断薬からの道のり

~長年飲んできた向精神薬を2010年1月3日に全部やめました。断薬初日からまる2年間の離脱症状経過などを記載しています~

冷えとり座談会のお知らせ&神はわがからだなり 2

2011年10月11日 | 向精神薬の離脱症状
こんにちは!

10日も間があいてしまいました。
私は、先週珍しく大風邪をひいて、まる3日間寝込んでしまい、
熱が下がってもなかなかスッキリ良くならず、いまだにグズグズしています。
先週行けなかった病院関係、先週できなかった仕事などを今やっているので
そんなに忙しいはずはないのに、なんだか気持ちだけが焦っているみたいです。
風邪が抜けないので気持ちもスッキリせず、いろんなものが抜けるのを待っているような感じです。

毎朝「さむっ!」と思い、厚着して外に出て
昼過ぎに「あぢぃ~」と、必ずズボン下を1枚か2枚ぬぐという毎日。
風邪をこじらせたくないので、衣類調節に必死です(笑)


さて!
今年最後の相模原安家座の冷えとり座談会、お知らせです。

☆10月24日(月)13時から~未定☆
先日とても久しぶりに、アカザの鈴木さんと話をしました。なんだかノッてらっしゃいました!
(とっても元気な気分にさせていただきました。きっと鈴木さんは、何が?とおっしゃると思うのですが、たぶんとっても鈴木さんがお元気なんだろうと思います)

1日に行われたスイートサイトさんでの座談会は、大盛況に終わったそうです。
スイートサイトさんではさらに、今週末に「ヒエラン」(ひえとりらんちの略のようです)を開催されると伺っていたのですが
わけあって、延期になったようです。気になる方はスイートサイトさんまでお問い合わせくださいね。

私は今日、朝からリハビリセンターというところに行ってきました。
自分の体のことを理解し、治してくれる医師はいなくても
この症状のせいで起こる硬直やしびれ、異常なコリの相談ができるところはあるんじゃないかと思い、区役所の方に相談して教えていただいたところです。
結果から言うと、「何も力にはなれない」とのことでしたが
なんでも、私の体は普通よりも関節がやわらかく、自分でできることはやっているのがよくわかる
指導するまでもなく、残念ながら力添えをしてあげられる施設ではない とのことで

ただ、ケースがケースなだけに、なのか
そういう場所だから なのかわからないのですが、診察に1時間近くもかけていただき、追い返されることもなく
とっても親身に話をしてくださったので、行って損はなかったと思いました。
逆に、「これが本来だよな、追い返す医者のほうがおかしいよなー」と思いました。
混んでいる電車に乗ると、人間模様?のようなものもたくさん見えて
これが毎日だったら、すっごくせわしなくて疲れるな とか
自分の体力がないからそう思うだけかな と思ったりとか
いろいろ思いながら都会のラッシュにいました。


*****


神はわがからだなり の続きを書こうとずっと思ってました。
ちょっと、流れで書いてしまいます。


具合が悪くなったあたりから私は特に猛烈に
「自分はどこから来てどこに行くのか、何が自分の嗜好を決めて、自分という人間ができあがっているのか
正しいことって何なのか
どういうことに自分は本気で満足して、どうしたら不満がなくなるのか
何が本当の幸せなのか」
みたいなことを考え出しました。

おぼろげながら、思春期からずっとそういうことを考えてきた人なのですが
仕事とか病気とかお金とか恋愛とか結婚とか
みんなが言う価値観とか、見えるものしかわからないことになんだか不安を覚えるようになってきて、
何か本当に信じられるものがあったら生きていきやすいし、迷わないし、不満もなくなる、病気もなくなる と思いだしてきて
宗教学を勉強したりとか、宗教家の友人の話を聞いてみたりだとか
心理学の本、哲学、観念の勉強とか、やたら体を動かしてみたり、
低俗な欲求にとことん従ってみたりとか、夢の研究とか
風水・占い、旅に行くときは『先祖がいそうなところを探す』ことを心がけて出かけてみたりとか

なんだかいろいろやってみました。
でも、結局ピンとくるものが見つからず、気づいたら薬漬けになっていました。

あたまもからだも動かなくなって早6~7年。
冷えとりを知りました。
最初は、「これをやったら痩せる」から始まり
次に、「これをやっていれば薬を抜くことができる」
今は、「これをやっていれば元気になれるかも」
と同時に、「なんとなく自信がついてきた」 になってきました。

薬を使わないで、自然治癒力で自分が治す もしくは治ろうとしているからだのお手伝いが自分でできる という考え方が、すごく気に入っているのです。
今までの自分の決断の中でも、3本の指に入るくらいの自負というか。

本当に治るか治らないかはわかりません。
まだ全然、治っていませんから。最初は治るもんだ、治さなきゃ ってガチガチしていて
治らないのに靴下いっぱい履いて、毎日長時間半身浴をすることがアホらしくなった時期もあり
「アホくさ!もう冷えとりなんぞ信じない」 と思ったときもありました。

最近はそういうことも考えなくなってきて
ただ、自分の中で「自分が治す、その努力をする」その上で
「治るも八卦、治らぬも八卦」みたいな心境になることが多いです。

くっそー と涙することも多々ありますが
そんなヒマがあったら、仕事しよう と思ったりしてます。

そういう考え方をしている自分が、わりと好きになっています。
前は、自分が好き なんて、あまり思ったことがなかったんです。(この人といるときのこういう自分が好き はありました)

冷えとりを宗教みたい という人もいます。
私も、そんな感じに思うこともあります。自分も冷えとり信者のひとりかもしれません。そういうのもどうでもいいや って感じです。

ヒンズー教もキリスト教も仏教も、いいことたくさん言っていて、すごいな素晴らしいなと感動すること考え方がよくありました。
でも、自分の中で神はひとつだけど、それが外のものであると言われることがなんだか腑に落ちなくて、宗教ごとに違うっていうのもなんでそうなるのか突き詰める気がしなくて
ただずっと、ヒンズーの言う「宇宙はひとつ、ひとつが宇宙でそれが神」みたいな考え方がなんとなく合っている気がするなあ
と思っていて
冷えとりと出会い、この体になり、身をもってありえない症状や自然治癒の過程を体験する中で
「誰にも治せない。他人にはわからない」
「ならば誰なら知っているか」
「人間が人間を作ったのではないのだから、人間ではない、神」
「神はどこなのか」

そうしたら、神はこのからだ自体なんだということに落ち着きました。
今まで、知りたかったけど誰に聞いてもわからなかった事実が、これなんだと自分の中で納得しました。

「青い鳥」みたいなオチですね。なんでもそうなのかもしれないです。

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