国がガラガラと音を立てて崩れつつあるようなそんな気配に包まれた不気味な状況にあります。先の衆議院解散選挙は承知の結果に終わりました。国を私物化している自己中アベ政治が支配政党に有利な小選挙区制度の下に政権を維持することとなりました。死に票がたくさん出て民意をバランス良く反映しにくい小選挙区制度は改革すべきだと思います。一般に政治の舞台は与党と野党に分けて論じられます。野党は基本的にはどの党も政権を狙うのが最終目的と思います。そのために党の規模を維持拡大するためにあいまいな政治路線で結集する数だけの政党や、勝ち組風見鶏のにわか政党や、野党間連合(一定の了解事項に基ずく連携選挙協力がある一方でその場しのぎの野合あり)が模索されたりします。
今回の選挙で明らかになったのは、野党が裸にされて、逆に日本社会の実相、国民の傾向が見えやすくなったことがあると思います。その実感は、この国、そして国民の意識はもうこんなところまで崩れている、と思わざるを得ないところにあります。
沖縄に対する棄民政策はどんどん過酷になって行くような気がします。政治差別が社会差別を生み出しつつあることは昨年の高江における公僕である機動隊員のドジン・シナジン差別発言とそれに対する公共政治の居直り、それを閣議決定で容認する態度、それに批判の声を挙げないメディア、国民の知らんふうなぁに現れています。
今回、<高江>運動に関する「異風な総括」を掲載します。
掲載に際して、隣国(「北朝鮮」「中国」)脅威論を梃子にしてナショナリズムを煽り、内部矛盾(国内政治失策)を排外主義で蔽う今の状況がすでに10年以上も前から周到に用意されていたことを知る、つまりアベ政治を醸成する国民的背景を知ることと、そして沖縄が国際的には、つまりは内政的にはどのような状況におかれているのかを知ることに役立つと思われる3つの論考記事と動画を紹介しておきます。4番目の動画は一見唐突に見えますが、深層で沖縄をめぐる日本国家・社会=権力の論理的な質の問題(家父長社会的、男社会的非公正)に通底しているように思われます。 「異風な総括」の文末にそれらのURLを記載しておきます。
<高江>運動に関する「異風な総括」 2017年10月25日
昨年7月からの<高江>の基地建設反対・ヘリパッド工事強行阻止の闘いについて、同時並行的に作られたものも含め、多くのドキュメンタリー作品の制作・上映、写真集・展示会が行われ、はたまた雑誌等に運動や発生した問題に関する分析、論考が掲げられるようになってきた。
<高江>とのかかわりはそれら表現を介して再び人々をあらたな現実に、自らを<辺野古>に立ち返らせて行っているように思う。ドキュメンタリーの多くはフットワークの軽さを誇る「本土」人の手に成るものが多い。それは沖縄人と「本土」人の歴史時間感覚にもよるだろう。寄せては引く波のように時代の受動の転形が螺旋を描いてやってくる沖縄では、百年前あるいはそれ以上の過去のことが昨日のことのようにつらなって現在と重なって語られる。そんな沖縄人の場合、日常の破れ目から、その出自と来歴を問うような、自らを相対化できる環境に身を置いたときの他者感覚に現れて来る、心理的な網目フェンスのような、見えてはいるが、それゆえに、越えられない意識が醸成される境界意識がある。それを如何に超えるか、フェンスの向こうに出るには、という心域のトルクを抱えている。関係を希求し、内面を覗き、心域からどもりを託って発信しようとする表現に傾斜していっているように思う。詩や戯曲や映画や小説に。いつも螺旋の位相線上で遠く近くの時間を共有しているような沖縄世代の時間感覚。
ともあれ、時代状況のエッジで振動する沖縄の時空と、抗いの現場の共有が促すいくつものドキュメンタリーやその他数々の表現は、それゆえに、「本土」人と沖縄人の出会いと交流をいままでになく深化させているようには思う、ズレの認知、批評、互いの尊厳も含めて。
昨年7月以降の半年間、東村高江区一帯には沖縄県警と他都府県警察の機動隊が総勢1000名ほどにも及び、工事強行の援護のための弾圧体制を敷いた。随所で反対運動の当然の抗いに遭い、反対運動を規制するその暴力装置は組織的にも隊員個人的にも荒れ狂った。反対運動は沖縄の反基地・平和・人権確立の大衆運動においては画期的歴史的なものであったが、背後には抵抗の長い時間の層があり、決して突如として現出したのではない。それだけにこの大衆運動を記述する側にはスペクタル化を避ける一方で、思い入れの解説的言辞を避ける慎重な態度も必要かと思う。だが、まだ記述できない都合や記述能力の未熟で筆致が届かぬところも多い。
1.連絡会で取り組んだこと
2007年以来恒常的あるいはリピーター的に沖縄県内外から現地行動に参加していた個人らが行動を通して出逢い、一点の目的(いのちの尊厳を守ること、高江にあっては基地建設反対、工事阻止)を共有し、個々人が取り得る方法を認め合いながら協力し合うなかで自然発生的な集団ならぬ集団風なゆるやかな関係で形成されていった。いうなれば沖縄人と「本土」人の混成集団である。個人の生き方に関わる問題として<高江>、<辺野古>が象徴する課題に参加してきたものと思う。それゆえに連絡会は組織的な約束事(規約)は持たずに来た。個人に信頼をおいた緩やかなつながりである。また、それゆえに現地阻止行動においては、全体の動きを見渡しながら個人意志に基づく確固たる多様な行動を執ることができた。いつしか他の参加団体や個人からなる<高江>参加の人びとも含めて多様な運動を展開していた。
昨年7月以降の<高江運動>では、いくつもの場所(諸ゲート前、県道、国道、採石場、森の中、etc)で多様な行動が諸集団の自主的な連携によって為された。それらは一見新しくも見え、卓越なリーダーが想起されるが、しかしこの広範な闘いを限られた人間で領導するには無理がある。その背後には地道な闘いの長い時間がある。7月以降の広範な長い持続的な闘いで闘い全体のバランスを保ちながら進めるには結局それまでの経験がものをいうことになった。そういう意味で連絡会は重要な役割を果たした。連絡会現地常駐者らの主体的なかげひなたの協力と非リーダー的リーダーの才能(気立て、器量、見識)と率先牽引に負うところが大である。諸集団の自主的な連携を促すかなめにもなっていた。
