郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

志戸坂峠(岡山・鳥取の県境)越えの道を歩く

2020-12-09 12:31:04 | 日記


 以前何気なく立ち寄った志戸坂(しとさか)公園で、この上には古くからの峠道があることを知り、またいつかは歩いてみたいと思っていました。それから数年後の2020年12月上旬、思い立ち峠越えにトライしました。




▲志戸坂峠の鳥瞰と峠越えの道イメージ   by Google Earth


▲マップ  国土交通省




▲明治31年の地図  (改修工事は明治19年)
※明治と現在の地図を比較すると道のカーブの違いがわかる。少し改変されたようだ。




▲鳥取藩の参勤交代のルートイメージ




 まず、出発点となる志戸坂公園の場所ですが、鳥取道を北上し、志戸坂トンネル手前で左に下り、一般道に降りる方法がありますが、初めての場合はうっかり通り過ぎる場合があるので、鳥取道の途中にある西粟倉で降り、ここから数分で坂根に至ります。志戸坂トンネル前の鳥取道の下を潜って、左に「この先行き止まり」の表示がある山手に入っていきます。





      ▲鳥取道の下を潜る      ▲中央に「この先行き止まり」とある




 
▲右が志戸坂公園 (この先は廃道になった志戸坂隧道がある。)▲志戸坂峠道の説明板




 公園に車を駐車し。ここからが峠道の登り口になる。峠まで1.1kmとあり、下りの距離が同じなら、2.2kmで、往復4.4kmとなる。
 峠越えして智頭町のどの辺まで歩けるのかは、成り行き次第と、公園の奥の階段を歩き始めた。





▲志戸坂公園  奥に階段がある




 
▲公園上部              ▲「左が峠道1050m、右が展望台100m」とある。




 
▲公園の上の右に100mすすむ     ▲展望台 今は木々が邪魔をして展望はよくない




 
▲牛馬も通っていた道で勾配がゆるく歩きやすい




 



 
                  ▲道の一部が崩落している



 



道沿いの石垣は明治19年に改修されたときのものと、積み方の違った新しいものもある。




 
▲石垣の崩れがあった



▲砦近くの広い空間




 
▲開削碑         

                          

 
▲峠の国境                            




 峠(標高581m)に到着。峠からの展望を期待していたがV字谷のようになっていることと、杉の木が生い茂っているので展望は無理。東の尾根のピークでも恐らく同じだろう。
 ここまで約30分。思ったより早く来られたので、そのまま智頭町の方へ降りていった。




▲木の階段を降りたところから振り返って見ると、左(東)側は岩場となっている。


岩の崩落がすすみ道をふさぎ、このような木の階段が置かれたのだろう。
下りかけて間もなく、休息所と説明板があった。



 
▲鳥取智頭町方面へ                       ▲休息所




▲休息所の近くの峠の説明板



 峠には、地蔵・六地蔵そして道標等がつきものだが、見かけなかったのなぜなのかなと思ったが、説明文に地蔵の台座(文化10年)が残っているとある。その他智頭往来の登り口に地蔵があることもわかった。
 下りの道は登りよりも穏やかで歩きやすい。
 


  
▲下りの道



 




 
▲きれいな谷水が流れていた           ▲途中にあった「歴史の道の説明板」(平成8年)汚れで字が読みにくいが、見所の説明が参考になる。




     
▲木の案内板             ▲土砂崩れがみられ、倒木が道をふさいでいた



    
                  ▲明治23年大日如来の像があったのだろうか



 
▲志戸坂トンネルの鳥取側  

           

▲案内板の絵図





 
▲新志戸坂トンネル前                  


 新志戸坂トンネル前まで来て、引き返すことにした。



『東作誌』に「坂根村より国境まで九町の間坂道にして険なり国境より因州智頭郡駒帰村まで十九町大雪の時牛馬不通」とあり、作州側が急であり、俗に三十三曲りといい、因幡側は六曲りといわれた。坂根より峠への道はつづら折れ
で困難をきわめ、往来旅人は難渋したという。
 ※1町は、109.1m





雑 感


 この峠越えの道は、山陰と山陽を結び、さらに畿内へと多くの人々が往来し、物や文化が行き通ったことを伝える自然遺産であることを、歩くことにより感じることができた。ただ、今回は峠越えのみだったので智頭町駒帰や山郷地区の集落の古道をいつかは歩いてみたいと思っている。