☆■今朝の富士山
★お正月3日の朝は、雨が降っている。早朝の気温は、1℃だが風も無く湿度がたかいせいかそんなに寒くは感じない。今日も昨日に続き今この時間、テレビで箱根駅伝を観ている。昨日の往路では東洋大が最後の5区で早稲田に逆転し、3大会連続の往路優勝でおわった。今日復路のレース6区地点へは、1位早稲田、2位東洋大、3位駒大の順になっていた。今朝の箱根の山々も雪化粧し、綺麗だったが道路には積雪は無かった。今日も、激しいレースが展開されるだろうがテレビで応援したい。又第89回全国高校サッカー選手権大会では、立正大淞南(島根)が帝京大加児(滋賀)と野洲(滋賀)を破り3回戦進出。今日は新潟西(新潟)との対戦だが、是非とも勝ち進んで欲しい。
新年のチラシ広告にて、年賀状の末尾2桁番号のお楽しみがあった。今朝のドラッグストアーチエーンでは2枚、又先日の大型店が5枚と楽しみが有る。ポイント10倍や2~%割引等のサービスだ受けられるとか!年末ジャンボは、残念らがら又も見事に外した。聞く所に依れば、日本からフィリッピンまでのボーリングのピンを狙う位の確率とか。
これまでの実績は、3千円・1万円が各1回当たっただけで有る。まあ夢を買うと思えば、良いのだろう!
昨日は11時前から運動を兼ね、柿本神社へ徒歩にて初詣に出掛ける。距離は片道2Km前後だろうと思へ、時間にして25分掛かった。前日の元旦が悪天候だったせいか、これまでに無く拝殿には長い列が出来ていた。約15分ばかり並んで、家族や親族の健康と無事をお祈りして帰る。天気が回復すればもう1社、津和野稲荷神社・防府天満宮・萩松陰神社などの中から選びたいと思っている。
☆昨日の柿本神社
・高津柿本神社
津柿本神社(たかつかきのもとじんじゃ)は、島根県益田市高津町に鎮座する旧県社。歌聖柿本人麿を祀る神社で、正式名称は柿本神社。柿本人麿を祀る柿本神社は日本各地に存在するが、その本社を主張している。鎮座地は丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂に位置し、境内を含めた一帯は祭神にちなんで、昭和50年代から島根県立万葉公園として整備されている。
・歴史
晩年に国司として石見国に赴任した柿本人麿が、和銅年間に「鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらん」の辞世の歌を詠んで益田川河口(旧高津川河口)の鴨島に没したので、神亀年間にその霊を祀るために石見国司が聖武天皇の勅命を受けて鴨島に人丸社を創祀したのに創まるといい、また天平年間には人丸寺も建立したという。
人麿の没年には、慶雲4年(707年)説、和銅2年(709年)説、神亀元年(724年)説などがあって定かではなく、またその終焉伝承地も安来市の仏島など島根県内だけでも各所にあって定説を見ないが、当神社の西方4kmほど離れた益田市戸田町の戸田柿本神社には人麿が柿の木の下で生まれたという樹下誕生譚や遺髪塚があり、当地一帯が柿本氏と縁のあったことが想定できる。ちなみに高津町や戸田町は、古く石見国美濃郡小野郷に相当し、郷名は古代豪族小野氏の移住、開拓に由来するとされるが、柿本氏はその小野氏の支族である。
万寿3年(1026年)の地震とそれに伴う大津波で鴨島とともに海中に没したが、神像は高津の松崎に流れ着いたため、その地に社殿と別当寺としての人丸寺が再建された。その後、後鳥羽天皇の時代には石見国司平隆和によって社殿の改築と水田10町歩の寄進が行われている。
江戸時代に石見銀山奉行の大久保長安による造営と金の灯籠が献納され、更に延宝9年(天和元年とも、1681年)風水難を案じた津和野藩主亀井茲親によって高津城のあった現在地に移築された。同じ頃、都にあっては霊元上皇が古今伝授に際して祈祷を命じたり、後に宸筆の御製歌を奉納したりと和歌の神として崇敬し、享保8年(1723年)、柿本人麿の一千年祭と称して「柿本大明神」の神号と正一位の神階が宣下された。また現地にあっても一千年祭を斎行するとともに、別当人丸寺を真福寺と改称している。以後歴代天皇を始め親王や公卿にあっては特別に法楽を営んで和歌を短冊に認めて奉納、歌道の上達を願う風が流行する一方、津和野藩では享保13年(1728年)に社領13石を寄せ、石見産紙の祖神に位置づけて、藩内第一の神社と崇めた。
慶応元年(1865年)に真福寺を廃して社号を「柿本神社」に改め、近代社格制度では県社に列した。
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【夢を実現する今日の一言】
