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武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

硫黄島玉砕と神風特攻隊。

2011年08月08日 | 人生の意味

★硫黄島玉砕と神風特攻隊。

栗林忠道・中将率いる日本軍2万1千人が死守する硫黄島に米軍の大兵力が迫った。米軍の総兵力は、戦艦4隻、空母12隻、巡洋艦19隻、駆逐艦44隻を主力とした合計800隻、戦闘機と爆撃機、計4000機、上陸部隊は11万人、海上兵を含めると総員25万人。硫黄島の沖は米艦隊によって真っ黒に染まった。

 

昭和20年2月16日、米軍は硫黄島に対して猛烈な艦砲射撃と空爆を開始。

B29による空爆と硫黄島沖に集結した大艦隊からの艦砲射撃が硫黄島に集中砲火を浴びせた結果、島は一日にして形を変えた。

そして徹底的な空爆と艦砲射撃が終了するや、米軍の大兵団は硫黄島に目がけて130隻の上陸用船艇を発進させ、大量の米兵が南海岸に上陸した。それを境に、米軍と日本軍の白兵戦の死闘が日夜、繰り広げられた。

そして、ついに最期の時がきた。動けぬ負傷者には自決用の手榴弾が手渡され、動ける者すべてがバンザイ突撃を敢行、そして玉砕。

日本軍の死者数19900名、捕虜1033名。戦闘に参加した日本兵の95%が戦死。

一方の米軍は、死傷者28686名、そのうち戦死6821名。米軍は強力な銃火器を装備しながら、戦死者は日本軍の三分の一に達した。

 

神風特攻隊・第二御楯隊 総員60名32機。

米軍の大艦隊が硫黄島を包囲したことを受け、昭和20年2月16日、千葉県香取基地の御盾隊に特攻出撃の命令が下る。

零戦12機、二人乗りの艦爆「彗星」12機、三人乗りの艦攻「天山」8機、計32機、

偵察員や通信員を搭乗させるかどうかが問題となったが、搭乗員の「死ぬときは一緒と誓い合った仲、機を降りることはできない」という直訴で、全員搭乗しての特攻出撃となった。

米軍の上陸三日目(2月21日)、千葉県香取基地を発進。八丈島を経由し、硫黄島上空に飛来した御盾隊は同日夕刻、空母「サラトガ」と「ビスマルク・シー」をめがけて、体当り攻撃を敢行。

第二御盾隊の隊長機は大艦隊を眼下に見やり、電信で「ト・ツーーー」(我突入せり)のモールスを発信、その数秒後、信号は途絶えた。

上空偵察員の報告によると、隊長機は空母「サラトガ」の艦首に体当り、猛烈な火災を引き起こす。次の一機は空母の側面に体当たり爆発。別の一機は突入直前で撃墜されたが、そのまま海中を突き進んで空母の水面下に穴をあけた。さらに最後の一機が甲板に激突炎上。空母「サラトガ」は大破。

そして同時刻、零戦二機が爆弾を抱え「ビスマルク・シー」の甲板に体当り、艦載機の燃料に引火、大火災発生、3時間後に沈没。

 

さて、同じ戦闘シーンで米国サイドの資料によると、 

「1945年2月21日16:30、空母サラトガが硫黄島に到達した時刻、北西120キロに数点の日本機と思われる機影をレーダーで捕捉。サラトガの艦長は6機のグラマンF6Fヘルキャットを緊急発進させ迎撃態勢に入った。

続いてグラマン戦闘機を発進させ、その数100機。

16:50、第一波の迎撃グラマン機より、「敵機発見、艦爆(彗星)2機撃墜」の報告が入る。

16:59、1000メートル上空の雲間から突如、6機の零戦が空母「サラトガ」に襲い掛かる。対空砲火が一斉に火を吹いた次の瞬間、先頭の零戦2機が火ダルマになる。しかしそのまま真っ直ぐにサラトガの艦橋めがけて突っ込む。機体は右舷喫水線スレスレに激突、搭載爆弾が大音響とともに爆発。

続いて零戦2機が甲板とカタパルトに激突爆発。最後の零戦は既に火を噴いていたが、右舷に突っ込む。わずか3分間の出来事であった。

空母サラトガの航行に支障は無かったが、艦載機36機が焼失、3機は着艦できず、不時着を余儀なくされた。サラトガは消火作業と応急処置により、沈没を免れたが、米兵死者23名、負傷者192名を出して戦場から離脱。

また同時刻、護衛空母ビスマルク・シーに零戦1機が突入。これが艦載機のガソリンに引火して火災発生、相次ぐ誘爆で火薬庫が爆発、3時間後に沈没。

ビスマルク・シーの戦死者は218名。

 

★零戦の撃墜王・坂井三郎(海軍少尉)の回顧。

零戦パイロットの撃墜王として200回以上の空中戦を経験し、米軍の精鋭戦闘機グラマンと死闘を繰り返し、64機を撃墜した坂井三郎。

最後の局面では、硫黄島から特攻出撃するも、グラマン・ヘルキャットと空中戦になり2機撃墜、その後、僚機2機と共に硫黄島に奇跡の帰還を果たした。

戦後長く生き、2000年に84歳で逝去されたが、坂井氏は自身の著書(大空のサムライ)で特攻について次のように述べている。

「我々、戦闘機乗りは、志願した時から死を覚悟している。だから、いつ死んでも悔いはない。しかし、出撃すれば必ず死ぬという特攻作戦は愚かなことだ」。

 

日本海軍・神風特攻隊戦死者2531名、うち朝鮮人・特攻隊員戦死者13名、

我々は、朝鮮人特攻隊員戦死者に哀悼の誠を捧げる。

 

(じゅうめい)