上に連なる郭跡、防御のための堀跡などが残されており、昔日の姿を偲ぶことができます。また、山頂からの眺望はすばらしく、この城の軍事的な重要性をよく物語っています。

一宮町・一宮町教育委員会

城跡にある説明版より




関係古文書

【播磨鑑】

伊和須行名(スギヨナ)村
城主ハ赤松亦次郎蔵人元久 父ハ治郎太輔教弘七條家ノ末 嘉吉ノ乱ニ父子共ニ討死ス

【播陽古城記】

岡山城 宍粟郡
城主ハ赤松又次郎豊久ナリ 父ハ赤松治郎大輔満弘ナリ

【赤松家播備作城記】

 岡城 宍粟郡神戸ノ郷又号宮山城
安積伊勢守時治 持之 嘉吉ノ乱ノ時ニ赤松又ニ郎 父久守当城同八月落城也
国豊前守 天文年中再営メ 之為居城也 同豊後守 相続居城 永禄年中移干下土井ノ城也



■アクセス
 
岡城跡のある宮山(514m)は、しそう50名山の一つです。伊和神社・道の駅播磨いちのみや前を右折し、更に左折して200mほどで右折すると市民の森入り口に宮山への登山表示があります。登って行くと水源地前に数台の車を置くスペースがあります。ここからが山道になり、少し進み防御柵(フェンス)の門を開けて登ります。やや急な山道で、頂上近くは足元の悪いガレ場があるため転倒防止に登山杖(ステッキ)があればよいでしょう。約40分で登れました。


▼公園→神戸排水池→登山入口







【コメント】
●やすこさんより 2010年11月17日
染河内出身の母が、神戸、染河内一帯にあるオカジロ柿はここに由来する、と言っていました。

返信
●タケネット
そうなんです。オカジロガキの名は、岡城から付いた名で、地名のついた柿は珍しいとのこと。食べたことがあり、甘くておいしい柿です。その木は母樹で、接木にして増やすのですがうまくはいかないと聞いています。


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