昨日は
私の誕生日 と もう一つの記念日でした
<息子からの差し入れ> <Birthday’s Dinner>
当時 息子は高校2年生...
帰路の電車の中で地震に遭いました。。
その日は偶然自宅に居た私...
地震後すぐには
まだ通話ができたので 携帯で息子と会話
(当然...)
電車は駅の手前で止まり
車両から降ろされて 最寄り駅までは歩くことになる..
振り替え輸送のバスで 乗り換えの駅までは行ける..
さて その先の自宅駅まではどうなっているか
最悪は 歩いて帰る... 云々
自宅までは一度乗り換えなくてはならないのに
電車は不通になって 再開の目途はわからない
その時点では全く予測できませんでしたが
交通が遮断され
[帰宅難民] という事態に陥ったのでした。。
たった一駅のことでしたが...
息子は県境の川を渡って 歩いて自宅に帰ってきました
その日、日の入りは17時45分..
18時を過ぎた薄暮の人ごみの中
対岸から橋を渡って来る息子を
こちら側から歩いて迎えに行く..
その日の光景を忘れはしません。。
[帰宅難民]となった夫は
当夜は会社のデスクで休み
翌朝 電車の運行再開を待って帰路に就く。。
ようやく辿り着いたのは、昼過ぎのこと
あの日の体験
TVで観た現地の様子
それから 十年経ちましたが。。。
わたしはあまりそういった被害はなく…なんせ旅行中の車の中でした。
その後の時間停電の体験のほうが記憶に残っています。
冷凍庫のものが溶けない程度の停電に配慮されているんだねーとか、夜に電気がなく懐中電灯で過ごしたりーとか。
最近「朝顔」というドラマをみて、震災で大切な人をなくした気持ちをかみしめています。
応援p★
10年前...
3月11日は金曜日でしたから
都内通勤者たちは 夜通し
マイホームを目指して
それぞれの街道を歩いたり、
急遽 自転車を買って
自転車で自宅を目指したのです💦
通勤圏の大道は
普段は車が横行するのに
ゾロゾロと大勢の人々が歩いていた光景
異常でした💦
きょうは
当時の被災地の津波の映像を放送していましたね。。
ショッキングな映像ですが...
渦中となった人たちの無念さをしっかり
目に焼き付ける意味で 直視しなければならない...
そして 生き延びたものに与えられた課題...
国にはもっと親身に寄り添ってもらいたい...
などなど 複雑な心境になる日 ですね。。