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ゑんぢんぶろぐ

のんきそうには見えますが頭の中は不安で一杯。あまり過大な期待と責任は負わせない方が互いにとって身の為です。いやマジで。

「ざ・めもりあるMemorandums」

2022年04月23日 23時22分21秒 | メモリアル
「由義神社」



通算1300年の歴史を持つ由緒正しき神社。
だが途中、何度も戦火に見舞われ…心機一転江戸時代に再建された。



祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。
家運隆昌、五穀豊穣、災害防除を祈願する。

…と↑の石板に書いてある。



「高松信重の墓」から真東に約100m。八尾市八尾木北の住宅街に在る。



妙に新しいと思ったら40年ほど前に改修されていた(これも石板に書いてある)。


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「ざ・めもりあるMemorandums」

2022年02月24日 21時27分44秒 | メモリアル
「大山咋神社(おおやまぐいじんじゃ)」



大和川の藤井寺市側、近鉄道明寺線のすぐ西の住宅街にヒッソリと在る。

御祭神は大山咋命(おおやまぐいのみこと)…山の地主神、農耕(治水)を司る神とされる。
江戸時代頃に滋賀の日吉大社の分霊を勧請し創健された、らしい。
明治の終わりに一度(真西に500m離れた)黒田神社に合祀されたが戦後、元の地に戻り現在に至る…と。

ふむ。妙に新しいと思ったらそう言う事ね。



奥にチラ見えするのがご本尊、背後にそびえるのが御神木かな?



大和川のすぐ脇に在る為かすぐ傍に「想定浸水深(カーブミラーの下)」が貼ってて草



…想定4.1mて…神社が完全に水没しちゃう…。


蛇足…「洪水関連図記号」

河川が氾濫した状態を示す。
その地域が洪水の影響を受ける可能性がある地域であることを示す。
©河川情報センター
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2022年02月22日 00時18分23秒 | メモリアル
「高松信重の墓」



高松信重は、室町時代「応仁の乱」の東軍総大将・細川勝元に仕えていた(人物の詳細不明)。
八尾市八尾木北4の八尾木北第一公園脇にひっそりと建つ(いや結構目立つけど)。



説明板にもあるように「瘧(おこり)の神」とする民間信仰があるらしく…つまり「熱病(瘧疾:ぎゃくしつ)」に霊験あらたか、と。
これもまた説明板によると、元々はここより南東に在ったらしいが…元の場所がこの説明通りならそこは「曙川北」ではない。
…数百メートルのズレが気になるが詳細は不明…。



これまた不思議な事に…記事の参考にネット上で様々な写真を見ているが…2015年から2018年の間に突然「仏像(?)」が現れている…。見た限りこちらも詳細は不明…。



…謎多すぎ。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2022年01月14日 15時13分22秒 | メモリアル
「はざみ山古墳」(「はさみ山」「挟山」とも)

 関連記事っ資料室(仮):百舌鳥古市古墳群



大阪府藤井寺市野中の「国道170号(大阪外環状)線」と「堺羽曳野線」の交差点に後円部を接する形で東北東に横たわる。
航空写真だとはっきり判る前方後円墳。


世界遺産・古市古墳群の1つ。国の史跡に指定される。


「堺羽曳野線」を挟んで南側には前後逆向きに「野中宮山古墳」が鎮座する。
 関連記事っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「野中神社」
※…(三枚目の航空写真の上端に見切れているのが「野中宮山古墳」)



外環に接する面以外は周濠に囲まれ、ギリギリまで駐車場や民家が建っている(藤井寺あるある)。


かつて内包されていた(であろう)「藤の森古墳」の横穴式石室は現在「アイセル修羅ホール」に移築されている。

↑おそらくココ(「後円部」と「前方部」の境目、小さな芝の平地と緑のフェンスが見える)が「藤の森古墳(跡地)」だと思うが…↑



外環の西側からも高架下を通して見える。


蛇足…土地の所有権を巡って民事訴訟が起こされた非常に稀有な「黒歴史」のある古墳←まさに蛇足
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年12月29日 23時51分37秒 | メモリアル
「春日神社」

