ここ最近、アタマの中に聴こえてる音がまるっきり変わってきた。今までは自分の中に聴こえてる音は確実に弾けてた、ホントに。というより、それしか出来なかったし、ギター始めた頃からずっとそれを目標にしてた。それが今は弾けない。右手が対処できてないし、ちょっと曇って聴こえる。以前のようにハッキリとは聴こえない。「ジャズ・フレーズ」とか、あまり聴こえてこなくなった。雰囲気がなんだか抽象画っぽい音の塊、とそれしか分からない。どうやってギターで弾くんですか?って感じ。実はそれがちょっと心配。ギター弾けなくなりそうで、ちょっと怖い。
インプロヴァイズしてる時、同時に複数のメロディーを弾く、ということにスゴく興味があって。ベースとトップのメロディー、とかじゃなくて、複数のメロディーが、こう、それぞれ独立しつつも理にかなってる、って感じ。聴こえてきそうで聴こえてこない。聴こえてるんだろうけど、今の僕のレベルでそれを理解して実際に弾くことはまだ無理な感じ。弾いててちょっと引っ掛かる。
で、守りに入って、「インプロヴァイズ」という名の「パターン」というか「テグセ」をいつものように当てはめて弾く自分がいて。パターンを組み合わせるその行為を「インプロヴァイズ」と。それは、最初から譜面に書いてある音符を弾いてるのと同じかも、とか思ってかなり凹む。そんな自分がまわりに「ジャズ・ミュージシャン=インプロヴァイザー」って認識されるのにちょっと違和感がある。ラフに演奏するのが即興だ!、ってワケでは決して無くて、、、むしろ、その逆というか。
僕の自分勝手な推測ですが、クラシック音楽をやっている音楽家は、演奏時、その思考というか意識は、常に未来にあると思うのですよ。僕はジャンルに関わらず演奏時は、ちょっと未来にいるんですけど。そうやってこれから弾くモノに「保険」かけてる。なので間違えないし。次に弾くモノが分かってるから。自分が二十歳の頃、ジャズ・スタンダード演奏してる録音とか聴くと、もう、ホントにありえないくらい下手なんだけど、今の僕よりぜんぜん優れたインプロヴァイザー。テグセとか技術とかないから、その場でなにかを「創ろう」と必死になってるのかも。意識が「今」にあるのが分かるのですよ。「今を生きる」って言ったヒトがいましたが、もう、ホントにそれしかないと思う。
で、最近。なるべく「今」にいようと、そう思うようになってきてて。ホントに「今」にいると、なにも聴こえてこないハズ、とか思うのです。一瞬先に聴こえたモノを弾く、というのとは違う。それは時差があるから。「今」にいないと。自分自身が音楽の一部にならないと「今」を弾くのは出来ないと思うのですよ。その行為はとてつもなく怖いコトだな、と。自分の演奏に「保険」かけれない。精神的にマッチョにならないと。で、そういう音楽家とか演奏を聴いてる人はどうなんでしょう?そういうのも「音楽」としてアリなのかな、、、。マッチョ・インプロヴァイザーの単なるエゴで、そういう演奏を聴いてる人は、それを「音楽」として受け入れてくれないのでは?とか思うと、もう、ワケが分からない。
で、本日の結論。
ギターがもっと上手くなりたい。
インプロヴァイズしてる時、同時に複数のメロディーを弾く、ということにスゴく興味があって。ベースとトップのメロディー、とかじゃなくて、複数のメロディーが、こう、それぞれ独立しつつも理にかなってる、って感じ。聴こえてきそうで聴こえてこない。聴こえてるんだろうけど、今の僕のレベルでそれを理解して実際に弾くことはまだ無理な感じ。弾いててちょっと引っ掛かる。
で、守りに入って、「インプロヴァイズ」という名の「パターン」というか「テグセ」をいつものように当てはめて弾く自分がいて。パターンを組み合わせるその行為を「インプロヴァイズ」と。それは、最初から譜面に書いてある音符を弾いてるのと同じかも、とか思ってかなり凹む。そんな自分がまわりに「ジャズ・ミュージシャン=インプロヴァイザー」って認識されるのにちょっと違和感がある。ラフに演奏するのが即興だ!、ってワケでは決して無くて、、、むしろ、その逆というか。
僕の自分勝手な推測ですが、クラシック音楽をやっている音楽家は、演奏時、その思考というか意識は、常に未来にあると思うのですよ。僕はジャンルに関わらず演奏時は、ちょっと未来にいるんですけど。そうやってこれから弾くモノに「保険」かけてる。なので間違えないし。次に弾くモノが分かってるから。自分が二十歳の頃、ジャズ・スタンダード演奏してる録音とか聴くと、もう、ホントにありえないくらい下手なんだけど、今の僕よりぜんぜん優れたインプロヴァイザー。テグセとか技術とかないから、その場でなにかを「創ろう」と必死になってるのかも。意識が「今」にあるのが分かるのですよ。「今を生きる」って言ったヒトがいましたが、もう、ホントにそれしかないと思う。
で、最近。なるべく「今」にいようと、そう思うようになってきてて。ホントに「今」にいると、なにも聴こえてこないハズ、とか思うのです。一瞬先に聴こえたモノを弾く、というのとは違う。それは時差があるから。「今」にいないと。自分自身が音楽の一部にならないと「今」を弾くのは出来ないと思うのですよ。その行為はとてつもなく怖いコトだな、と。自分の演奏に「保険」かけれない。精神的にマッチョにならないと。で、そういう音楽家とか演奏を聴いてる人はどうなんでしょう?そういうのも「音楽」としてアリなのかな、、、。マッチョ・インプロヴァイザーの単なるエゴで、そういう演奏を聴いてる人は、それを「音楽」として受け入れてくれないのでは?とか思うと、もう、ワケが分からない。
で、本日の結論。
ギターがもっと上手くなりたい。
すごく、ためになる記事です。Takaさんの音楽に対する姿勢に改めて感動!
