ヤンバルに座る---たかえをまもれ!

ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会(高江連絡会)

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

朝鮮半島情勢について:第2次朝鮮戦争は起こるか?( 1 )

2017-12-30 15:02:57 | 時事
 昨年(2016年)高江にてお会いした大島 新さんより貴重な論文報告が届きました。朝鮮半島情勢をめぐる考察です。氏はノーム・チョムスキー、ブルース・カミングス,、林えいだい、朴慶植 (パク・キョンシク)、吉見義明、ジョン・ダワー、その他の著作を参照し朝鮮半島をめぐる状況理解・認識のためのテキストとして本論文(第2次朝鮮戦争は起こるか?( 1 )、(2))を作成しておられます。
 朝鮮半島情勢の帰趨は沖縄ひいては東アジア情勢に、すなわち東アジアの平和に大きく影響してきます。また、琉球列島から済州島に至るラインの日米軍事基地の配置、地域の要塞化の先端で辺野古埋立工事阻止や先島の自衛隊ミサイル基地配備反対のたたかいが取り組まれています。2月4日の名護市長選挙を控えて埋立承認撤回による闘いの行政・住民一体の戦線構築が喫緊の課題になっている折柄ではありますが、ここで、正月休止を機に朝鮮半島情勢について歴史と現在を学び直すことはとても有意義だと思い、当連絡会ブログに氏の論文報告を2回に分けて全文掲載しておきました。氏の好意により可能となりました。参考資料としてお読みいただければありがたいです。なお、無断転載お断りです。

大島新氏プロフィール
岡山大学法文学部英文科卒(1956年)、米国ミシガン大学大学院修士課程修了(1958年)。
高知大学名誉教授、関西外国語大学名誉教授。専門は言語理論(変形生成文法)。
米国マサチューセッツ工科大学大学院言語学科研究員(1975年-1976年,1984年-1985年の計2年間、チョムスキー研究室)。


『第2次朝鮮戦争は起こるか?( 1 )、(2)』 2017/12/12  大島 新
                              
今回「第2次朝鮮戦争は起こるか?( 1 )」の項目は
・核開発
・朝鮮半島(韓半島)の小史
・朝鮮戦争

次回「第2次朝鮮戦争は起こるか?( 2 )」の項目は
・朝鮮戦争の戦闘終結後
・朝鮮半島 (韓半島) を巡る現状
・第2次朝鮮戦争の可能性
・朝鮮半島危機の解決


(以下、文中緑色数字は注欄の番号を示す。)