※「大社」ではないw

奈良県橿原市八木町にある、古き善き街並みに溶け込んだ神社。



主祭神は
 ・天児屋根命(あめのこやねのみこと)…祝詞、言霊の神、出世の神様
 ・経津主命(ふつぬしのみこと)…勝ち運、交通、災難避けの神
 ・武甕槌命(たけみかづちのみこと)…武力、産業発展の神



JR桜井線(万葉まほろば線)「畝傍」駅から北東へ徒歩2分。



橿原市はウロウロするにはもってこい、様々な見所てんこ盛りな町です。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年12月05日 11時57分06秒 | メモリアル
「多聞地蔵」

JR「王寺」駅から隣の「三郷」駅まで「JR大和路線の北側を」徒歩で行こうとすると大和川を渡る道は一ヶ所だけ。
「王寺町」と「三郷町」を結ぶ橋「多聞橋」を通る事になる。
渡り切って左前方を見ると



小さな祠と看板が目に入る。それがここ「多聞地蔵」です。
お地蔵様は「かつての石造りの多聞橋」を基にして彫り出されたもので、1800年代の中頃に北西に3㎞ほどの信貴山・朝護孫子寺へ向かう参拝者の交通安全祈願の為に建てられたらしい。



短い道のりの安全を祈願して、振り返りつつも三郷へと足を進める。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年11月30日 19時25分18秒 | メモリアル
「八王子塚古墳(恵我長野北陵陪塚:えがのながののきたのみささぎばいつか)」



そもそも「恵我長野北陵」がめんどくさい名前で…

「市野山古墳(いちのやまこふん)」…允恭天皇(いんぎょうてんのう)恵我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

…要は「允恭天皇陵」…の、培塚。…大丈夫、書いてるオレもよく分かってないから←

「百舌鳥古市古墳群」ではあるが「世界遺産」には含まれない、とか…「八王子塚」の名の由来が不明だったりとか、「そもそも古墳ではない」説があるとか…宮内庁が治定し石碑も建っているにも拘らず「謎」が多い。

 一応関連記事っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」

近鉄南大阪線「土師ノ里」から北へ徒歩7~8分てトコ。
某ドラッグストアの横の空き地?がソレ。

最初は「石碑」の背中側からしか見られない、と思ってた。



住宅街の小さな駐車場越しに何枚か。
表通りをウロウロしていると、ドラッグストアの脇に「小道」発見w



ヒョロヒョロと奥、そして左に伸びる小道は古墳メンテナンス用かな?



トップ画像もこの小道から撮影。



表通り(ドラッグストア)側が高く、坂の下にある住宅街は数m低い。
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年11月22日 14時15分26秒 | メモリアル
「古室山古墳(こむろやまこふん)」

 関連記事っ資料室(仮):百舌鳥古市古墳群




近鉄南大阪線「土師ノ里」駅から北西へ徒歩15分ほど。駅方向からだと「仲津山古墳(仲姫命陵)」の陰に隠れて全く見えない。

「古市古墳群」では中規模の前方後円墳。長さは約150m。高さは40m位。
国の史跡として指定され、「百舌鳥古市古墳群」にも登録された。
被葬者など詳細は不明。各種埴輪が出土し、葺石も見られる。

立ち入り可能な、起伏の有る広くて樹木の多い公園。


春先には梅や桜が咲き誇る。




上まで登る。
柵も手すりも無い単なる小山なので、ちょっと怖い。







写り込む高架は「西名阪自動車道」。周辺の古墳群を縫うように走る。

この辺りは古墳の密集地帯。「赤面山古墳」「大鳥塚古墳」「仲津山古墳(仲姫命陵)」「鍋塚古墳」「三ツ塚古墳」「松川塚古墳」などなど。

近隣の古墳との位置関係については下の画像群を。





↑左の高架下が「赤面山古墳」、右の公園が「古室山古墳」↑


↑奥の山が「仲津山古墳」、手前の公園が「古室山古墳」↑
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年11月14日 22時35分17秒 | メモリアル
「陵東(みささぎひがし)遺跡」