日本環境会議は昨年の沖縄大会において環境・平和・自治・人権をそのテーマをとした。それは<高江>と関わるわが連絡会の従来の活動からすれば、何を今さらの感があるも、十分に合点の行くものであった。敢えていえば、4つのキーワードを括弧枠で括って「環境・平和・自治・人権」と表記し、それらは相互に連関し、全体として連動するものであり、それはまさに日本国家から棄民の防波堤・捨て石され国民の差別的関心の下におかれている沖縄の情況と呼応している。
<高江・辺野古>が象徴する問題=連絡会が共有するテーマ
①戦争と平和:戦争体験、戦争への洞察、体験の継承と非戦、基地の存在と戦争
②自然環境:生物多様性、いのちと背反する戦争(のための基地建設)
③生存環境:現代社会の生き難さ(特に若年層が負っている問題 )
④日本-沖縄の近・現代関係史:構造的沖縄差別=帝国主義とアジア植民地政策、差別、人権
⑤地方自治:基地と人権
2.連絡会と地域活動
辺野古新基地反対運動は全島各地で島ぐるみ会が結成され、持続する抵抗運動が展開されている。その運動の波及力は高江にも及び、2015年から高江へ各地島ぐるみ会の参加が増えて高江の抵抗運動も力強くなっていった。
またわが連絡会は北部三村の島ぐるみ会結成にも裏方で関与し、成果を見ることができた。北部三村島ぐるみ結成(大宜味村島ぐるみ会は早かった。 2015年9月24日島ぐるみ会東結成。12月16日国頭村島ぐるみ会結成)。それによって、高江の運動はずいぶんと広がりを持ち、昨年のような大きな運動を展開することができた。
北部三村各村長へは、三村島ぐるみ会と共に伺い、やんばる国立公園化の内実の非合理性や世界自然遺産登録のための必要十分条件が何であるかの議論を促しつつヘリパッド建設反対、北部訓練場全面返還行動を要請した。一方で、各島ぐるみ会は独自の地域活動や、イベントたとえば島ぐるみ会・東は東少年護郷隊についての村出身元護郷隊員の参加の下に平和学習会を開催した。
メモ
2015年8月 国頭村、大宜味村、東村村長と菅官房長官
2016年3月4日 辺野古埋立承認取消に関する代執行訴訟その他の司法和解案締結後の協議会で
北部訓練場ヘリパッド建設促進、車両・テント撤去が取りざたされる。
3.一段落した<高江>工事阻止行動
2017年9月20日13時 <高江>現地から早朝行動の報告が連絡会から発信された。
「早朝行動、たくさんの有志らが来てくれ、作業非協力の渾身の訴えに作業員たちの一部は9時まで進入を見合わす結果となりました。天の川まで見える星空のもと4時近くに集合、4時半頃に来る作業員を待ちましたが、どうしたことか今日は6時近くまで姿を現しませんでした。その後は、いつもの通り、作業員たちは訴えを避け右往左往、N1表ゲートに行ったり、新川ダム経由の村道を辿ったりしながら、少しずつが道路沿いの藪から森奥に入ってしまいました。
請負会社の責任者が、もう片付け段階だ、と言っていました。先だって聞いたところの日曜の工事の様子から察するに嘘ではない感じです。今後、更なる工事の発注も考えられますが、悔しいながら一段落がつきそうです。最後の最後まで、強い抵抗ができました。誇りたいと思います。またいつも思うことは、ウチナンチュウの底力、必ず、たくさんの方が駆けつけてくれます。11年前の工事開始当時から今日まで、沖縄中から集まり、共に闘ってくれました。孤立感をいつも脱ぐってくれました。」
沖縄防衛局は、昨年12月22日の北部訓練場過半返還式典挙行に間に合わせるべく杜撰を顧みずに工事を進め事前に強引な完成宣言を行ったが、その後も補修や未済の工事を年を跨いでずっと続けていた。昨年12月26日、最高裁違法確認訴訟敗訴を受けて翁長知事が辺野古埋立承認取り消しの取り消しを行った。その結果、今年1月から辺野古の工事が再開され<高江>に関わった人びとの移動が余儀なくされたが、それでも<高江>現地での抵抗は少人数ながら続いていた。3月~6月間の営巣期間(工事休止期間)が終わると、9月工事終了計画を知りながらも、その先の希望を紡ぎ出すべく、早朝からの、作業員らと直接対峙する心理的にもきつい、あきらめない闘いが組まれ、この報告に至った。仲間らは心騒ぎつつこの報告を噛みしめていただろう。
昨年7月後の<高江>については幾つものドキュメンタリー作品や雑誌取材があった。これからもあるだろう。だが、この現地報告の短い言葉たちほど、<高江>に深く関わってきた人々の胸を打つものはないだろう。11年間、コアメンバーは休みなく、支援の県内・県外の仲間たちと共に抵抗運動をつないできた。振り返って反省すべきところは多々あるが、その間の息長い、ドキュメンタリー作家らが食指を伸ばすことのない、地味で、ときに過酷な工事阻止行動の日常活動があればこそ昨年7月以降の国家権力の大弾圧にさらされながらの大きな闘いにつながったのだと思う。そして、上記報告の最後では、「空では従来にも増してオスプレイや他のヘリが飛行訓練で飛び交い、森では戦闘訓練が行われ、空陸連携した日米共同の軍事訓練もおこなわれるだろう。住民も県民の水甕も生類も騒音、山火事、墜落、汚染の不安と危険にさらされます。基地建設阻止の闘いからオスプレイを飛ばさない、基地撤去の闘いへと組み換えることが必要だ。新たな闘いが始まる。」と次の一手への布石を手探りつつ言葉を結んでいる。
とはいえ、昨年の基地沖縄の国策に合意しない民意と市民運動は端から圧殺ありきで臨む日本政府の暴力と重圧が頭の中から去ったわけではない。主権在民の民度もメディアも政治も、それらはすべて相互関連し因果応報の関係にもあるのだが、崩壊の時代突入の感がある今日、沖縄への目線と政治の酷薄さと暴力は益々厳しくなるだろう。廃墟の未踏の地を踏み分けて進まなければならない、ということになるかもしれない。