第2次朝鮮戦争は起こるか?( 1 )  
                               2017/12/12  大島 新


・核開発
 朝鮮民主主義人民共和国(以下慣用上、国名(の略)ではないが、「北朝鮮」と略)は去る9月3日第6回目の核実験を実施し、大陸間弾道ミサイル (ICBM) 搭載用の水爆実験に「完全成功」1したと発表しました。これは北朝鮮の過去最大の核実験で、日本政府は約160キロトン(TNT火薬換算)と推定しています。広島原爆 (16キロトン) の10倍の爆発力です2。7月9日国連で採択された核兵器禁止条約を無視しての核実験です。もっともその他の米国など8つの核保有国は全て同条約を拒絶しています。この核実験は、非人道的兵器として核兵器の使用や保有、開発、実験、移転など幅広く禁止したこの条約を公然と破るものです。実は他の核保有国も全く同罪3ですが、米国ではそれを棚に上げて、「挑発に制裁強化を」の大合唱が湧きあがり、日韓もそれに同調しました。
 そこでこの核実験の持つ意味を理解するために、その歴史的背景を見てみましょう。米国は1945年7月16日人類史上初めての核実験に成功し、同年8月6日広島に、8月9日長崎に原爆を投下しました4。 以後アメリカは2017年8月現在で1054回核実験を行い、ロシアは715回、フランスは210回、英国と中国は各々45回などで、北朝鮮は今回ので6回行いました。そして北朝鮮は推定30~60発の核爆弾を所有しています (counterpunch (以下cpと略) 2017/8/17)。 なお10発以下とするものもあります。他方米国は6970発所有し、既に1750発を実戦配備しています。そのうち多数の戦略核の水爆を所有していますが、その爆発力は巨大で、キロトン単位ではなくその千倍のメガトン単位5で表されます。例えば20メガトンの核爆弾は広島原爆(16キロトン)の1250倍に当たり、今回の北朝鮮の水爆が160キロトンとすると、その125倍の爆発力です。
 マスコミの報道と異なり、オランダ国際関係研究所ファンデルメール主任研究員(山陽新聞2017/7/25)や元米国防長官ウィリアム・ペリー氏、保守派の(米)ケイトー研究所の元主筆シェルドン・リッチマン氏や米国の軍事評論家ら多数が認めるように (CommonDreams (以下CD)2017/7/4)、金正恩 (キム・ジョンウン) 朝鮮労働党委員長は冷酷無慈悲ですが狂人ではなく、米国の動きに極めて理性的に対応しています。そこで政権維持を最優先する金正恩が先制攻撃に対する自衛の反撃は別として、米国や韓国や日本を先制攻撃するような自殺行為を犯す可能性はゼロです。先制攻撃すれば、金政権だけでなく北朝鮮が地球上から即座に抹殺されます。又北朝鮮の核兵器は、伏せていますが米政府も認めているように、核攻撃に対する抑止力なので使用してしまえばそれを失うので先制攻撃するはずがありません(ウィリアム・ペリーの指摘)。
 アメリカは世界最多の1054回も核実験を行い、今も続けていますし、ミサイル発射実験も続行しています6。オバマ政権の8年間に数回臨界前核実験や「新型核実験」を行い、日本の原水爆被害者団体などが抗議しましたが、馬耳東風でした。北朝鮮と異なり、米国など他の核保有国は何回核実験を行っても、又ミサイルを発射(ロシアは10月末、中国は11月6日発射) しても、経済制裁を科されたり、核兵器も含めたあらゆる手段での軍事制裁を科すと脅されたりした国はありません。
 このアメリカの1054回の核実験のなかには水爆実験が含まれています。特に有名なのがビキニ水爆実験で、日本の第五福竜丸が被爆し乗組員の久保山愛吉さんが死亡し、大きな反核運動が米国だけでなく、日本でも起こりました。しかし現地でははるかにもっと悲惨な事態が発生しました。ビキニ環礁などの核実験場にされた島々の悲劇はよく知られていますが、他にもっと深刻な惨状になった島があることはあまり知られていません。
 1954年3月1日マーシャル諸島のビキニ環礁で、カースル・ブラボーという暗号名の水爆実験が行われました。15メガトンの爆発で、広島・長崎原爆の約1千倍強力なものでした。爆発6分でキノコ雲は幅7.2キロ、高度4万3千メートルに達しました。ビキニ環礁の住民は事前に別の島に避難させられていました。しかしその風下にあり、実験を担当した科学者には被爆することが判っていたはずのロンゲラップ環礁の住民には何の予告もなく、移住させられることもなく被爆しました。つまり広島と長崎の市民と同じく、核実験の人間モルモットにされたわけです。ロンゲラップ環礁では白い放射性降下物が何日も降り注ぎ、子供たちはこの死の灰を雪だと思いその中で遊びました。島全体が激しく汚染され、水源、海、家屋そして住民が死の灰を浴びました。
実験後2日たって住民は他の島に転々と移住させられ、1957年米原子力委員会が同島の安全宣言をし、島民はロンゲラップ島に帰りましたが、まもなく病人が出始めました。子供たちは甲状腺がんにかかり、摘出手術のため秘かにハワイやグアムに送られ、島民は次々と死んでいく家族をただ見守るほかはありませんでした。重度の不具の新生児が生まれ、更にショッキングなのは「クラゲベビー」が実に何百人も生まれたことです。ぶどうのような形の新生児で、頭も目もなく骨もなく、透明の肌の中に脳が見えるのでやっと人間だと判る赤ん坊で、出産後2、3時間後死亡しました。母親にはあまりにも残酷すぎるので見せずにすぐ埋葬したとか。
 アメリカ政府はこれらの事実は核実験とは関係ないと主張し、島民に口止めしました。マーシャル諸島を国連信託統治している米政府は、住民の健康を守ることを義務付けられているのに、彼らの健康を犠牲にして核実験を行い、その重大な被害を隠そうとしました。1978年に住民はマーシャル諸島政府と米当局に移住を要請しましたが、冷酷にも拒否されました。その7年後国際NGOのグリーンピースが船を出し、島民全員を別の島に移住させました(以上ロンゲラップ島についての記述はMcDiarmid (2017) による。同氏は国際グリーンピース代表)。
 核実験の被害は米国内でも発生していて、ネバダ核実験場のあるネバダ州やその風下にあるユタ州ソートレーク市などでは乳がんが多発しています。著名な作家で医師のサンドラ・スタイングレーバーは自らのがんの発生のプロセスを疫学的に調査し、『がんと環境―患者として、科学者として、女性として』(2000) にまとめています。彼女は「第2のカーソン」と呼ばれていますが、名著『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンも自らのがんと闘いながら、がんを環境の病として捉えた先駆者です。核実験の被害は他の国でも起こっています。今全人類の骨にストロンチウムが蓄積されていますが、米ソら核大国の核実験によるものです。
 今マスコミは北朝鮮の「核攻撃の脅威」の報道で過熱気味です。この「脅威」は安倍政権の軍拡路線7と日本の軍需産業にまたとない福音です。その脅威を振りかざしての、先のトランプ大統領の兵器セールスのアジア歴訪は安倍首相にはタイムリーでした。では果たして第2次朝鮮戦争は起こるでしょうか?それに答えるためにまず朝鮮半島の歴史を振り返ってみる必要があります。