「古墳」ではなく「遺跡」は(ゑんぶろ的に)ちょっとレア。
「雄略天皇陵(島泉平塚古墳・高鷲平塚古墳)」の「拝所」の真向かい。
トップ画像はその「拝所」への通り道から撮ったモノ。



道路敷設(拡幅?)のために試掘したら埴輪やら土器やらが出てきたとかで去年から掘り返して調査しているらしい(以前訪れた際に全く気付かなかったのは何故なんだぜ)。



なお今年頭辺りまでは資料や埴輪の現物も展示されていたらしい。
ついでに言えばその頃掘り返していたのはもう少し北側(色々出土したのもそちらから)。



近鉄南大阪線「藤井寺」駅から北西に1㎞弱。「藤井寺市」と「羽曳野市」の境に位置する。
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「ざ・めもりあるMemorandums」…リンク追加(20220903)

2021年10月02日 23時29分57秒 | メモリアル
「東馬塚古墳(ひがしうまづかこふん)」

羽曳野市誉田のテニスコートの横に在る20m四方ほどの方墳で「応神天皇陵陪冢」とされる(すぐ横の「二ツ塚古墳」の陪冢とする説もある)。
※「二ツ塚古墳」
…↓の画像で左手のクリーム色の壁の家の背後にある森みたいなのがソレ。勝手に「応神天皇陵」だと思ってたがこの位置からは見えない。



 っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「二ツ塚古墳」(20220903)

「世界遺産」に登録されている「百舌鳥古市古墳群」の中でおそらく最も小さい古墳。
調査があまりされていないようで詳細は不明。

 関連記事①っ資料室(仮):百舌鳥古市古墳群
 関連記事②っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「應神(応神)天皇陵」



近鉄南大阪線「古市」駅と「道明寺」駅のちょうど真ん中辺り、徒歩20分位の所。
とにかく直接撮影できるポイントが皆無に等しく…下の三枚は様々な所からアレしたモノである←ヒトとして最低(超々小声)


↑コレが一番わかりやすいかも(どこから撮ったんだ?)↑



↑テニスコートの中から撮ったモノ↑


石碑が建ってなかったら絶対に気付かない自信がある(建っていてさえ以下略
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年09月26日 23時48分15秒 | メモリアル
「盾塚古墳公園」

「百舌鳥古市古墳群」の一つ、だが「世界文化遺産」には含まれない(wikiでは「百舌鳥古市古墳群」からもハブられているようだが)。
 関連記事っ資料室(仮):百舌鳥古市古墳群



「応神天皇陵」の倍塚だったとされるが、背景に写り込んでいる道明寺住宅を建設する際に削られていったんは消滅。
 関連記事っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「応神天皇陵」


建築後に改めて公園として復元された…という珍品。だからまだ出来てから10年ほどしか経っていない。
なお住宅住民への配慮の為か高さは圧縮された、とか(高くすると部屋の中が覗けるから?)。



全長は70m程、前方後円墳をもっと極端にデフォルメしたような「帆立貝形古墳」と呼ばれる形状をしていた。

↑グーグルアースだとただの「◯」…ん?うっすら「前方」部分が見えるな←↑


知らなければ単なる公園にしか見えない。


なお住宅よりも更に後ろに写り込んでいる高架は「西名阪」で写真の右側(地図上だと北西)へ300mほどの所には「赤面山古墳」がある。
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年08月07日 23時18分52秒 | メモリアル
「旧跡 目いぼの渡し」(正式名称:「小曽根の渡し」)


大阪と兵庫の府県境をまたぐ神崎川。その兵庫側の河原、「阪急宝塚本線」と「大阪メトロ御堂筋線」のちょうど真ん中辺りに在る。


明治43年にその「阪急宝塚線」(当時は「箕面有馬電気軌道」)が開通した事で役目を終え、衰退していったとか。
まぁでもまだ大阪市内には「渡し」が現役で残っているようですし…。