立ち昇る意思に確たる何かが見えているわけではない。希望を紡ぎ出すとはとにかくも、新たな地平を照らす月明りを頼りにあきらめずに方角を探しつつ歩き続けることか。“一段落した”という報告のことばを受けて、正直言って何とも重い気持ちで今後に思いを馳せている。
ヘリパッドを運用させない、北部訓練場全面返還が私たちの目標であるが、そのことを抜きにして世界自然遺産登録はありえないと考える。
世界自然遺産登録についてのIUCNは今年10月現地沖縄にもの踏み込み、環境省や県の案内をともなってやんばるへ赴いた。IUCN審査をめぐる動きが活発になってくるだろう。環境省と認定後の管理責任を分担する県は一体となって北部訓練場の存在を隠したがっている。SACO合意を梃子にした県の態度は翁長知事になっても従来から変わってはいない。県の態度は欠陥機オスプレイの現時点でのヘリパッド運用には反対の意を示しているが、建設は容認していた。つまり、世界自然遺産登録は北部訓練場と共存し、その固定化を促進するものとなる。私たちが考慮に入れるべき対象範囲は政府環境省、沖縄県、北部三村、沖縄世論、米国(米軍)とかなり広範になる。
また、私たちの目標を達成する方法と運動はそれ以外にも<辺野古>や<先島>と連動した基地建設反対のそれ自身の運動も模索しなければならない。
4.<高江>で露わになったもの
ここで昨年の沖縄防衛局や県当局のいくつかの対応について記憶に留めておくべき事柄を記しておきたい。
昨年3月4日の司法提案の形をとった辺野古埋立代執行訴訟の和解成立後、第2回政府・沖縄協議会において作業部会が設置され、北部訓練場問題が言挙げされた。県はその問題が俎上に載ることを突っぱねることはなかった。防衛局はそれまで何度か<高江>のN4ゲート前、N1ゲート前の路側帯に置いてあるテントや車両に関する宛先名のない三者連名の撤去要請文の貼紙をしていた。三者とは沖縄防衛局、外務省沖縄事務所、海兵隊太平洋基地である。明らかに背景には日米合同委員会があることを示威し、その権威は日本国憲法の上位にあることを文面上で匂わせ、日米地位協定条項をチラつかせ威嚇している。
一方、住民・市民ら憲法で保障する基本的人権(当たり前の生活をおくる権利、表現の自由)に依拠して、また県民の水がめ保全の問題も含めて、工事中止を何年にもわたり知事あるいは県議会に陳情、要請を行っていたが常に継続審議扱いとなり、議会審議の俎上に上げられることはついになかった。また、現地反対行動の表現に関わる問題に対しても県当局はあくまで道路行政上の問題に終始して対応していた。憲法サイドから立ち入ることを面倒がったのだろう。それゆえ、県は政府の道路法に基づいた違法駐車論をかわすことはできず、遂に4月18日、道路法違反を認め、行政手続法に基づく文書による行政指導を約束した。それ以後三者連名の撤去要請貼紙の文面には道路法違反の文字列が躍った。その日以降沖縄県警警備二課(注1)の現地踏査の高江地区(東村高江区、国頭村安波区)出入が頻繁になった。
県は強制執行はしない旨の報道があったが、それは県の不作為の口実を与えるようなものであった。7月に入って国土交通省から県に対して勧告がなされ、7月11日からメインゲートから基地内へ沖縄県警機動隊擁護の下で工事資材搬入が始まった。参議院選挙で伊波洋一が圧倒的な民意の付託を受けて当選した翌日で、計算されつくした日取りであり、且つ公然たる民意無視の表明と恫喝でもあった。
22日には県外警察機動隊500名を追加し、総勢1000名の投入によってN1ゲート前テント&車両が強制撤去され工事強行に入った。
「本土」であれば司法手続きを経て裁判結果に基づいて処理されるはずであるが、沖縄では機動隊導入の下の工事強行が既定路線であった。自国民の人権を顧みない属国日本躍如といったところであるが、この事態からSACO最終報告に対する県政の態度も見えて来る。
2014年10月、翁長知事は知事選の出馬の際の政策発表で「オスプレイ撤去と県外移設を求める中で、(オスプレイが離着陸する)高江のヘリパッドは連動して反対していくことになる」と明言しており、それは「オスプレイの全面撤回があればヘリパッドも運用しにくいのではないか。…オスプレイの配備撤回で物事は収れんされるのではないか」(2016年11月19日付沖縄タイムス)に変わった。このレトリックは仲井間前知事時代から変わらずに現県政が踏襲している「県は1996年SACO最終合意報告の実現を求めている。基地の整理縮小と地元の振興につながる。」と対応しているがゆえに変転せざるを得ない、いや変転可能なのだ。住民の手前反対はするが、苦渋の選択は織り込んでおく、といえば言い過ぎになるだろうか。沖縄の基地負担軽減を名分とするSACO最終報告の本質は、2000年沖縄サミットにおけるクリントン米国大統領の日米安保に関する発言を待つまでもなく、米軍基地再編=スクラップ&ビルドであることは誰の目にも明らかあった。SACO合意推進は県政の成果(やんばる国立公園化、過半の基地(土地)返還、残り過半の基地固定化と引き換えの世界自然遺産登録と観光立県)と日米政府の成果(戦後最大の基地返還=国民へ政府の負担軽減成果をアピール、環境省の世界自然遺産登録)の駆け引きに使われた。オスプレイ配備撤回であるなら進行するオスプレイパッド建設を阻止することは自明の論理である。日本政府に対して戦後から現在にいたる米軍基地負担、被害の過酷な歴史の不条理さを心の底から表すのに“魂の飢餓感がある”ということばが官邸に向けて放たれたのではなかったか。
ここで大事なことは、<高江>も辺野古の基地建設の問題もSACO最終報告に由来するということであり、われらが民意は問題を政治家が駆け引きの俎上に載せることを阻み、民衆運動のたたかいの領野に引き戻すことである。