・朝鮮半島(韓半島)の小史
 この韓半島には古代多数の小国が分立していましたが、新羅が韓半島統一し、そののち後三国に分裂。高麗が936年に韓民族全てを含む最初の統一国家を建国しました。以来韓半島は1つの国家としてまれにみる千年の長きにわたり存在し、独自の文化を築きました(李他2004、32~42頁)。
 さて韓半島はその歴史を通じて周辺の国の侵略を受けがちでした。中国、モンゴル、日本などに度々侵略・占領され、19世紀になるとフランス、米国、日本に襲われ、開港を迫られました。フランスの侵入は撃退 (1866) ,アメリカ侵入も撃退 (1871) しましたが、米国は再来し、当時の大韓帝国に条約 (1882) を強要し、同帝国の安全を保障して開港させました。米国はその条約を悪名高い密約「桂・タフト協定」(1905) で破り、日本が米国のフィリピンの植民地を認める代わりに、韓半島を植民地化のために日本に譲りました。これで日本の朝鮮併合・大韓帝国滅亡 (1910) への道が開かれました。この密約による米国の裏切りは今も朝鮮人の米国不信の一因です。又日本に対する「恨(はん)」の原点になっているようです8
 そして日本が日中戦争及びその一環の太平洋戦争に突入しました。サイパン玉砕、硫黄島玉砕、激しい沖縄戦のあと、アメリカは日本本土上陸作戦の犠牲を減らすため、米ルーズベルト大統領がヤルタ会談 (1945年2月)で、ソ連スターリン首相に対日戦へ参戦を要請しました (Schaller 1985、11頁)。広島原爆投下 (1945年8月6日) 2日後ソ連が参戦し、ソ連軍が満州(中国東北と内モンゴルの一部)、北朝鮮に南下、1か月遅れて戦後米軍が南朝鮮に入り、米ソ両国が日本軍の武装解除をするという名目で、北緯38度線を境に南北朝鮮に進駐・占領し9、韓民族 (朝鮮族) の自主独立の (統一)国家再建の夢を砕きました(李他2004、111頁)。
 その後まもなく1948年にソ連軍は撤退しましたが、米軍はそれ以来70年以上にわたり武装解除後も不当に居座り(朴1965、11頁)、今日に至っています。そこで韓半島には3国があり、北朝鮮と韓国と「アメリカ朝鮮」があるといわれています。非武装地帯の南側と韓国内の83の米軍基地に28500名の米兵が駐留し、戦争になると韓国軍は韓国大統領ではなく、米軍司令官の指揮下に入ることになっています。沿岸を米海軍の艦艇がパトロールしていて、「半島沖には核弾頭搭載の原潜2隻が潜航している」と失言癖のあるトランプ大統領がうっかりフィリピン大統領に自慢し、米国で波紋を立てましたが、これが「アメリカ朝鮮」と呼ばれるものの実態です。去る10月この指揮権を韓国軍に移す韓国側の案に米国は難色を示しました。今半島にいる外国の軍隊は超大国アメリカの軍隊のみで10、北朝鮮にとり実に大きな脅威です。
 アメリカは亡命していた李承晩(イ・スンマン)をアメリカより呼び戻し、南朝鮮に大韓民国(韓国)を樹立させました。他方日本占領下、満州でゲリラ部隊を組織して祖国朝鮮の開放のため抗日武装闘争を戦っていた共産党員(むしろ民族主義者)の金日成(キム・イルソン)が帰国し、韓国成立に対抗して、ソ連占領下で北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国を樹立しました。強権的一党独裁の政権でした。こうして分断国家の悲劇が今なお続いています。まるで冷戦下のようです。
 アメリカは朝鮮全域がソ連影響下に入ることを恐れ、日本降伏後刑務所を出所した民族主義者や共産主義者などを排除し、李承晩と共に日本占領下で日本の朝鮮支配に協力した旧日本軍人、警察官、官僚などであった朝鮮人や右翼分子を全てかき集めて独裁政権を作り、金日成を崇拝する民族主義者、共産主義者とそのシンパを徹底的に弾圧しました(文2005 第1章、特に55~71頁)。
 当然のことですが、金日成も李承晩も祖国統一の野望に燃えていました。金日成と異なり、民衆に人気がなく、野党指導者や反対派を多数殺害していた李承晩には11、選挙では無理なので、軍事的統一の道しかありませんでした。そして朝鮮戦争が「勃発」しました。

