日曜日に夫の実家へ行った。
年に数回、2~3ヶ月に1度くらいの割合で互いにご馳走しあう。
ご馳走しあうといっても、毎度おいしい手料理を振舞ってくれるのは義母のほうで、
我が家の番だと2回に1回は外食にご招待となってしまう。
でも、親子で会って楽しく飲み食いするのが目的なので、
手料理であることが特別大事というわけじゃない。
それでも今回はいつもの手土産(お酒と果物)のほかに、
2晩寝かせた「ひじき煮」を持っていった。
お刺身が好きな義父とは反対に、義母はナマモノが苦手で煮物が好きだし、
そもそも、私が何度作っても安定した味を出せるのはこのくらいしかないから。
あぁ、情けない。
始めは「肉じゃが」も考えたけれど、これこそ「お袋の味」だと思うと、
おいそれとは持っていけない(というか、いまだにうまくできなかったりする)。
それに、なんといっても義母は、料理をたくさん作っては人に振舞うのが大好きなので、
メニューがかぶったら困るのだ。
幸いひじき煮の味付けはちょうどよい濃さだったようで、義母に喜んでもらえた。
夫が薄味だと思うくらいが義母や私には合う。
たくさんの料理を頂きながら、いろいろな話をした。
不思議なもので、会う直前になるといまだに、話が盛り上がらなかったらどうしよう、
などと気に病むのに、会えばいつも3~4時間くらいあっという間に過ぎてしまう。
この頃は、すっかり寛ぎすぎて、
嫁としての遠慮や気配りといったものを忘れがちになっている気さえする。
気をつけなくちゃ。
ときどきはこどもの話になったりする。
もっとも、少し触れるだけで、義父母は次の話に移るところが微妙な距離だ。
先日、いとこの結婚式のときに叔父から、
「燈子ちゃんのところもそろそろこどもを作らなくちゃ」
と言われたが、30代後半ともなると、急にその話題が増えてくるのが煩わしい。
適当に受け流そうとする私に代わって、いとこの姉が、
「ちゃんと考えてるんだから、そんなこと言わなくていいよ」
などと叔父に言うのを聞くと、なんだか申し訳ないような気持ちになる。
(次を読む)
年に数回、2~3ヶ月に1度くらいの割合で互いにご馳走しあう。
ご馳走しあうといっても、毎度おいしい手料理を振舞ってくれるのは義母のほうで、
我が家の番だと2回に1回は外食にご招待となってしまう。
でも、親子で会って楽しく飲み食いするのが目的なので、
手料理であることが特別大事というわけじゃない。
それでも今回はいつもの手土産(お酒と果物)のほかに、
2晩寝かせた「ひじき煮」を持っていった。
お刺身が好きな義父とは反対に、義母はナマモノが苦手で煮物が好きだし、
そもそも、私が何度作っても安定した味を出せるのはこのくらいしかないから。
あぁ、情けない。
始めは「肉じゃが」も考えたけれど、これこそ「お袋の味」だと思うと、
おいそれとは持っていけない(というか、いまだにうまくできなかったりする)。
それに、なんといっても義母は、料理をたくさん作っては人に振舞うのが大好きなので、
メニューがかぶったら困るのだ。
幸いひじき煮の味付けはちょうどよい濃さだったようで、義母に喜んでもらえた。
夫が薄味だと思うくらいが義母や私には合う。
たくさんの料理を頂きながら、いろいろな話をした。
不思議なもので、会う直前になるといまだに、話が盛り上がらなかったらどうしよう、
などと気に病むのに、会えばいつも3~4時間くらいあっという間に過ぎてしまう。
この頃は、すっかり寛ぎすぎて、
嫁としての遠慮や気配りといったものを忘れがちになっている気さえする。
気をつけなくちゃ。
ときどきはこどもの話になったりする。
もっとも、少し触れるだけで、義父母は次の話に移るところが微妙な距離だ。
先日、いとこの結婚式のときに叔父から、
「燈子ちゃんのところもそろそろこどもを作らなくちゃ」
と言われたが、30代後半ともなると、急にその話題が増えてくるのが煩わしい。
適当に受け流そうとする私に代わって、いとこの姉が、
「ちゃんと考えてるんだから、そんなこと言わなくていいよ」
などと叔父に言うのを聞くと、なんだか申し訳ないような気持ちになる。
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