一方、国の常套手段である県自治の頭越しに末端のプリミティブな自治会運営に振興金を突っ込み共同体を破壊して住民を分断する行為も許してはならない。
<高江>では当初から住民の会とともに県内外の有志らが協力して反対運動を形成し持続発展させてきた。県内外の有志らは単なる住民の会支援のためにやって来たのではない。それぞれのテーマと自己と社会とのかかわりにおける個人の責任と意志によって参加し、地元住民運動との協力関係すなわち連帯を築いている。もちろんそれは客観的には住民運動の支援にもなっている。
政府の地元合意取り付け目的の、つまりは運動潰しと政府自己宣伝を目論む恣意的振興金名目の、地元にとっては降って湧いた交付金について、和を以て尊しとなすプリミティブな自治会レベルとはいえ、受取り是非の会議において一人の反対もなく受取りの理屈を立てて決議された。その中には<高江>運動に関わった主力メンバーもいたとのことであるが、県内外から参加している者らが<高江>大衆運動に参加し、住民の会も含めて参加者相互の連帯感の共同性によって運動が展開されているということを知れば、その連帯を担う者としての矜持と信念があれば、もっと違う形の対応ができたのではないか、と思う。ちなみに、二見以北の自治会(区長会)はそのような交付金受取圧力を拒否しており、汀間区は自力で汀間川橋梁を建設している。受託の報は、運動の内省も含めて個々に悔しい思いが残った。
10月には大阪府警察機動隊所属隊員が反対住民に対して“ドジン・シナジン・・・”と差別感情をあらわに罵倒したいわゆるドジン発言が発生。これにより全島から抗議の声があがった。沖縄県議会与党はこの状況に対し差別抗議と機動隊撤退の決議を試みた。結果はドジン発言に対する抗議・糾弾は決議されたが機動隊撤退要求は野党のどっちもどっち論(反対住民も機動隊も相互に差別用語で罵倒し合っている)を与党側が論破できず決議は不発に終わった。絶大な権力を背景に暴力的に市民運動を規制する機動隊と無権力で非暴力で対抗している市民を同じ土俵に置き、地方自治破壊の先駆と化している国家暴力との非対称な関係の本質を見るのではなく、逆に差別一般の問題に矮小化されてしまった与党(会派)の思想的脆弱性は指摘しておかねばならない。
それから、先に述べた事と重複するが、政府の地方自治を無視した末端自治会への振興金直接交付による当該自治体の首長を介した住民の懐柔と住民運動の分断策を許してはならない。地元合意を取り込んで「国民」を欺く負担軽減アピールは政府の常套手段であり、その土俵に乗ってはならない。政府による北部訓練場過半の返還式典は日米政府要人と地元首長・区長の参加で行われ、名護市安部海岸での欠陥機オスプレイ墜落直後であったにもかかわらず平時を装い、日米安保軍事同盟の堅調さをアピールすることにも利用された。SACO合意推進の成果(ヘリパッド建設と過半の返還)とされるも、墜落直後で県民が怒る中、翁長知事は欠陥機オスプレイの現状の運用は容認できないとし、当然同席するわけにはいかなかった。
「(高江)ヘリパッドはオスプレイの配備撤回を求めている中で連動し反対する)」、やがて「・・・配備撤回を求める中でリンクする」となるレトリックは当初から事の結末まで尾を引いた。その言い回しを突き詰めれば結局のところ、行政サイドは闘いではなく駆け引きに終始した、ということか。苦渋の選択は、利害の交通整理でしかなく政治家はいつもそれを政治選択に織り込んでいる。ヘリパッド建設は苦渋の選択で容認となった。知事をして毅然たる明文公約に至らせることができなかったことは何に由来するか。オール沖縄を“支える”我われの力がその内部で<高江>の本質的な問題に迫りえなかったということも言える。我々の政治がヤンバル(辺境・離島)に届いていなかった。
一方、特筆すべきは、2004年辺野古海上やぐら座り込みの闘いから2007年高江のヘリパッド建設反対座り込みへの運動の伝播は2012年9月オスプレイ配備に抗する普天間ゲート封鎖の<場>=米軍提供用地進入の心理的抑制からの解放と越境の共同性を生み出した。そして、昨年の<高江>では沖縄防衛局の施工計画になかった砕石運搬トラック用道路建設、それに伴う無法無謀の森林伐採に端を発した抗議・阻止行動において同様な<場>が森の中に現出した。そこでは、工事作業員に向かって沖縄の近現代の歴史を流れるようなことばで朗々と話しながら作業非協力を訴える沖縄人、機動隊員らに向かって、こんなにも生物多様性豊かな森、こんなにも小さくて貴重な森を国家権力の暴力で潰すなんて既に戦争が始まっているのだ、と抗議説得をする沖縄人女性がいた。方々でことばが森にこだました。
米軍政下でいじめぬかれた沖縄人民衆が、このような<場>を現出し、創り出し、形成して行くには物理的にも心理的にも幾重にもフェンスを越える必要があった。内面化された植民地を越境するには自らを内破するトルクの暴力が必要である。
※ 注1
沖縄県警察の組織に関する規則
(警備第二課)
第34条 警備第二課においては、次の事務を行うものとする。
(1) 治安警備方針の策定及び実施に関すること。
(2) 警衛及び警護に関すること。
(3) 特別機動隊及び第二機動隊の事務に関すること。
(4) 緊急事態に対処するための計画及び実施に関すること。
(5) 災害警備に関すること。
(6) 消防機関及び水防機関との協力援助に関すること。
記事紹介
浅井基文ウェブサイト『21世紀の日本と国際社会』から
①朝鮮半島問題:安倍首相のトランプ大統領に対する影響力(!?)2017.10.19.
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/949.html
②朝鮮半島問題:安倍首相のトランプ大統領に対する影響力(その2)2017.10.25.