・朝鮮戦争
 アメリカ政府が流した、そして今なお世間に流布している定説では、金日成の朝鮮人民軍が「1950年6月25日」、「何の挑発もなく」、「ソ連の了承を得て」、「奇襲攻撃により不意をつき」38度線を越境して、南朝鮮を「侵略」したことになっています。しかしそれ以前1949年に何回も主に韓国軍による越境・交戦があり、特に1949年5月4日朝、韓国軍が開城で6カ月続く戦闘を始めています。(カミングス2014、164頁)。そこで1950年6月25日に金日成が韓国を侵略したというのは誤りです。既に交戦状態にあったし、又「侵略」というのは全くの誤りです。なぜならこれは明白な内戦であり、カミングス (2014、41頁) が指摘するように38度線はドイツとポーランドの間にある国際的に認められたような国境ではありません。米国務省内でラスクが旧大韓帝国の中ほどに勝手に引いた線で (注9参照) 、米ソの軍が便宜的に分割占領した線にすぎません。従って北朝鮮が韓国を「侵略した」と主張することは「朝鮮人が朝鮮を侵略した」という矛盾に陥ります(カミングス2014、41頁)。朝鮮戦争は、基本的には日本の明治維新の際の戊辰戦争と同じ内戦です。
 又1952年当時公開されていた米公文書と新聞記事等のケチのつけようのない史料を丹念に批判的に調査し、その結果この定説は実に多くの状況証拠と矛盾することを、米人ジャーナリストのストーン氏が示しています (Stone 1952、1~61頁) 。例えば「開戦」直前に、「北進統一」を主張する好戦的な李承晩大統領に賛同する連合国軍最高司令官(事実上の日本占領の責任者)ダグラス・マッカーサー元帥のもとに(東京)、米戦争省(現国防省)長官、米軍統合参謀本部議長の軍のトップと国務長官顧問ジョン・フォスター・ダレスが集まっています。不意をつかれたとは言えません。又南朝鮮を侵略するには不十分なたった6個師団しか人民軍は当日動員していませんでした。
 しかも当時北朝鮮の後ろ盾のソ連は中国の国連代表に、内戦に敗れ台湾に逃げ込んだ蒋介石政府に換えて、中国本土を掌握した中共政府にすることを拒否する米国により、国連は正当性を失ったとして、国連をボイコットしていました。従って安全保障理事会での発言権も拒否権の行使もできない不利な時期に、朝鮮人民軍に越境を許すとは考えにくいことです。ここでは省略しますが、その他多数の状況証拠が定説と矛盾します (Stone 1952参照)。
 そこでマッカーサー元帥のもとで、戦争省・米軍と国務省が練った計画に従い、韓国軍が越境・挑発し、その挑発に乗って人民軍が南進したと考えると、これらの状況証拠が全てうまく説明できるとストーン氏は述べています。又当時ソ連は朝鮮戦争開始に反対であったことが今では判明しています。
 一方米国は安保理でソ連欠席中に、韓国軍が越境しそれに反撃しただけという北朝鮮側の主張を退け、朝鮮人民軍が突如越境してきたという李承晩の主張のみ採用し、ユーゴスラビア代表が戦争発端の真相が不明であるため事実調査を求めたのを拒否し、即座に北朝鮮の「侵略」と断定しました。そして急遽「国連軍」を作らせ、国連に内政不干渉の原則に違反して朝鮮の内戦に介入させました12。 まるで用意した筋書きによる米国の迅速な対応だと思えるとストーン氏が指摘しています。
 米軍と密接な繋がりのある保守派のランド・コーポレーションが30年以上後に行った複数の研究もこのストーン説とほぼ同じ結論に達しています。しかしストーン氏は慎重に、確証が得られていないとし、誰がどのようにして戦争を始めたかは不明であるとしています (Stone 1952、345頁) 。
 さてほとんど全ての朝鮮戦争論は以上のような1950年の戦争「勃発」の経緯、つまり誰が、どのようにして、38度線を越境し「侵略」したかの問題に終始しています。しかしカミングスは朝鮮戦争の起源を、朝鮮開放の1945年から1950年に至る5年間に起こった朝鮮国内の社会改革の高まりと、「この5年間の歴史に特異な刻印を残した植民地時代の、いわゆる日帝残滓勢力13のあり方の中に求める」べきだとしています(カミングス1989、17頁)。
 同氏は朝鮮戦争が相反する社会・経済体制間の争いだとしています。解放後農業社会の朝鮮に潜在していた問題、つまり日本が植民地支配に利用した少数の特権地主階級が大多数の小作農民を搾取するという問題を抱える封建社会を、根本的に変革しようという要求が農民のあいだで高まり、又工場労働者の労働条件改善の要求も吹き出て、戦争に発展したとしています。
 北朝鮮で成立した金日成政権はその農民の要求に応え、農地を実際に耕作する農民に与え、農地を失った地主は、中国や北ベトナムの土地改革にみられたような、さほどの流血もなく、南に逃げるにまかされました。労働者の要求に対しては労働者虐待で知られた工場制度を廃止し、更に男女平等を確立しました(カミングス1991、579~629頁)。
 他方南朝鮮ではその要求を押さえ込もうとする保守派14 を支えた日帝残滓勢力とその要求を掲げた大衆との間の争いが激化し、一部ではゲリラ戦にまで発展しました。この闘争が南北朝鮮間の内戦に発展したのが朝鮮戦争であるとしています。農民や労働者、学生が蜂起し、それを米軍と韓国警察等が過酷に弾圧し鎮圧しました(カミングス1991、545~577頁)。その過程で注11で指摘した惨劇が各地で発生しました(文2005、第1章;カミングス1991、550~566頁)。
