ヤンバルに座る---たかえをまもれ!

ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会(高江連絡会)

北部訓練場県道70号情報公開訴訟開始とN1地区現状

2015-07-23 16:12:05 | 日記

 北部訓練場の新ヘリパッド建設に反対する座り込み運動は2007年以来今日に及び、N1地区工事は未だ進展していない。去る6月26日の新聞報道(沖縄タイムス)において “・・・工事車両の出入り口となる県道70号沿いの路側帯を、日米共同使用から米軍専用に戻す手続きについて、政府関係者は「工事に必要で、近く沖縄森林管理署から県へ届け出が出る」との見通しを示した。・・・防衛相と調整した上で、米軍が国有林を管理する沖縄森林管理署へ日米共同使用を解除すると通知。同署が路側帯を使用する県へ届け出ると、手続きは完了する。・・・” との何ともあいまいな日米合同委員会の関与を抜きにした表現で7月初めから工事再開の可能性を示唆していた。この報道が『6.28高江座り込み8周年報告集会』に先行したため、報告集会は抗議と今後の監視活動強化を呼びかける場となった。7月に入って支援者の往来が格段に増え、N1地区を始めとするG地区の24時間監視体制も充実し、今日に至っている。今日現在、表立った工事再開の動きは認められていない。

そんな中、7月21日、北部訓練場情報公開訴訟第一回口頭弁論が行われた。昨年夏以来新聞等でたびたび住民の座り込みを排除するための画策記事が報道されていた。座り込み現場の路側帯(路肩)を日米地位協定第2条4項(a)にもとづく日米の共同使用地から米軍専用地にもどし、日米安保条約第六条に基づく日米地位協定と一体の日本国の法律である刑事特別法の対象とし、違反者を強制排除するというものである。それらの報道に接しチョイさんは “強制排除を許さないための取組みの一貫として、本年1月6日、県に対して「県道70号線が日米共同使用地になった際の協定書」等の文書の公文書公開請求を行った。県は開示を決定したが、防衛局が、県の開示決定は「米国との信頼関係が損なわれる恐れがあり、違法」として、県を相手取り、決定の取り消しを求める訴訟を起こした。” (日米合同委員会に風穴を! 北部訓練場情報公開訴訟第1回口頭弁論の傍聴を(7月21日午後2時)http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/479f3636c1792e04e557dd05cbe5b1b5 )

上記ブログ記事においてチョイさんは情報公開アクションに関する数々の報道記事を資料掲載されております。ぜひ参照ください。

第一回口頭弁論後のブログ記事においてチョイさんは “国は、「日米合同委員会の議事録は日米両政府の合意がない限り公表できない。今回、米側は不開示を求めており、開示すれば『米国の信頼を損なう』と」主張した。県は、「国には原告適格がない」として訴えの却下を求めている。 次回の口頭弁論は、10月6日午後3時半に開催される。” と記されている。

ところで、国は事あるごとに「米国との信頼関係が損なわれる」と言う。安倍政権下における「米国との信頼関係」とは米国隷従の果ての日米共同アジア覇権幻想をもたらす関係である。集団的自衛権行使容認を前提とする日米防衛協力指針いわゆるガイドラインに沿うことであり、権力者のいかなる恣意的解釈の選択肢をも保障するむやみな諸危機事態設定による切れ目のない安保法制化(戦争法案)である。そもそもが違憲立法であり、立憲主義、主権在民を無視し国を崩壊に導くものである。

集団的自衛権行使のお膳立てとして、武器輸出三原則を防衛整備品移転と言いくるめ撤廃して軍産複合国家として米国に連なり、特定秘密保護法も国家安全保障会議(日本版NSC)も設置し、やがてマイナンバー制導入で国民を戦争国家に縛り上げようとする。