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/950.html
太田昌国
③東アジアの緊迫した情勢について
『インパクション』155号(インパクト出版会、2006年12月)掲載
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2006/higashi_asia.html
伊藤詩織さんが東京の外国特派員協会で記者会見
④元TBS記者からの暴行被害を訴えたフリージャーナリストの伊藤詩織さんが24日午後3時から東京の外国特派員協会で記者会見」しました。2017年10月24日 14:15
https://thepage.jp/detail/20171023-00000019-wordleaf
今回の選挙で明らかになったのは、野党が裸にされて、逆に日本社会の実相、国民の傾向が見えやすくなったことがあると思います。その実感は、この国、そして国民の意識はもうこんなところまで崩れている、と思わざるを得ないところにあります。
沖縄に対する棄民政策はどんどん過酷になって行くような気がします。政治差別が社会差別を生み出しつつあることは昨年の高江における公僕である機動隊員のドジン・シナジン差別発言とそれに対する公共政治の居直り、それを閣議決定で容認する態度、それに批判の声を挙げないメディア、国民の知らんふうなぁに現れています。
今回、<高江>運動に関する「異風な総括」を掲載します。
掲載に際して、隣国(「北朝鮮」「中国」)脅威論を梃子にしてナショナリズムを煽り、内部矛盾(国内政治失策)を排外主義で蔽う今の状況がすでに10年以上も前から周到に用意されていたことを知る、つまりアベ政治を醸成する国民的背景を知ることと、そして沖縄が国際的には、つまりは内政的にはどのような状況におかれているのかを知ることに役立つと思われる3つの論考記事と動画を紹介しておきます。4番目の動画は一見唐突に見えますが、深層で沖縄をめぐる日本国家・社会=権力の論理的な質の問題(家父長社会的、男社会的非公正)に通底しているように思われます。 「異風な総括」の文末にそれらのURLを記載しておきます。
<高江>運動に関する「異風な総括」 2017年10月25日
昨年7月からの<高江>の基地建設反対・ヘリパッド工事強行阻止の闘いについて、同時並行的に作られたものも含め、多くのドキュメンタリー作品の制作・上映、写真集・展示会が行われ、はたまた雑誌等に運動や発生した問題に関する分析、論考が掲げられるようになってきた。
<高江>とのかかわりはそれら表現を介して再び人々をあらたな現実に、自らを<辺野古>に立ち返らせて行っているように思う。ドキュメンタリーの多くはフットワークの軽さを誇る「本土」人の手に成るものが多い。それは沖縄人と「本土」人の歴史時間感覚にもよるだろう。寄せては引く波のように時代の受動の転形が螺旋を描いてやってくる沖縄では、百年前あるいはそれ以上の過去のことが昨日のことのようにつらなって現在と重なって語られる。そんな沖縄人の場合、日常の破れ目から、その出自と来歴を問うような、自らを相対化できる環境に身を置いたときの他者感覚に現れて来る、心理的な網目フェンスのような、見えてはいるが、それゆえに、越えられない意識が醸成される境界意識がある。それを如何に超えるか、フェンスの向こうに出るには、という心域のトルクを抱えている。関係を希求し、内面を覗き、心域からどもりを託って発信しようとする表現に傾斜していっているように思う。詩や戯曲や映画や小説に。いつも螺旋の位相線上で遠く近くの時間を共有しているような沖縄世代の時間感覚。
ともあれ、時代状況のエッジで振動する沖縄の時空と、抗いの現場の共有が促すいくつものドキュメンタリーやその他数々の表現は、それゆえに、「本土」人と沖縄人の出会いと交流をいままでになく深化させているようには思う、ズレの認知、批評、互いの尊厳も含めて。
昨年7月以降の半年間、東村高江区一帯には沖縄県警と他都府県警察の機動隊が総勢1000名ほどにも及び、工事強行の援護のための弾圧体制を敷いた。随所で反対運動の当然の抗いに遭い、反対運動を規制するその暴力装置は組織的にも隊員個人的にも荒れ狂った。反対運動は沖縄の反基地・平和・人権確立の大衆運動においては画期的歴史的なものであったが、背後には抵抗の長い時間の層があり、決して突如として現出したのではない。それだけにこの大衆運動を記述する側にはスペクタル化を避ける一方で、思い入れの解説的言辞を避ける慎重な態度も必要かと思う。だが、まだ記述できない都合や記述能力の未熟で筆致が届かぬところも多い。
1.連絡会で取り組んだこと
2007年以来恒常的あるいはリピーター的に沖縄県内外から現地行動に参加していた個人らが行動を通して出逢い、一点の目的(いのちの尊厳を守ること、高江にあっては基地建設反対、工事阻止)を共有し、個々人が取り得る方法を認め合いながら協力し合うなかで自然発生的な集団ならぬ集団風なゆるやかな関係で形成されていった。いうなれば沖縄人と「本土」人の混成集団である。個人の生き方に関わる問題として<高江>、<辺野古>が象徴する課題に参加してきたものと思う。それゆえに連絡会は組織的な約束事(規約)は持たずに来た。個人に信頼をおいた緩やかなつながりである。また、それゆえに現地阻止行動においては、全体の動きを見渡しながら個人意志に基づく確固たる多様な行動を執ることができた。いつしか他の参加団体や個人からなる<高江>参加の人びとも含めて多様な運動を展開していた。
昨年7月以降の<高江運動>では、いくつもの場所(諸ゲート前、県道、国道、採石場、森の中、etc)で多様な行動が諸集団の自主的な連携によって為された。それらは一見新しくも見え、卓越なリーダーが想起されるが、しかしこの広範な闘いを限られた人間で領導するには無理がある。その背後には地道な闘いの長い時間がある。7月以降の広範な長い持続的な闘いで闘い全体のバランスを保ちながら進めるには結局それまでの経験がものをいうことになった。そういう意味で連絡会は重要な役割を果たした。連絡会現地常駐者らの主体的なかげひなたの協力と非リーダー的リーダーの才能(気立て、器量、見識)と率先牽引に負うところが大である。諸集団の自主的な連携を促すかなめにもなっていた。