 朝鮮戦争「開戦」後、マッカーサー総司令官指揮の国連軍は逃げ足の速い韓国軍に引きずられ退却を重ね、またたくまに釜山とその周辺を除く南朝鮮の大部分を、中国内戦で歴戦の部隊を中核とする朝鮮人民軍に席捲され、海に落とされる寸前になりました。そこでマッカーサーがソウル西の仁川に上陸作戦を敢行し、人民軍の背後をつき形勢逆転。人民軍は背走、38度線以北に撤退しました。ここで国連は休戦に持ち込み、半島全土で自由選挙を行う道を模索しました。これは韓国と米国にとり、まさに悪夢でした。「開戦」直前、韓国議会選挙で敗北し、野党に議会を押さえられていた不人気で圧政の李承晩は、抗日闘争の英雄として半島全域で国民的人気のあった金日成に選挙で勝てる見込みはありませんでした。これは半島全土がソ連影響下に入ることを意味し、半島を手中に収めることを目指していた李承晩、マッカーサー及びトルーマン米大統領には認めがたいことでした。
 そこでトルーマンは韓半島の軍事的統一を狙い、国連の動きに先んじて軍事行動で既成事実をつくる必要がありました (Stone 1952、116~122頁) 。国連の動きに逆らって、米国大統領の承認のみで行動するマッカーサー国連軍総司令官の軍事行動は、国連軍とは名ばかりで、実は米軍であることを示すものです。国連軍とは米軍の隠れ蓑でした。また戦闘も主として米軍とその指揮下にあった韓国軍により行われました。
 まず韓国軍が38度線を突破し、その後を追い米軍も越境しましたが、米国国連大使はこのとき38度線を「仮想的な線」と呼び、この越境は「侵略」ではないと弁明しました(カミングス2014、41頁)。これは朝鮮戦争が内戦であることを米国政府が認めたことになります。従って国連軍はそして米軍は違法に内戦に介入しました。ちなみに開戦当初連合国最高司令部(東京)は、そして特派員も「内戦」と表現していましたが、国務省広報局は職員にこの表現の使用を禁止したのです(同著284頁、第1章注35)。
 国連軍は平壌を陥落させ、中国国境の鴨緑江に迫りました。当初水力発電所を防衛するため少数の中国軍が越境しましたが、その後義勇軍の名目で中国軍が参戦しました。その支援を受け朝鮮人民軍が国連軍を押し戻し、38度線あたりで戦局は1951年半ばに膠着状態となりました。アメリカは北朝鮮に侵攻しその政権を倒そうとして失敗したのです。中国の軍事介入でパニックに陥ったトルーマン大統領は国家非常事態宣言をし、原爆攻撃を唱え具体的措置を進めました。マッカーサーは満州に30発~50発の原爆投下を主張しました (TomDispatch (以下TD) 2017/11/19; Polk 2017)。
これまでに制空権を握っていた米空軍の絨毯爆撃15 が既に始まっていました。1950年11月8日中国国境近くの都市の新義州を8万5千発のナパーム弾16 で「地図の上から消し去った」(ニーア2016、180頁)のを皮切りに、韓半島に3万2357トンのナパーム弾(その中には日本の工場でその弾筒が製造されたものもありました)を含む63万5千トン(1説には69万8千トン (Dower 2017b)) の爆弾を100万回超の出撃で (Dower 2017b) 投下し、8700の工場、学校5000校、1000の病院、60万戸の住宅を焼き尽くしました(ニーア 2016,183頁、Armstrong 2009)。投下された爆弾の総量は太平洋戦争中に日本本土空襲に投下された量16万8百トン (Dower 2017b) の約4倍の量です。
 北朝鮮は学校や工場などを地下壕に移転させたという。又米軍は違法にも水力発電用ダムや灌漑用ダムなどの非軍事施設も爆破しました。この未曽有の爆撃で北朝鮮の人口の20%17、200 万人 が死亡したと、カーティス・ルメイ米戦略空軍司令官(日本本土空襲と原爆投下の指揮官)が推定しています。朝鮮戦争で朝鮮人全体で推定300万人 (少なくともその半数が民間人) が死亡したのに対し、米兵の死亡は3万6千名でした。中国兵は90万人が戦死したと推定されています。
 北朝鮮は米軍によりほぼ完全に破壊され、国土が焦土化(「練炭化」)しました。第2次大戦でもこれほど破壊された国はないと、北朝鮮を訪れた米人やカナダ人(例えば映画監督クリス・マーカー、ウイリアム・ダグラス米最高裁判事等、更にマッカーサー元帥自身、米議会でそう証言)が語っています。
2年に及ぶ休戦交渉の末、ついに1953年7月27日板門店 (パンムンジョム) で中国、北朝鮮、アメリカによって、休戦協定が調印され、戦闘が終結しました。しかし北朝鮮の求めを頑なに拒む米国により、平和条約は64年後の今も締結されず、戦争は厳密にいえば、まだ終わっていません。
 この戦争はアメリカでは「忘れられた戦争」と言われています。他方多くの米国の心ある識者が指摘するように、この戦争のたぐいまれな惨禍は北朝鮮人の心に強く残りトラウマとなっていて、彼らは米国に対し強い憎しみと恐怖を覚えています。それが彼らに米国と毅然として対決する金正恩政権を、ひどい独裁政権ながら、 支持させていることにトランプ政権や多くの米国人は気づいていないことでしょう。歴史に無知であることは悲しいものです。
以上の歴史的背景を念頭に米朝関係を検討し、第2次朝鮮戦争の可能性を探り、その回避の方策について考えてみましょう。



