たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

夫婦でいく温泉列島にっぽん横断列車の旅5日間(10/26の3日目)

2011-11-01 07:20:06 | 旅行

☆富士山ライブカメラ(忍野カメラ) 今朝7:17

☆広島県北広島町R191沿いの紅葉(昨日13時過ぎ頃)

☆遠くに見えるのは、ぶなの森と名水「雪霊水」の山、臥龍山(がりゅうさん) 1223M :広島県北広島町

★カレンダーが新しくなり、今日から11月に入った。今朝の当地方は、雲一つない快晴の天気となっている。早朝の気温は、10℃だったがそんなに冷たくは感じなかった。
昨日は、7時過ぎに自宅を出て次男宅へトンボ帰りして来た。孫達は、一昨日が学校の文化祭だったらしく、昨日は休みで家にいた。広島は気温が高く、23℃もあり暖かかった。R191沿いの山も、1週間前より紅葉も進み山が奇麗だった。紅葉も5~6割程度で、朝晩冷え込むので来週辺りが見頃になるであろう?お気に入りで有る「匹見峡」へ、来週は出掛けて見ようと思っている。
さて旅日記も3日目、新大阪から乗車した「寝台特急 日本海」にて夜を過ごす。「寝台特急 日本海」の車内では、中々寝つけず金沢付近が夜10時頃通過まで起きていた。それ以降は、車内放送もなく、静かになったので富山の高岡では寝ていた様である。やはり、寝台列車は揺れるので熟睡は無理で仮眠程度である。金沢通過時点では、風の為20分位の遅れだった。しかし、新青森駅には遅れを取り戻し定刻に到着。秋田駅に5時半頃着いた頃より、夜が明け景色が見える様になる。列車には、北海道の私立高校の生徒さんの団体100人位も同乗していた。その添乗員さんとは、2回も一緒になりお話を聞いた。話によると、沖縄で2泊・関西で1泊・往復の車中2泊で15万円位の予算とか!随分贅沢な修学旅行だなと感じる。新青森駅から特急スーパー白鳥で、青函トンネルを通るのも初めてだった。以前トンネル博物館へは、訪れた事はあった。その青函トンネル:全長53.85km、海面下240m。1988年3月13日、営業を開始した青函トンネルは、北海道と本州を結ぶ大動脈として活躍中。3日目も殆んどが移動でつぶれ、観光は函館朝市見物と登別温泉の地獄谷観光のみだった。では、3日目の様子をフォトチャンネルにて!
☆夫婦でいく温泉列島にっぽん横断列車の旅5日間(10/26の3日目)
【3日目】夜行の寝台特急 日本海■■■新青森駅(8:38着)(9:13発)■■■スーパー白鳥95号■■■函館駅(11:38着)函館朝市見物(12:30発)■■■スーパー北斗9号■■■登別駅(14:39着)ーータクシーにて登別温泉(15:10頃着)到着後は、北海道遺産の地獄谷観光等で夕食
・寝台特急 日本海
 特急「日本海」は、大阪と青森を結ぶ急行列車として1947年7月に運転を開始し、1950年11月に「日本海」と名付けられた。その後1968年に特急列車化されている。
京阪神と東北地方を結ぶ列車としては、1924年7月31日の羽越本線全通時に、神戸駅 - 青森駅間で運転を開始した急行列車が最初である。
関西と東北地方を結ぶ夜行バス路線の北限が仙台市と山形市であるため、当列車が山形県庄内地方・秋田県・青森県を結ぶ唯一の夜間移動手段となっている。修学旅行生の団体などの利用も多い。
 登別温泉
登別温泉(のぼりべつおんせん)は、北海道登別市にある温泉で、北海道屈指の温泉地である。江戸時代からその存在を知られており、明治時代に温泉宿が設けられてからは保養地、観光地となった。地名語源は、アイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)。温泉の成分が川に流れ込んだ様を表現した地名である。

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【夢を実現する今日の一言】

・毎日できることを

 一生続ける覚悟が

 不可能を可能にする

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~今日は何の日~
☆歴史上の出来事
▼山手線が環状運転開始(1925),▼ラジオ体操放送開始(1928),▼国体始まる(1946),▼歩行者は右側、車は左側の対面交通実施(1949),▼マーストリヒト条約発効によりEUが正式発足(1993)
☆記念日・行事・お祭り
●計量記念日(経済産業省),●灯台記念日(国土交通省),●本格焼酎の日(日本酒造組合中央会),●玄米茶の日(全国穀類工業協同組合),●犬の日(ペットフード工業会),●紅茶の日(日本紅茶協会),●すしの日(全国すし商生活衛生同業組合連合会)
☆今日の誕生日
▼萩原朔太郎(詩人・1886),▼亀井静香(政治家・1936),▼田中将大(野球選手・1988)
☆クローズアップ!
・新しいことを探し“やってみなはれ”を実践した佐治敬三
 1919年11月1日、サントリー元社長の佐治敬三が大阪に生まれた。41歳で、父・鳥井信治郎が創業した同社社長に就任。赤坂や新橋の高級料亭でウイスキーが日本料理と一緒に出されているという情報を待た佐治は、「ウイスキーと日本料理」の組み合わせを普及させようと決意。はじめ寿司屋や割烹店などを訪問した社員は、罵声を浴びたり塩をまかれたりしたとか。しかし、新しい市場開拓を目指した努力の結果は、見事に成功。このほか、多岐にわたって事業を展開した佐治は「エトバス・ノイエス(ドイツ語で“何か新しいことがありますか”)」を追求し、サントリーの社是「やってみなはれ」の精神を実践し続けた。
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☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・サクラタデ(タデ科)
・愛くるしい

・次の間に人のぬくみや暮の秋  山上樹実雄(きみお) 

☆~心に響く366の寸言~
 ・今日の言葉~「安岡正篤 (やすおか まさひろ)一日一言」より(致知出版社刊)
【寸陰を惜しむ】
どんな忙人にでも、寸陰というものはある。
 ちょっとした時間というものは必ずある。そのちょっとした時間をつかむのです。これに熟練をすれば、案外時間というものはあるものです。
 寸陰を惜しんでやっていると、その寸陰が、長い時間と同じ、あるいはそれ以上の値打を生じてくる。
☆11月 01(火): 松下幸之助[一日一話]
【人の世は雲の流れの如し】
 青い空に、ゆったりと白い雲が流れていく。常日ごろ、あわただしさのままに、意識もしなかった雲の流れである。速くおそく、大きく小さく、白く淡く、高く低く、ひとときも同じ姿を保ってはいない。崩れるが如く崩れざるが如く、一瞬一瞬その形を変えて、青い空の中ほどを、さまざまに流れてゆく。
 これはまさに、人の心、大のさだめに似ている。人の心は日に日に変わっていく。そして、人の境遇もまた、きのうときょうは同じではないのである。喜びもよし、悲しみもまたよし、人の世は雲の流れの如し。そう思い定めれば、そこにまた人生の妙味も味わえるのではないだろうか。
タイトル:「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 829日
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆今年2回目の草津温泉は湯畑にて(10/28 AM8:50)。草津温泉(くさつおんせん)とは、群馬県吾妻郡草津町(旧国上野国)にある温泉のことである。林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関に格付けされた、日本を代表する名泉の一つである。

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