日本環境会議は昨年の沖縄大会において環境・平和・自治・人権をそのテーマをとした。それは<高江>と関わるわが連絡会の従来の活動からすれば、何を今さらの感があるも、十分に合点の行くものであった。敢えていえば、4つのキーワードを括弧枠で括って「環境・平和・自治・人権」と表記し、それらは相互に連関し、全体として連動するものであり、それはまさに日本国家から棄民の防波堤・捨て石され国民の差別的関心の下におかれている沖縄の情況と呼応している。
<高江・辺野古>が象徴する問題=連絡会が共有するテーマ
①戦争と平和:戦争体験、戦争への洞察、体験の継承と非戦、基地の存在と戦争
②自然環境:生物多様性、いのちと背反する戦争(のための基地建設)
③生存環境:現代社会の生き難さ(特に若年層が負っている問題 )
④日本-沖縄の近・現代関係史:構造的沖縄差別=帝国主義とアジア植民地政策、差別、人権
⑤地方自治:基地と人権
2.連絡会と地域活動
辺野古新基地反対運動は全島各地で島ぐるみ会が結成され、持続する抵抗運動が展開されている。その運動の波及力は高江にも及び、2015年から高江へ各地島ぐるみ会の参加が増えて高江の抵抗運動も力強くなっていった。
またわが連絡会は北部三村の島ぐるみ会結成にも裏方で関与し、成果を見ることができた。北部三村島ぐるみ結成(大宜味村島ぐるみ会は早かった。 2015年9月24日島ぐるみ会東結成。12月16日国頭村島ぐるみ会結成)。それによって、高江の運動はずいぶんと広がりを持ち、昨年のような大きな運動を展開することができた。
北部三村各村長へは、三村島ぐるみ会と共に伺い、やんばる国立公園化の内実の非合理性や世界自然遺産登録のための必要十分条件が何であるかの議論を促しつつヘリパッド建設反対、北部訓練場全面返還行動を要請した。一方で、各島ぐるみ会は独自の地域活動や、イベントたとえば島ぐるみ会・東は東少年護郷隊についての村出身元護郷隊員の参加の下に平和学習会を開催した。
メモ
2015年8月 国頭村、大宜味村、東村村長と菅官房長官
2016年3月4日 辺野古埋立承認取消に関する代執行訴訟その他の司法和解案締結後の協議会で
北部訓練場ヘリパッド建設促進、車両・テント撤去が取りざたされる。
3.一段落した<高江>工事阻止行動
2017年9月20日13時 <高江>現地から早朝行動の報告が連絡会から発信された。
「早朝行動、たくさんの有志らが来てくれ、作業非協力の渾身の訴えに作業員たちの一部は9時まで進入を見合わす結果となりました。天の川まで見える星空のもと4時近くに集合、4時半頃に来る作業員を待ちましたが、どうしたことか今日は6時近くまで姿を現しませんでした。その後は、いつもの通り、作業員たちは訴えを避け右往左往、N1表ゲートに行ったり、新川ダム経由の村道を辿ったりしながら、少しずつが道路沿いの藪から森奥に入ってしまいました。
請負会社の責任者が、もう片付け段階だ、と言っていました。先だって聞いたところの日曜の工事の様子から察するに嘘ではない感じです。今後、更なる工事の発注も考えられますが、悔しいながら一段落がつきそうです。最後の最後まで、強い抵抗ができました。誇りたいと思います。またいつも思うことは、ウチナンチュウの底力、必ず、たくさんの方が駆けつけてくれます。11年前の工事開始当時から今日まで、沖縄中から集まり、共に闘ってくれました。孤立感をいつも脱ぐってくれました。」
沖縄防衛局は、昨年12月22日の北部訓練場過半返還式典挙行に間に合わせるべく杜撰を顧みずに工事を進め事前に強引な完成宣言を行ったが、その後も補修や未済の工事を年を跨いでずっと続けていた。昨年12月26日、最高裁違法確認訴訟敗訴を受けて翁長知事が辺野古埋立承認取り消しの取り消しを行った。その結果、今年1月から辺野古の工事が再開され<高江>に関わった人びとの移動が余儀なくされたが、それでも<高江>現地での抵抗は少人数ながら続いていた。3月~6月間の営巣期間(工事休止期間)が終わると、9月工事終了計画を知りながらも、その先の希望を紡ぎ出すべく、早朝からの、作業員らと直接対峙する心理的にもきつい、あきらめない闘いが組まれ、この報告に至った。仲間らは心騒ぎつつこの報告を噛みしめていただろう。
昨年7月後の<高江>については幾つものドキュメンタリー作品や雑誌取材があった。これからもあるだろう。だが、この現地報告の短い言葉たちほど、<高江>に深く関わってきた人々の胸を打つものはないだろう。11年間、コアメンバーは休みなく、支援の県内・県外の仲間たちと共に抵抗運動をつないできた。振り返って反省すべきところは多々あるが、その間の息長い、ドキュメンタリー作家らが食指を伸ばすことのない、地味で、ときに過酷な工事阻止行動の日常活動があればこそ昨年7月以降の国家権力の大弾圧にさらされながらの大きな闘いにつながったのだと思う。そして、上記報告の最後では、「空では従来にも増してオスプレイや他のヘリが飛行訓練で飛び交い、森では戦闘訓練が行われ、空陸連携した日米共同の軍事訓練もおこなわれるだろう。住民も県民の水甕も生類も騒音、山火事、墜落、汚染の不安と危険にさらされます。基地建設阻止の闘いからオスプレイを飛ばさない、基地撤去の闘いへと組み換えることが必要だ。新たな闘いが始まる。」と次の一手への布石を手探りつつ言葉を結んでいる。
とはいえ、昨年の基地沖縄の国策に合意しない民意と市民運動は端から圧殺ありきで臨む日本政府の暴力と重圧が頭の中から去ったわけではない。主権在民の民度もメディアも政治も、それらはすべて相互関連し因果応報の関係にもあるのだが、崩壊の時代突入の感がある今日、沖縄への目線と政治の酷薄さと暴力は益々厳しくなるだろう。廃墟の未踏の地を踏み分けて進まなければならない、ということになるかもしれない。
立ち昇る意思に確たる何かが見えているわけではない。希望を紡ぎ出すとはとにかくも、新たな地平を照らす月明りを頼りにあきらめずに方角を探しつつ歩き続けることか。“一段落した”という報告のことばを受けて、正直言って何とも重い気持ちで今後に思いを馳せている。