1. この「成功」は核弾頭をICBMに搭載するために必要なものでした。実戦配備には更に3~4年を要すると考えられています。
2. 複数の監視グループの推定では259キロトンであったとされています(New York Post, 2017/9/28) 。それによれば広島原爆の約16倍の威力です。
3. 核兵器禁止条約採択に際して米英仏は3カ国共同声明で、「署名も批准もするつもりはない」と宣言しました(朝日新聞2017/7/9)。日本政府もこの声明に同調しています。ノーム・チョムスキー氏 (Chomsky 2007, 91頁) は人類の文明・生存にとり脅威である核兵器を保有する国は核拡散防止条約 (NPT) の第6条(核兵器廃棄を進める義務を課す)に違反していて、「犯罪国家」であるとしていますが、この条約の採択はその判定を裏書きするものとなりました。
4. 即死者は広島原爆で14万人、長崎原爆7万人。次の5年間だけで放射線被曝等による両都市の死者合計数は13万人でした。広島と長崎の原爆投下で少なくとも1万人の朝鮮人が、その多くは徴用された労働者でしたが、亡くなっています。
5. 1メガトンはTNT換算で百万トンの爆発力にあたり、1メガトン爆弾が標準的戦略核兵器です。
6. 米国は今年既に4回ICBM を発射しておきながら、北朝鮮のミサイル発射を非難しました (cp 2017/9/19) 。例えば2017年4月26日と5月3日バンデンバーグ空軍基地(米カリフォルニア州)から核弾頭搭載用のミニットマン3型長距離弾道ミサイルをマーシャル諸島に向けて発射しました。又同年4月米ネバダ州のトノパス実験場で最新の水爆B61-12の投下実験を行いました。2022年以降製造予定とか。
オバマ前大統領は1兆ドル、約111兆円(その後、米議会予算局は1.2兆ドル、約132兆円と算定)で核爆弾、核弾頭ミサイル、核搭載原潜などの近代化とスマート核の開発を今後30年間にわたって行うと発表し、トランプ政権は同計画を実行すると言明しています。その後、他の全核保有国が対抗上核兵器の近代化を図るため、米国に追従すると発表しました。核兵器の近代化の火つけ人は米国です。それで北朝鮮の核開発を非難できるでしょうか?本当に世界平和の脅威は北朝鮮よりもむしろ米国ら核大国です。
7. 米ワシントンでの「2+2」で「防衛協力前のめり」(朝日新聞2017/8/19)、「防衛費2.5%増膨張一途」(同紙2017/9/1)、「陸上イージス … 導入方針 … 来年度(防衛省)予算案に、過去最大の5兆2551億円を要求」(同紙2017/10/13)などの記事に、軍拡路線が見て取れます。
8. この朝鮮人の「恨」の心情には、日本の植民地支配下にあった朝鮮での類まれな圧政が反映しています(文2005、李他2004、102~105頁)。日本は朝鮮民族の誇りと国家の尊厳を奪う数々の政策を行いました。朝鮮人名を日本人名に強制的に改名させ(創氏改名)、朝鮮語を禁じ日本語の使用を強制し、日本の神道を強要し、男は戦争遂行のため日本兵として20万人以上徴兵され(カミングス2014、60頁、129頁)、戦死又は戦犯として裁かれ、不足した労働力を補うため約700万人強制動員され(長崎在日朝鮮人の人権を守る会編2011、269頁他)、奴隷労働(1日12~16時間労働)で工場・炭鉱で酷使・虐待され、女性は「性奴隷」(1996年の国連報告書「クマラスワミ報告」での定義、日本で言う「慰安婦」)とされた(吉見1995)歴史は、日本人は忘れても朝鮮人は忘れていません。「三・一運動」(朝鮮独立運動)を残虐に鎮圧された歴史も忘れられていません。林(1992, 2010)、野添 (2009), 朴(1965)、文 (2005) 等参照。
9. 東アジアの政治経済や朝鮮近現代研究の第一人者、米シカゴ大学教授ブルース・カミングス (Bruce Cumings) 氏によると、38度線を境に朝鮮を南北に分断することは、米戦争省(現国防省)のジョン・マックロイ氏の指示でディーン・ラスク氏(のち国務長官)らが立案した政策によるものです(カミングス2014,128頁、Cumings 2017b)。この分断にソ連は同意しました。
10. 朝鮮戦争に途中より参戦した中国軍は休戦5年後の1958年に撤収しています。そもそも米ソが日本降伏後3年間韓半島を占領したこと自体問題です。連合国軍が敵国であった日本の領土を敵対占領したのは合法的ですが、日本の植民地で敵国ではなかった韓半島を米ソが分割占領したのは不当です。日本軍を武装解除し朝鮮を開放したあと、すみやかに米ソの軍は撤収すべきでした。すると今日の韓半島分断の悲劇はなかったはずです。ソ連軍は3年後の1948年に撤収しましたが、米軍は72年後の今も不当に居残っています。
11. Cumings (2017b) によると、彼自身の研究とジョン・メリル氏の研究が朝鮮戦争「勃発」前に、韓国では李承晩政権又は米占領軍の手で10万~20万人が政治犯として処刑、殺害されたことを明らかにしたという。又歴史家フン・ジョーン・キム氏によれば、朝鮮戦争開戦後の2、3か月間で、李承晩政権により30万人が拘束され、処刑されたか又は行方不明になりました。シドニー大学教授スー・キョウン・フワン氏は著書 (Su-kyoung Hwang 2016, Korea’s Grievous War) の中で、多数の大量埋葬墓地の記録資料と死者の親族や大阪に逃げのびた生存者らとのインタビューを載せ、半島南部での大量殺戮の実態を明らかにしました。