> 「テグセ」をいつものように当てはめて弾く自分がいて。
> パターンを組み合わせるその行為を「インプロヴァイズ」と。
> それは、最初から譜面に書いてある音符を弾いてるのと同じかも、
> とか思ってかなり凹む。
手癖は個性と思います。そういうもんじゃないんでしょうか?
パターンっていうのはある意味音を出すためのベースになるんじゃないかなぁ?
文章だけだから実はよくわかってないのですが、、、
私の想像なんですが、
次の音を出すための準備ってジャンルを問わず必要で、
「今」という要素の中には「過去(準備」」と「未来(音楽の流れの予測)」っていうのが
含まれてるんじゃないかなぁって思うんです。
過去と未来を省いた状態の「まさしく今」だけの「今」がいいんだろうか・・
書いててよく分からなくなってきた。。
というか、Takaさんの記事を見て
料理ばっかり熱中してるわけにはいかないなぁって思いました。。
私ももっとうまくなりたい!(いや、練習はしてますけどね。。)
料理は、音楽と似てると思うんですよ。
放っておくと下手になるし、同じレシピを回数重ねればうまくなる。
煮込めば味わいが出るし、自分の味は個性に繋がる。
なんか久々に楽しく色々考えちゃいました♪
長文失礼しました。。
自分の了見でしか語れませんけれど、パターンって、
ことさらに避けるのも不自然かなって、思います。
はじめてピアノに触ったようなちっちゃい小だと、
ほぼ全てが「今」でしょうか・・・。
デタラメ。でもそのこが弾く音の広がりの中には、
大人がテグセとか、古典とか思ってる音列もあったり
する(笑)。
全部平等に存在するんですね。
(それって、私は好きですが、音楽かどうかは微妙(笑))
・・・ぢゃ、なにが良いのか?
いろんなことしってる子供、でしょうか(笑)
とりあえず、頭の中、真っ白にして音楽してみたいな、と。
まあ、そんなふうに思ってる人もおります、はい。
彼らと一日、精一杯遊んでみるのも如何でしょうか 音楽を離れて
大穴で スティーブン や エラリオ翁 と夢中で遊ぶもアリですか!?
チャンバラ!?
僕は今この瞬間に浮かんだ事を過去の蓄積を踏まえて未来に向かって行くんだが、「今」と言うのは経過にすぎないかもしれない。
僕もまちっこさんの言うように、現在・過去・未来は全て同じ1つの連続体だと思うのです。
伝統工芸の修行で
「上手く造ろうと思うな。ただ造り続けなさい。」
と聞いたことがある。
未来を考えずに今、この瞬間を表現すると言うのは、過去の蓄積を吐き出す作業じゃないでしょうか?
そして残ったものが己の本質?