ヘリパッドを運用させない、北部訓練場全面返還が私たちの目標であるが、そのことを抜きにして世界自然遺産登録はありえないと考える。
世界自然遺産登録についてのIUCNは今年10月現地沖縄にもの踏み込み、環境省や県の案内をともなってやんばるへ赴いた。IUCN審査をめぐる動きが活発になってくるだろう。環境省と認定後の管理責任を分担する県は一体となって北部訓練場の存在を隠したがっている。SACO合意を梃子にした県の態度は翁長知事になっても従来から変わってはいない。県の態度は欠陥機オスプレイの現時点でのヘリパッド運用には反対の意を示しているが、建設は容認していた。つまり、世界自然遺産登録は北部訓練場と共存し、その固定化を促進するものとなる。私たちが考慮に入れるべき対象範囲は政府環境省、沖縄県、北部三村、沖縄世論、米国(米軍)とかなり広範になる。
また、私たちの目標を達成する方法と運動はそれ以外にも<辺野古>や<先島>と連動した基地建設反対のそれ自身の運動も模索しなければならない。
4.<高江>で露わになったもの
ここで昨年の沖縄防衛局や県当局のいくつかの対応について記憶に留めておくべき事柄を記しておきたい。
昨年3月4日の司法提案の形をとった辺野古埋立代執行訴訟の和解成立後、第2回政府・沖縄協議会において作業部会が設置され、北部訓練場問題が言挙げされた。県はその問題が俎上に載ることを突っぱねることはなかった。防衛局はそれまで何度か<高江>のN4ゲート前、N1ゲート前の路側帯に置いてあるテントや車両に関する宛先名のない三者連名の撤去要請文の貼紙をしていた。三者とは沖縄防衛局、外務省沖縄事務所、海兵隊太平洋基地である。明らかに背景には日米合同委員会があることを示威し、その権威は日本国憲法の上位にあることを文面上で匂わせ、日米地位協定条項をチラつかせ威嚇している。
一方、住民・市民ら憲法で保障する基本的人権(当たり前の生活をおくる権利、表現の自由)に依拠して、また県民の水がめ保全の問題も含めて、工事中止を何年にもわたり知事あるいは県議会に陳情、要請を行っていたが常に継続審議扱いとなり、議会審議の俎上に上げられることはついになかった。また、現地反対行動の表現に関わる問題に対しても県当局はあくまで道路行政上の問題に終始して対応していた。憲法サイドから立ち入ることを面倒がったのだろう。それゆえ、県は政府の道路法に基づいた違法駐車論をかわすことはできず、遂に4月18日、道路法違反を認め、行政手続法に基づく文書による行政指導を約束した。それ以後三者連名の撤去要請貼紙の文面には道路法違反の文字列が躍った。その日以降沖縄県警警備二課(注1)の現地踏査の高江地区(東村高江区、国頭村安波区)出入が頻繁になった。
県は強制執行はしない旨の報道があったが、それは県の不作為の口実を与えるようなものであった。7月に入って国土交通省から県に対して勧告がなされ、7月11日からメインゲートから基地内へ沖縄県警機動隊擁護の下で工事資材搬入が始まった。参議院選挙で伊波洋一が圧倒的な民意の付託を受けて当選した翌日で、計算されつくした日取りであり、且つ公然たる民意無視の表明と恫喝でもあった。
22日には県外警察機動隊500名を追加し、総勢1000名の投入によってN1ゲート前テント&車両が強制撤去され工事強行に入った。
「本土」であれば司法手続きを経て裁判結果に基づいて処理されるはずであるが、沖縄では機動隊導入の下の工事強行が既定路線であった。自国民の人権を顧みない属国日本躍如といったところであるが、この事態からSACO最終報告に対する県政の態度も見えて来る。
2014年10月、翁長知事は知事選の出馬の際の政策発表で「オスプレイ撤去と県外移設を求める中で、(オスプレイが離着陸する)高江のヘリパッドは連動して反対していくことになる」と明言しており、それは「オスプレイの全面撤回があればヘリパッドも運用しにくいのではないか。…オスプレイの配備撤回で物事は収れんされるのではないか」(2016年11月19日付沖縄タイムス)に変わった。このレトリックは仲井間前知事時代から変わらずに現県政が踏襲している「県は1996年SACO最終合意報告の実現を求めている。基地の整理縮小と地元の振興につながる。」と対応しているがゆえに変転せざるを得ない、いや変転可能なのだ。住民の手前反対はするが、苦渋の選択は織り込んでおく、といえば言い過ぎになるだろうか。沖縄の基地負担軽減を名分とするSACO最終報告の本質は、2000年沖縄サミットにおけるクリントン米国大統領の日米安保に関する発言を待つまでもなく、米軍基地再編=スクラップ&ビルドであることは誰の目にも明らかあった。SACO合意推進は県政の成果(やんばる国立公園化、過半の基地(土地)返還、残り過半の基地固定化と引き換えの世界自然遺産登録と観光立県)と日米政府の成果(戦後最大の基地返還=国民へ政府の負担軽減成果をアピール、環境省の世界自然遺産登録)の駆け引きに使われた。オスプレイ配備撤回であるなら進行するオスプレイパッド建設を阻止することは自明の論理である。日本政府に対して戦後から現在にいたる米軍基地負担、被害の過酷な歴史の不条理さを心の底から表すのに“魂の飢餓感がある”ということばが官邸に向けて放たれたのではなかったか。
ここで大事なことは、<高江>も辺野古の基地建設の問題もSACO最終報告に由来するということであり、われらが民意は問題を政治家が駆け引きの俎上に載せることを阻み、民衆運動のたたかいの領野に引き戻すことである。
一方、国の常套手段である県自治の頭越しに末端のプリミティブな自治会運営に振興金を突っ込み共同体を破壊して住民を分断する行為も許してはならない。
<高江>では当初から住民の会とともに県内外の有志らが協力して反対運動を形成し持続発展させてきた。県内外の有志らは単なる住民の会支援のためにやって来たのではない。それぞれのテーマと自己と社会とのかかわりにおける個人の責任と意志によって参加し、地元住民運動との協力関係すなわち連帯を築いている。もちろんそれは客観的には住民運動の支援にもなっている。