・困難は、やりたいことがあれば「楽しみ」、
やりたいことがなければ「苦しみ」
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過去の出来事・トピックス
・戊辰戦争起こる(1868)
・NHK第1回紅白歌合戦がラジオで放送(1951)
・千葉・船橋に日本初のヘルスセンター開場(1955)
・アラスカがアメリカ合衆国の49番目の州に昇格(1959)
・米・キューバ国交断絶(1961)
・黄金に包まれたツタンカーメン王の墓発見(1922)
1922年のこの日、英考古学者のハワード・カーターらによって、エジプト第18王朝のツタンカーメン王の墓が発見された。金のマスクをつけた王のミイラは黄金製の棺の中にあり、豪華な金銀を施した無数の副葬品とともに眠っていた。ファラオ(エジプト王)の墓としては、唯一盗掘の難にあっていない無傷の発見となった。発掘後まもなく、発掘責任者でありスポンサーだったカーナーヴォン卿をはじめ、発掘に関係した人々が次々と不思議な死に方をしたことから「ファラオの呪い」と噂された。
☆記念日・年中行事・お祭り
☆本日の誕生日
・柳葉敏郎(俳優・1961)、吉田栄作(俳優・1969)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・スノードロップ(ヒガンバナ科)
・「初恋のため息」

☆「きょうの一句」
・たのしきらし我への賀状妻が読み 加藤楸邨(しゅうそん)
~心に響く366の寸言~
【機前 1】
度会家行(わたらいいえゆき)の
「類聚神祗本源(るいじゅうじんぎほんげん)」に
「志す所は機前を以(もっ)て法と為(な)し、
行ずる所は清浄を以て先と為す」
と言っておる。
機前とは、一日で言うなら、日が出て鶏が鳴き出す、
人間世界のいろいろな営みが始まる、
こういう働きを機というから、
その前で、暁であり早朝である。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
☆1月3日 松下幸之助[一日一話]
<不確実な時代はない>
不確実性の時代と人はよく言います。事実、思わぬことが次つぎと起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。なぜなら、不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な考えを持ち、不確実な行動をするところに起こってくるものだと思うからです。
だから、不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。
未来は“確実性の時代”だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ、今日、私たちお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 527日
・昨日、1月2日のアクセス数 閲覧数:317,訪問者数:148,トータル閲覧数(PV):114517,トータル訪問者数(IP):50447,
アクセスランキング:1516203ブログ中・順位 9405(ランキング順位は上位10000件まで)
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8)
★お正月3日の朝は、雨が降っている。早朝の気温は、1℃だが風も無く湿度がたかいせいかそんなに寒くは感じない。今日も昨日に続き今この時間、テレビで箱根駅伝を観ている。昨日の往路では東洋大が最後の5区で早稲田に逆転し、3大会連続の往路優勝でおわった。今日復路のレース6区地点へは、1位早稲田、2位東洋大、3位駒大の順になっていた。今朝の箱根の山々も雪化粧し、綺麗だったが道路には積雪は無かった。今日も、激しいレースが展開されるだろうがテレビで応援したい。又第89回全国高校サッカー選手権大会では、立正大淞南(島根)が帝京大加児(滋賀)と野洲(滋賀)を破り3回戦進出。今日は新潟西(新潟)との対戦だが、是非とも勝ち進んで欲しい。
新年のチラシ広告にて、年賀状の末尾2桁番号のお楽しみがあった。今朝のドラッグストアーチエーンでは2枚、又先日の大型店が5枚と楽しみが有る。ポイント10倍や2~%割引等のサービスだ受けられるとか!年末ジャンボは、残念らがら又も見事に外した。聞く所に依れば、日本からフィリッピンまでのボーリングのピンを狙う位の確率とか。
これまでの実績は、3千円・1万円が各1回当たっただけで有る。まあ夢を買うと思えば、良いのだろう!