今は悩んでもいいんですよ。
なによりTakaさんには音楽・製作共に素晴らしい師匠が居るのですから。
メチャクチャ羨ましいですよ。
長々書いてしまったが、答えになってないかも。
と、書いた僕自身が良く分かって無かったりするのです。
>次の音を出すための準備ってジャンルを問わず必要で、「今」という要素の中には「過去(準備」」と「未来(音楽の流れの予測)」っていうのが含まれてる
これはスゴく深いですね。ジャズ・ミュージシャンだとジム・ホールのアプローチはこれですよね。あのヒトは、モチーフを発展させて音楽を構築していきますよね。すでに弾いたもの(過去)を少し含ませて音にして(今)。そうするとそこから次に弾くべき音(未来)が聴こえてくる感じ。ジムのライブを観るとホントによく分かるのですが、少しの過去を未来へと引き継ぐ作業を観てる感じ。
>過去と未来を省いた状態の「まさしく今」だけの「今」がいいんだろうか・・
これは試してみないと分からないでしょうね。「時間軸の存在しない音楽」。音楽って、音を出した瞬間、その時点で、すでになにかしら流れ(リズム・テンポ)がありますよね。なのでそれを切り離すとなると、スンゴク矛盾してる。横ではなくて、縦に動きがある音楽でしょうか。見つけてみたいな。
>はじめてピアノに触ったようなちっちゃい小だと、ほぼ全てが「今」でしょうか・・・。
そうですよね!この記事を書くきっかけになったのは、この前のレッスンの時に、僕がパラパラとスタンダードを弾いた時なんです。まだギター初めて三ヶ月の生徒が、僕のマネしてソロをとったんですね。それがスゴく良かったのです。僕のよりよっぽど自由で生き生きしてた。そのコはスケールどころか、ピックの持ち方ですらまともに出来ないのに。負けた!って思いました。
>でもそのこが弾く音の広がりの中には、大人がテグセとか、古典とか思ってる音列もあったりする
キースの「スタンダード・ライブ」のアルバム、もう、十年聴いてますが、まったく飽きません。テグセ、あるんですよね、キース。もう、たくさんあるんです。でも、あのヒト、それをまるでその時、生まれて初めてピアノを弾いた時のように弾くことが出来るんです。音の鮮度がありえないほど新鮮。どうやってやるんだろう、、、。
>いろんなことしってる子供、でしょうか
ゆわかしさんのすぐ側に、そういう音楽家がいらっしゃいますね(笑)。あの方はあれだけスゴいギターを弾くのに、ホントに何も知らない子供のような純な心がありますよね。
>とりあえず、頭の中、真っ白にして音楽してみたいな、と。
してみたいです。僕は音を出す時、真っ黒から始めるんですよ。で、ホントに小さな光の点が観えてきて、そこへ向かってソロを進めてます。なので、僕のハーモニーとかは影がある気がする。白から始めるのも出来るようになりたい。おそらく、最近、弾いてて引っ掛かる感じがするのは、ここに原因があるのかも知れない、とゆわかしさんに言われて、たった今、気がつきました。白から始めようとしてると思う。
>生徒さん や イサ 彼らと一日、精一杯遊んでみるのも如何でしょうか 音楽を離れて
そうですね。僕は音楽の中にばかりいて、どうもイカン。ちょっと外へ出てみると、中からでは観えないモノとか、観えるでしょうね。
>現在・過去・未来は全て同じ1つの連続体だと思うのです。
>未来を考えずに今、この瞬間を表現すると言うのは、過去の蓄積を吐き出す作業じゃないでしょうか?そして残ったものが己の本質?
となると、生きること、というか毎日生活していくことは、横の流れですね。過去の経験・ノウハウ、それらを装備して、今、それを総動員して、次に起こるイベントへ向かって、絶え間なく、流れている。「起こっている」、ってのが僕的にしっくりくる。で、今、この瞬間に、自分に「起こっているイベント」が、その流れを「点」で捉えた感じでしょうか。てことは、「今」は、縦の連続?「点=イベント」が常に「起こっている」状態なのかな。
うーん、どなたか教えて下さい。
音に迷い・・・、分かる気がします。
でも、大丈夫。
上達する時は、必ず乱れが出る(剣士ピエール)
だ、そうですから(笑)。
身近にいる演奏家さん、本当に仰る通りです。
今日は、久々にお邪魔してくるつもり。
幸せもんですね、ワタシャ。
音楽に、感謝。
いつかお会いする時は、キースのオールド・
カントリー、アカペラしましょうか。
Takaさんに敬意を表\して、ピアノ・パートは
譲ってあげましょう(笑)。私はピーコック。
・・・気味悪いか!(笑)
ではではまた。
カントリー、アカペラしましょうか。
名曲ですよね。ポン先生に頂いた譜面、今も大切に持ってますよ。
>Takaさんに敬意を表して、ピアノ・パートは
譲ってあげましょう(笑)。私はピーコック。
ありがとうございます(笑)。ドラムはどなたかいませんかね?これ、やってみたいですね。ちなみに僕は、もう、とてつもない音痴ですから用心して下さい。もう、ネクストレベル級。声に出すと、勝手に半音あげチューニングになってる。なので、キーはD#マイナーでお願いします(土下座)。
たぶん、きっとタカは大丈夫だと思うけど、あんまり自分を嫌いにならないでな。演奏中「ニヤリ☆」ってしてる時のタカは憎らしいけど、素敵だよ(笑)
そんな瞬間が舞い降りてくることを祈りつつ。
俺はね、最近どこいっちゃうの?
って友人に言われるけど、、、、ギターで弾き語り、一人チェットベイカー的なことして、携帯のビデオ機能で自分撮りしてニヤニヤしています。アホだろ?
俺の音痴も「ネクストレベル級?」だ。これ近況ねw
演奏聴きました(返事が遅れました)。先生にとても似てた。素晴らしい先生に出会えたみたいで、僕もスンゲー嬉しい。あとでメールする。
>携帯のビデオ機能で自分撮りしてニヤニヤしています。
自分に酔っちゃってるね、オッさんは(笑)。いいんじゃない?マルチ・タレントで。
じゃ、倍々。