今日、七七日忌法要と納骨を終えた。
少し蒸し暑いだけで、台風などの悪天候でなかったのはよかった。
いろいろと持ち物があるので、タクシーを呼んで行こうとしたらば、
その(霊園の)方面には行けないだの、今から行くとこれだけかかるだのと言われ、
結局、数社に電話をかけるはめになった。
我が家から霊園までは車で三十分もかからないのに、いろいろと難しいもんだ。
迎車を頼むときには余裕をもって電話すべし、だな。
霊園に着いた。見渡せないほど広い敷地だ。
事務所で手続きを済ませ、今後の管理について説明を受けていると、お坊さんのご到着。
説明が長引きそうなので、残りは後にしましょう、と式場へ。
お坊さんが袈裟を着替えている間に、係の人の手を借りてセッティングをする。
といっても、ひな壇などはすでに用意されているので、
あとは遺影や位牌や仏花などを飾るだけである。
お供物に梨を四つ用意したが、なんでも対になっていることを忘れていた。
三方は二つあるというのに、片方には何も載せるものがない。
みっともないが、今更仕方がないのでそのまま。あらあら。
準備が整い、席に着く。
式場は五十人入れるのだが、いるのはお坊さんとわたしたち夫婦だけ。
朗々とお経を上げていただき、三十分ほどで式は終了した。
これで無事に成仏してくれ、と願うばかりである。
この期に及んでもまだ実感が湧かないのは、
最期を看取ることができなかったからだろうか。
そのことをまったく悔いていないわけではないが、
さりとて物凄く後悔しているというわけでもない。
ただ、母のときは必ず側についていたい、と思う。
式の後、まったく後追いという感じだが、阿弥陀様や厨子の選び方などを伺った。
「個人的な好みですが、どこそこのお店の阿弥陀様のお顔がイイと思います」
と仰るお坊さん。やはり専門家の話は聞いておくものだ。
どこのお店でも似たようなものだろうと考えるのは素人なのだなあ。
確かに、一体一体手作りなわけだし、腕のよい職人さんを抱えているかどうか、
お店によってその差が大きいというわけなのだろう。
「なかには猿みたいなお顔もありますからね」
サル顔の阿弥陀様を想像して、不謹慎にも思わず笑いそうになった。
これは慎重に選ばねばなるまい。
正直な話、ご本尊を祀るかどうかもあまり考えていなかったのだが、
いつまでも父の遺影を拝んでいるわけにはいかない。
ただ、どちらかというとキリストやマリア様のほうが拝みやすい。
阿弥陀様を拝むのは中学/高校の修学旅行以来である。
そういえば、小学校のときは日光東照宮だった。
あれはいったい何を拝んでいたのやら。
自家用車で来られたお坊さんを見送った後、事務所で説明の続きを聞いた。
毎年四月初めに納骨堂の利用更新手続きをしに来なければならない。
納骨堂の利用許可証を得ると、係りの人と割り当てられた納骨堂に行った。
外観は、こう言ってはなんだが、清掃用具入れみたいに素っ気無い造りだ。
中に入っても、その印象はほとんど変わらない。
個室の広さは三畳もなく、天上には手が届きそうな感じだ。
こういった納骨堂が敷地内にたくさん散らばっているのだろう。
まあ、市営だし、永久納骨はできないのだから、このくらい質素でいいわけだが。
祭壇にお骨を置き、係りの人が式場から持ってきた仏花を活けて、お線香をあげた。
これは早いとこお墓に移してあげないといかんなあ、という気になってきた。
それが狙いなのか、この構造物は。
地元に戻り、行きつけの蕎麦屋に寄った。
ものの本によると、精進落としは本来、七七日忌の後に行うものだとか。
とすると、この蕎麦屋での遅い昼食も精進落としと言えなくはない。
それまで精進などまったくしていなかったことは忘れて、
あーやれやれ、やっと終わったねー、などと言いつつ、酒を酌み交わしたのであった。
少し蒸し暑いだけで、台風などの悪天候でなかったのはよかった。