昨日は11時前から運動を兼ね、柿本神社へ徒歩にて初詣に出掛ける。距離は片道2Km前後だろうと思へ、時間にして25分掛かった。前日の元旦が悪天候だったせいか、これまでに無く拝殿には長い列が出来ていた。約15分ばかり並んで、家族や親族の健康と無事をお祈りして帰る。天気が回復すればもう1社、津和野稲荷神社・防府天満宮・萩松陰神社などの中から選びたいと思っている。
☆昨日の柿本神社
・高津柿本神社
津柿本神社(たかつかきのもとじんじゃ)は、島根県益田市高津町に鎮座する旧県社。歌聖柿本人麿を祀る神社で、正式名称は柿本神社。柿本人麿を祀る柿本神社は日本各地に存在するが、その本社を主張している。鎮座地は丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂に位置し、境内を含めた一帯は祭神にちなんで、昭和50年代から島根県立万葉公園として整備されている。
・歴史
晩年に国司として石見国に赴任した柿本人麿が、和銅年間に「鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらん」の辞世の歌を詠んで益田川河口(旧高津川河口)の鴨島に没したので、神亀年間にその霊を祀るために石見国司が聖武天皇の勅命を受けて鴨島に人丸社を創祀したのに創まるといい、また天平年間には人丸寺も建立したという。
人麿の没年には、慶雲4年(707年)説、和銅2年(709年)説、神亀元年(724年)説などがあって定かではなく、またその終焉伝承地も安来市の仏島など島根県内だけでも各所にあって定説を見ないが、当神社の西方4kmほど離れた益田市戸田町の戸田柿本神社には人麿が柿の木の下で生まれたという樹下誕生譚や遺髪塚があり、当地一帯が柿本氏と縁のあったことが想定できる。ちなみに高津町や戸田町は、古く石見国美濃郡小野郷に相当し、郷名は古代豪族小野氏の移住、開拓に由来するとされるが、柿本氏はその小野氏の支族である。
万寿3年(1026年)の地震とそれに伴う大津波で鴨島とともに海中に没したが、神像は高津の松崎に流れ着いたため、その地に社殿と別当寺としての人丸寺が再建された。その後、後鳥羽天皇の時代には石見国司平隆和によって社殿の改築と水田10町歩の寄進が行われている。
江戸時代に石見銀山奉行の大久保長安による造営と金の灯籠が献納され、更に延宝9年(天和元年とも、1681年)風水難を案じた津和野藩主亀井茲親によって高津城のあった現在地に移築された。同じ頃、都にあっては霊元上皇が古今伝授に際して祈祷を命じたり、後に宸筆の御製歌を奉納したりと和歌の神として崇敬し、享保8年(1723年)、柿本人麿の一千年祭と称して「柿本大明神」の神号と正一位の神階が宣下された。また現地にあっても一千年祭を斎行するとともに、別当人丸寺を真福寺と改称している。以後歴代天皇を始め親王や公卿にあっては特別に法楽を営んで和歌を短冊に認めて奉納、歌道の上達を願う風が流行する一方、津和野藩では享保13年(1728年)に社領13石を寄せ、石見産紙の祖神に位置づけて、藩内第一の神社と崇めた。
慶応元年(1865年)に真福寺を廃して社号を「柿本神社」に改め、近代社格制度では県社に列した。
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【夢を実現する今日の一言】
・困難は、やりたいことがあれば「楽しみ」、
やりたいことがなければ「苦しみ」
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過去の出来事・トピックス
・戊辰戦争起こる(1868)
・NHK第1回紅白歌合戦がラジオで放送(1951)
・千葉・船橋に日本初のヘルスセンター開場(1955)
・アラスカがアメリカ合衆国の49番目の州に昇格(1959)
・米・キューバ国交断絶(1961)
・黄金に包まれたツタンカーメン王の墓発見(1922)
1922年のこの日、英考古学者のハワード・カーターらによって、エジプト第18王朝のツタンカーメン王の墓が発見された。金のマスクをつけた王のミイラは黄金製の棺の中にあり、豪華な金銀を施した無数の副葬品とともに眠っていた。ファラオ(エジプト王)の墓としては、唯一盗掘の難にあっていない無傷の発見となった。発掘後まもなく、発掘責任者でありスポンサーだったカーナーヴォン卿をはじめ、発掘に関係した人々が次々と不思議な死に方をしたことから「ファラオの呪い」と噂された。
☆記念日・年中行事・お祭り
☆本日の誕生日
・柳葉敏郎(俳優・1961)、吉田栄作(俳優・1969)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・スノードロップ(ヒガンバナ科)
・「初恋のため息」

☆「きょうの一句」
・たのしきらし我への賀状妻が読み 加藤楸邨(しゅうそん)
~心に響く366の寸言~
【機前 1】
度会家行(わたらいいえゆき)の
「類聚神祗本源(るいじゅうじんぎほんげん)」に
「志す所は機前を以(もっ)て法と為(な)し、
行ずる所は清浄を以て先と為す」
と言っておる。
機前とは、一日で言うなら、日が出て鶏が鳴き出す、
人間世界のいろいろな営みが始まる、
こういう働きを機というから、
その前で、暁であり早朝である。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
☆1月3日 松下幸之助[一日一話]
<不確実な時代はない>
不確実性の時代と人はよく言います。事実、思わぬことが次つぎと起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。なぜなら、不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な考えを持ち、不確実な行動をするところに起こってくるものだと思うからです。
だから、不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。
未来は“確実性の時代”だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ、今日、私たちお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 527日
・昨日、1月2日のアクセス数 閲覧数:317,訪問者数:148,トータル閲覧数(PV):114517,トータル訪問者数(IP):50447,
アクセスランキング:1516203ブログ中・順位 9405(ランキング順位は上位10000件まで)
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8)

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