これらの事実は李承晩政権に対するゲリラ戦を含む反政府運動がいかに激しかったか、そして日本統治下、日本の官憲と共に民族主義者や共産主義者らを苛酷に弾圧した朝鮮人協力者が、米軍と共に戦後も同じことを繰り返していたことを物語っています。李承晩は最後は学生を中心とする大衆デモが大統領官邸に押し寄せる中、アメリカがハワイに脱出させました。最も激しかった済州島の大量虐殺や光州事件等の「国家の不法行為」について、韓国の民主化革命の後、廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が謝罪した (2005/8/15) ことは衆知のとおりです。
12. 米国が朝鮮戦争に介入することを決定したのはディーン・アチソンで、トルーマン大統領がこれを事後承認しました。しかし「決断が下されたのは国連や米戦争省、米連邦議会等の承認を得る前のことだった」とカミングス (2014, 29頁) は述べています。
13. これは旧大日本帝国に協力した朝鮮人の、元日本軍人や元警察官や元官僚のことです。「韓国軍上層部の多くは日本の軍隊にいたことがあり、天皇のために戦ったことを誇りにし、その忠臣であり続けた」(朝鮮戦争当時在韓していた米外交官で、のち学者となったグレゴリー・ヘンダーソンの言葉 (カミングス 2014、98頁) )。例えばクーデターで韓国大統領になった朴正煕 (パク・チョンヒ) は元日本軍将校で、満州で金日成らの抗日ゲリラの掃討作戦に携わった。その娘が大統領弾劾で最近その職を追われた前韓国大統領朴槿恵 (パク・クネ) です。
14 日本敗戦後「ソウル上陸後1週間にして、第24軍団の軍事情報責任者セシル・ニスト大佐は戦後朝鮮のよき指導者たりうる『数百人の保守主義者』をみつけた。ほとんどが対日協力者であったが、その汚点はすぐに洗い落されるだろう、とニストは書いている。この集団には韓国の政治を形づくることになる指導者のほとんどが含まれていた」とカミングス (2014,130頁) は指摘しています。
15 絨毯爆撃はピカソのゲルニカの絵で有名になりました。ナチス独空軍による、内戦中のスペインの小都市ゲルニカの爆撃 (1937) が最初で、次に日本軍が日中戦争で行った重慶爆撃 (1938~1943) 、第2次世界大戦中北フランスでのコブラ作戦支援の連合国軍による空爆 (1944) 、米英空軍のドイツの都市ドレスデン爆撃 (1945) , 米軍による日本本土の64の都市の空襲 (1944~1945) 、そして米軍の北朝鮮爆撃、更にベトナム戦争での爆撃 (1963~1973) があります。
絨毯爆撃は敵国民の士気・戦意を喪失させるため、都市や地域一帯を軍事施設・民間施設の区別なく、戦闘員・民間人の区別なく、無差別に爆撃するもので、その点広島、長崎の原爆投下も同じです。これは国際慣習法、第四ジュネーヴ条約 (1949) 及びジュネーヴ諸条約の第一議定書 (1977) 等に違反する戦争犯罪です。
16 1000oCで燃焼するゲル状のガソリンを充填した爆弾がナパーム弾で、それは主に戦略爆撃用でした。米国は1944年2月15日太平洋戦域で初めて実戦投入し、ヨーロッパでも使用しました。太平洋戦域では南太平洋、フィリピン、沖縄で使用し、そして東京はじめ日本の都市の空襲でナパーム弾を他の焼夷弾や通常爆弾とともに投下しました(ニーア 2016、111~114, 142~162頁)。日本人を最も多く焼き殺した、「絶対的殺人兵器」(ベトナム戦争でのその使用についてのオーストラリアの医療チームの表現)です。日本本土空襲の民間人犠牲者は姫路市の慰霊塔に約51万人とあり、又旧経済安定本部が 1949年公表した数字は約30万人です。
ナパーム弾は粘着性があり極めて高温で燃え、肉体にへばりつき容易に消せないものです。ナパーム弾の恐怖を世界に広めたのは南ベトナムの裸の(当時)9歳の少女ファン・ティー・キム・フックの逃げていく1枚の写真です。アメリカなど世界的に広がったナパーム弾の非人道性を糾弾する声が高まり、ついに「特定通常兵器使用禁止制限条約 (CCW)」の議定書Ⅲが成立 (1983年12月2日発効)し、ナパーム弾は非人道的兵器として禁止されました。
17 カナダの経済学者ミシェル・チョスドヴスキー氏の推定は33% 、一方内戦研究センター/オスロ国際平和調査研究所の推定は約10 % 、100 万人です。ちなみに第2次大戦で英国の死者は人口の1% 以下、フランスは1.35% 、アメリカは0.33% 、中国は1.89% でした (Polk 2017) 。日本は3% 以上です。米軍の朝鮮戦でのこのジェノサイド等で訴追されたアメリカの軍人も政治家もいません。その後のベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争でも同じです。
そのためか、去る2016年の米大統領選の共和党予備選挙の候補者テッド・クルーズ氏は、公開討論会でISISを絨毯爆撃することを声高に主張し、それは戦争犯罪になることを指摘されても、その主張を変えませんでした。トランプ候補は拷問を復活せよと主張し、更にテロリストの家族も殺すと公約しました(事実その公約を守りニュースになりました)。ジェッブ・ブッシュ候補は国際法の無視を公約し、その他の共和党の全候補も何らかの戦争犯罪を犯すと公約し (TD 2016/1/7) 、アメリカで物議をかもしました。国際法を無視する「無法者(ならずもの)国家」アメリカの実像がここに見えます。ちなみに後で触れるブルム氏の著書の原題は「ならず者国家 (Rogue State) 」で、彼の母国アメリカのことです。