今回の県道70号使用協定公文書情報公開訴訟や高江の路側帯(路肩)に関する米軍専用化の問題はそのような客観的状況の中で起きている。それだけに、われらの高江あるいは辺野古における新基地建設反対運動は歴史修正で逆行する政治状況に抗い、戦争の芽を摘み、民主主義を新たな地平に押し上げるエッジの闘いそのものである。下がるわけにはいかない、負けるわけにはいかない。国は「米国との信頼関係が損なわれる」と言いさえすれば、国家意志の前に沖縄住民の意志は砕かれ、当然の要求・権利を規制できると考えているようだが、それはもうわれらには通用しない。

                 安倍政治を許さない!!」

 

参考1: 日米地位協定正式名称と第二条4項a条文

 外務省:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/pdfs/fulltext.pdfより

 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定

AGREEMENT UNDER ARTICLE VI OF THE TREATY OF MUTUAL COOPERATION AND SECURITY BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA, REGARDING FACILITIES AND AREAS AND THE STATUS OF UNITED STATES ARMED FORCES IN JAPAN

第二条4項a

4(a) 合衆国軍隊が施設及び区域を一時的に使用していないときは、日本国政府は、臨時にそのような施設及び区域をみずから使用し、又は日本国民に使用させることができる。ただし、この使用が、合衆国軍隊による当該施設及び区域の正規の使用の目的にとつて有害でないことが合同委員会を通じて両政府間に合意された場合に限る。

4.(a) When facilities and areas are temporarily not being used by theUnited States armed forces, the Government of Japan may make, or permit Japanese nationals to make, interim use of such facilities and areas provided that it is agreed between the two Governments through the Joint Committee that such use would not be harmful to the purposes for which the facilities and areas are normally used by the United States.

 参考2:件の県道70号に関する公文書

件の公文書は米軍北部訓練場や東村などを通る県道70号の共同使用に関するもの。1978年当時の県知事(平良幸市氏 1978年11月23日まで。以後、西銘順次氏)が日米地位協定に基づく共同使用を申請。それを受け、①米軍が提案した使用条件を那覇防衛施設局長(当時)が県に照会した1981年の通知の一部、②同使用条件に基づき在沖海兵隊と県、那覇防衛施設局の3者間で1990年に締結した協定書、③通知の一部と④協定書それぞれの仮訳文書の合計4件。県道(現70号)は米軍の提供区域内にあるが、日米地位協定に基づき両政府が1990年に共同使用を決めた。

 

参考3:琉球政府時代の道路法(1952年9月)と1972年「復帰」後の道路

 米国民政府統治下の琉球政府の道路法(米軍は治外法権で自由使用)では、軍道路(軍用地内道路で軍が管理)、軍営繕道路(軍用地外の道路で軍が維持管理、扱いは政府道)、政府道、市道、町村道に区分。

現北部訓練場一帯は1957年に米軍に強制接収され「北部海兵隊訓練場」として使用された。接収地内を政府道が通り、当時は米軍の呼称方法で政府道13号線(「復帰」後に現県道70号)と称した。1972年5月15日、沖縄の「復帰」に伴い「北部海兵隊訓練場」は「北部訓練場」として日本国から施設・区域が提供された。この日から政府道13号線は県道(主要地方道路)となった。ちなみに「北部訓練場」は1998年3月、「密林戦闘訓練センター(JWTC)」に改称。現県道70号は米軍の提供区域内にあって、日米地位協定に基づき県及び両政府協定の下で1990年に共同使用となった。1972年から1990年までの18年間、「復帰」後も県道70号の管理は米軍の意のままに管理されていたということか? ライフライン確保や産業振興幹線道路整備の遅れによる東村、国頭村東部の過疎化は基地の存在と政治の貧困によるもの、ともいえるのではないか。

 

 「はっさみよぉ、死に暑いねぇ! だからよぉ!」。 やんばるの手つかずの森より、暑中お見舞い申し上げます。

ブログ紹介:

 『やんばるアカヒゲ』http://yanbaruakahige.com/index.htmlの中の「亜熱帯のやんばる・イタジイの森から」が7月23日更新されております。ぜひご覧ください。自然の生き物や植物の息吹が写真からはずんできます。


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