政府の地元合意取り付け目的の、つまりは運動潰しと政府自己宣伝を目論む恣意的振興金名目の、地元にとっては降って湧いた交付金について、和を以て尊しとなすプリミティブな自治会レベルとはいえ、受取り是非の会議において一人の反対もなく受取りの理屈を立てて決議された。その中には<高江>運動に関わった主力メンバーもいたとのことであるが、県内外から参加している者らが<高江>大衆運動に参加し、住民の会も含めて参加者相互の連帯感の共同性によって運動が展開されているということを知れば、その連帯を担う者としての矜持と信念があれば、もっと違う形の対応ができたのではないか、と思う。ちなみに、二見以北の自治会(区長会)はそのような交付金受取圧力を拒否しており、汀間区は自力で汀間川橋梁を建設している。受託の報は、運動の内省も含めて個々に悔しい思いが残った。
10月には大阪府警察機動隊所属隊員が反対住民に対して“ドジン・シナジン・・・”と差別感情をあらわに罵倒したいわゆるドジン発言が発生。これにより全島から抗議の声があがった。沖縄県議会与党はこの状況に対し差別抗議と機動隊撤退の決議を試みた。結果はドジン発言に対する抗議・糾弾は決議されたが機動隊撤退要求は野党のどっちもどっち論(反対住民も機動隊も相互に差別用語で罵倒し合っている)を与党側が論破できず決議は不発に終わった。絶大な権力を背景に暴力的に市民運動を規制する機動隊と無権力で非暴力で対抗している市民を同じ土俵に置き、地方自治破壊の先駆と化している国家暴力との非対称な関係の本質を見るのではなく、逆に差別一般の問題に矮小化されてしまった与党(会派)の思想的脆弱性は指摘しておかねばならない。
それから、先に述べた事と重複するが、政府の地方自治を無視した末端自治会への振興金直接交付による当該自治体の首長を介した住民の懐柔と住民運動の分断策を許してはならない。地元合意を取り込んで「国民」を欺く負担軽減アピールは政府の常套手段であり、その土俵に乗ってはならない。政府による北部訓練場過半の返還式典は日米政府要人と地元首長・区長の参加で行われ、名護市安部海岸での欠陥機オスプレイ墜落直後であったにもかかわらず平時を装い、日米安保軍事同盟の堅調さをアピールすることにも利用された。SACO合意推進の成果(ヘリパッド建設と過半の返還)とされるも、墜落直後で県民が怒る中、翁長知事は欠陥機オスプレイの現状の運用は容認できないとし、当然同席するわけにはいかなかった。
「(高江)ヘリパッドはオスプレイの配備撤回を求めている中で連動し反対する)」、やがて「・・・配備撤回を求める中でリンクする」となるレトリックは当初から事の結末まで尾を引いた。その言い回しを突き詰めれば結局のところ、行政サイドは闘いではなく駆け引きに終始した、ということか。苦渋の選択は、利害の交通整理でしかなく政治家はいつもそれを政治選択に織り込んでいる。ヘリパッド建設は苦渋の選択で容認となった。知事をして毅然たる明文公約に至らせることができなかったことは何に由来するか。オール沖縄を“支える”我われの力がその内部で<高江>の本質的な問題に迫りえなかったということも言える。我々の政治がヤンバル(辺境・離島)に届いていなかった。
一方、特筆すべきは、2004年辺野古海上やぐら座り込みの闘いから2007年高江のヘリパッド建設反対座り込みへの運動の伝播は2012年9月オスプレイ配備に抗する普天間ゲート封鎖の<場>=米軍提供用地進入の心理的抑制からの解放と越境の共同性を生み出した。そして、昨年の<高江>では沖縄防衛局の施工計画になかった砕石運搬トラック用道路建設、それに伴う無法無謀の森林伐採に端を発した抗議・阻止行動において同様な<場>が森の中に現出した。そこでは、工事作業員に向かって沖縄の近現代の歴史を流れるようなことばで朗々と話しながら作業非協力を訴える沖縄人、機動隊員らに向かって、こんなにも生物多様性豊かな森、こんなにも小さくて貴重な森を国家権力の暴力で潰すなんて既に戦争が始まっているのだ、と抗議説得をする沖縄人女性がいた。方々でことばが森にこだました。
米軍政下でいじめぬかれた沖縄人民衆が、このような<場>を現出し、創り出し、形成して行くには物理的にも心理的にも幾重にもフェンスを越える必要があった。内面化された植民地を越境するには自らを内破するトルクの暴力が必要である。
※ 注1
沖縄県警察の組織に関する規則
(警備第二課)
第34条 警備第二課においては、次の事務を行うものとする。
(1) 治安警備方針の策定及び実施に関すること。
(2) 警衛及び警護に関すること。
(3) 特別機動隊及び第二機動隊の事務に関すること。
(4) 緊急事態に対処するための計画及び実施に関すること。
(5) 災害警備に関すること。
(6) 消防機関及び水防機関との協力援助に関すること。
記事紹介
浅井基文ウェブサイト『21世紀の日本と国際社会』から
①朝鮮半島問題:安倍首相のトランプ大統領に対する影響力(!?)2017.10.19.
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/949.html
②朝鮮半島問題:安倍首相のトランプ大統領に対する影響力(その2)2017.10.25.
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/950.html
太田昌国
③東アジアの緊迫した情勢について
『インパクション』155号(インパクト出版会、2006年12月)掲載
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2006/higashi_asia.html
伊藤詩織さんが東京の外国特派員協会で記者会見
④元TBS記者からの暴行被害を訴えたフリージャーナリストの伊藤詩織さんが24日午後3時から東京の外国特派員協会で記者会見」しました。2017年10月24日 14:15
https://thepage.jp/detail/20171023-00000019-wordleaf