参考文献
李元淳、鄭在貞、徐毅植 著『若者に伝えたい韓国の歴史』、君島和彦、国分麻里、手塚崇訳 明石書店 2004
カミングス, ブルース 著『朝鮮戦争の起源』第1巻、鄭敬謨、林哲訳 シアレヒム社 1989
同上 第2巻、鄭敬謨、加地永都子訳 シアレヒム社 1991
(Bruce Cumings (1981). The Origins of the Korean War . Princeton University Press)
カミングス, ブルース著『朝鮮戦争論―忘れられたジェノサイド』栗原泉、山岡由美訳 明石書店 2014 (Bruce Cumings (2010). The Korean War. Random House)
長崎在日朝鮮人の人権を守る会編『軍艦島に耳を澄ませば』 社会評論社 2011
ニーア, ロバート・M 著『ナパーム空爆史: 日本人をもっとも多く殺した兵器』田口俊樹訳 太田出版 2016 (Robert M. Neer (2013). Napalm: An American Biography. Belknap Press)
野添憲治『企業の戦争責任』 社会評論社 2009
林えいだい『死者への手紙―海底炭鉱の朝鮮人抗夫たち』 明石書店 1992
林えいだい『筑豊・軍艦島』弦書房 2010
朴慶植 (パク・キョンシク)『朝鮮人強制連行の記録』未来社 1965
ブルム, ウィリアム著 『アメリカの国家犯罪全書』益岡賢訳 作品社 2003 (William Blum (2001) Rogue State: A Guide to the World’s Only Superpower, Zed Books)
文京 洙 (ムン・ギョンス)『韓国現代史』 岩波新書 2005
吉見義明『従軍慰安婦』岩波書店 1995
Armstrong, Charles K. (2009). The Destruction and Reconstruction of North Korea, 1950--1960. The Asia-Pacific Journal, Volume 7, Issue 0, March 16, 2009.
Baroud, Ramzy (2017). Nuclear Apocalypse: Trump and Kim Should Not Hold the World Hostage. counterpunch, August 24, 2017.
Chomsky, Noam (2003). Hegemony or Survival. Henry Holt. (邦訳『覇権か、生存か』ノーム・チョムスキー著 鈴木主税訳 集英社新書 2004)
Chomsky, Noam (2007). What We Say Goes. Henry Holt.
Chomsky, Noam (2012). Making the Future. City Lights Books.
Cumings, Bruce (2017a). This Is What’s Really Behind North Korea’s Nuclear Provocations, thenation, April 10, 2017, Issue.
Cumings, Bruce (2017b). A Murderous History of Korea. London Review of Books, Volume 39, No. 10, pp. 17--19.
Dower, John W. (2017a). The Violent American Century. Haymarket Books.
Dower, John W. (2017b). Memory Loss in the Garden of Violence: How Americans Remember (and Forget) Their Wars. TomDispatch , May 4, 2017.
Escobar, Pepe (2017). Korea, Afghanistan and the Never Ending War Trap. counterpunch, August 24, 2017.
Gordon, Rebecca (2016). American Nuremberg. Hot Books.
Herman, Edward S. and Noam Chomsky (1988). Manufacturing Consent-The Political Economy of the Mass Media. Vintage. (邦訳『マニュファクチャリング・コンセント―マスメディアの政治経済学』エドワード・S. ハーマン、ノーム・チョムスキー共著 中野真紀子訳 トランスビュー社2007)
McDiarmid, Bunny (2017). Can the World Come to its Senses on Nuclear Weapons? EcoWatch, August 30, 2017.
Polk, William R. (2017). America on the Brink of Nuclear War: Background to the North Korean Crisis. counterpunch, September 6, 2017.
Schaller, Michael (1985). The American Occupation of Japan. Oxford University Press. (邦訳『アジアにおける冷戦の起源-アメリカの対日占領』マイケル・シャラ―著 五味俊樹訳 木鐸社1996)
Stone, I. F. (1952). The Hidden History of the Korean War 1950-1951. Little Brown. (邦訳『秘史朝鮮戦争』 I. F. ストーン著 内山敏訳 青木現代選書〈3〉1966)

コメント   この記事についてブログを書く
« 12.29 米軍基地被害から子供... | トップ | 朝鮮半島情勢について:第2... »
最新の画像もっと見る

時事」カテゴリの最新記事