いろいろと持ち物があるので、タクシーを呼んで行こうとしたらば、
その(霊園の)方面には行けないだの、今から行くとこれだけかかるだのと言われ、
結局、数社に電話をかけるはめになった。
我が家から霊園までは車で三十分もかからないのに、いろいろと難しいもんだ。
迎車を頼むときには余裕をもって電話すべし、だな。
霊園に着いた。見渡せないほど広い敷地だ。
事務所で手続きを済ませ、今後の管理について説明を受けていると、お坊さんのご到着。
説明が長引きそうなので、残りは後にしましょう、と式場へ。
お坊さんが袈裟を着替えている間に、係の人の手を借りてセッティングをする。
といっても、ひな壇などはすでに用意されているので、
あとは遺影や位牌や仏花などを飾るだけである。
お供物に梨を四つ用意したが、なんでも対になっていることを忘れていた。
三方は二つあるというのに、片方には何も載せるものがない。
みっともないが、今更仕方がないのでそのまま。あらあら。
準備が整い、席に着く。
式場は五十人入れるのだが、いるのはお坊さんとわたしたち夫婦だけ。
朗々とお経を上げていただき、三十分ほどで式は終了した。
これで無事に成仏してくれ、と願うばかりである。
この期に及んでもまだ実感が湧かないのは、
最期を看取ることができなかったからだろうか。
そのことをまったく悔いていないわけではないが、
さりとて物凄く後悔しているというわけでもない。
ただ、母のときは必ず側についていたい、と思う。
式の後、まったく後追いという感じだが、阿弥陀様や厨子の選び方などを伺った。
「個人的な好みですが、どこそこのお店の阿弥陀様のお顔がイイと思います」
と仰るお坊さん。やはり専門家の話は聞いておくものだ。
どこのお店でも似たようなものだろうと考えるのは素人なのだなあ。
確かに、一体一体手作りなわけだし、腕のよい職人さんを抱えているかどうか、
お店によってその差が大きいというわけなのだろう。
「なかには猿みたいなお顔もありますからね」
サル顔の阿弥陀様を想像して、不謹慎にも思わず笑いそうになった。
これは慎重に選ばねばなるまい。
正直な話、ご本尊を祀るかどうかもあまり考えていなかったのだが、
いつまでも父の遺影を拝んでいるわけにはいかない。
ただ、どちらかというとキリストやマリア様のほうが拝みやすい。
阿弥陀様を拝むのは中学/高校の修学旅行以来である。
そういえば、小学校のときは日光東照宮だった。
あれはいったい何を拝んでいたのやら。
自家用車で来られたお坊さんを見送った後、事務所で説明の続きを聞いた。
毎年四月初めに納骨堂の利用更新手続きをしに来なければならない。
納骨堂の利用許可証を得ると、係りの人と割り当てられた納骨堂に行った。
外観は、こう言ってはなんだが、清掃用具入れみたいに素っ気無い造りだ。
中に入っても、その印象はほとんど変わらない。
個室の広さは三畳もなく、天上には手が届きそうな感じだ。
こういった納骨堂が敷地内にたくさん散らばっているのだろう。
まあ、市営だし、永久納骨はできないのだから、このくらい質素でいいわけだが。
祭壇にお骨を置き、係りの人が式場から持ってきた仏花を活けて、お線香をあげた。
これは早いとこお墓に移してあげないといかんなあ、という気になってきた。
それが狙いなのか、この構造物は。
地元に戻り、行きつけの蕎麦屋に寄った。
ものの本によると、精進落としは本来、七七日忌の後に行うものだとか。
とすると、この蕎麦屋での遅い昼食も精進落としと言えなくはない。
それまで精進などまったくしていなかったことは忘れて、
あーやれやれ、やっと終わったねー、などと言いつつ、酒を酌み交わしたのであった。
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