余談だがこの土手の上の道路、狭い割にやたら交通量が多くまたヤケにカッ飛ばす車も有るので訪問の際はご注意を。




石碑を念入りに撮影w
「(前略)船頭の右目の上に、大きないぼがあったので、誰もが『目いぼの渡し』と呼んでいた」とある。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年07月03日 00時16分29秒 | メモリアル
「開化天皇 春日率川坂上陵(かいかてんのう かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)」
 別名:「念仏寺山古墳」



「近鉄奈良」駅と「JR奈良」駅のちょうど中間くらいに位置し、どちらからも徒歩5、6分。
全長およそ100mで、航空写真で見るとホンの少し斜めに傾いている(表現)。



国道369号線を移動すると、南側の住宅街の合間合間にチラ見えする。



「開化天皇」は紀元前150年から100年辺りの在位とされているが、この古墳が作られたのは5世紀ごろで「前方後円墳」に成形されたのは幕末ごろ、「開化天皇陵」に治定されたのは明治らしい(色々と謎過ぎる)。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年06月18日 23時34分13秒 | メモリアル
「開運まねき猫」



「高嶋文彦」作。英語で”THE BECKONING CAT GOOD LUCK”と書いてある。




大阪メトロ四つ橋線「四ツ橋」~長堀鶴見緑地線「心斎橋」「長堀橋」の三駅を結ぶ地下街「クリスタ長堀」の「心斎橋」駅と「長堀橋」駅の中間辺り、「まねきゃっと広場」に佇んでいる。



柱のまねき猫から点々と足跡が続き…



その先には親子(?)二体のまねき猫。
大きい方(親猫?)は右前脚を上げているので「お金をまねく」、小さい方(子猫?)は、左前脚…「人をまねく」とされ…



子猫の前には…



「この上に乗(るとまねき)猫が鳴きます」



…と書いてあるのでやってみると…予想以上にデカい声で猫が鳴くww


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「ざ・めもりあるMemorandums」

2021年05月27日 10時05分26秒 | メモリアル
「大鳥塚古墳」

 っ資料室(仮):「百舌鳥古市古墳群」
 関連記事①っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「赤面山古墳」
 関連記事②っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「誉田(こんだ)丸山古墳」
 関連記事③っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「應神天皇陵」

近鉄南大阪線「土師ノ里」駅より南西に徒歩約10分。藤井寺市古室にある。

「大鳥塚古墳」は「西名阪高速道路」(の下の「赤面山古墳」)を挟んで「古室山古墳」の南側にあり、更に南側には「誉田丸山古墳」「應神天皇陵」が控える古墳の密集地のだいたい真ん中に位置する。
 …なお「赤面山古墳」は「大鳥塚古墳」の倍塚と推定されている。


墳丘の長さが110mの前方後円墳。絵に描いたような鍵穴型。
「世界文化遺産」「古市古墳群」の中では中規模で、前方部は南向き。クヌギの林に覆われている。



右に前方部、左奥に後円部


墳丘表面では葺石や各種埴輪が発見されている。周囲には馬蹄形の周濠があったが、現在は保存されたまま埋め戻された。
盗掘に遭った形跡が見られる。そのためか埋葬者も含め詳細は不明となっている。


川側から見ると雑木林(左手)のように見えるが…これ、まぎらわしい事に古墳とは別のモノ(オレも後で気付いた)。コレの左側奥に「大鳥塚古墳」がある。なお画像中央奥、川の先にある森は「應神天皇陵」。

そしてこの川、「大水川(おおずいがわ)」が…「誉田丸山古墳」の三枚目の画像の細い川(↓:赤線囲み)と同じモノ。


もっと上流(南側)では「應神天皇陵」の「この橋」もこの川(の支流)に掛かっている。

…密集してるが故の地形の妙。



特に制限はなく林の中に入って散策できる。1956(昭和31)年に国の史跡に指定、2019(令和元)年に「世界文化遺産(百舌鳥・古市古墳群)」に登録された。

蛇足…地図で見ると「西名阪」を軸に「應神天皇陵」「大鳥塚古墳」と「古室山古墳」「仲姫命陵(仲津山古墳)」が線対称で配置されているのが面白い。


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