Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

連戦 胡錦涛 会談

2005-04-30 05:03:04 | 国際
連戦・国民党主席の訪中はもちろん、「反国家分裂法」からひしひしと感じられる台湾の危機感から実現されたものだ。この危機感が彼の背を後押したのは間違いない。だが、当然のことながら、中国政府側からも何らかの働きかけがあったであろう。

今年3月末、北京を訪れた江丙坤・国民党副主席と、賈慶林・全国政治協商会議主席(中国の序列4位)が会談した。このときの話し合いで連戦・国民党主席の大陸訪問が決ったが、連戦・胡錦涛会談で何を合意すればよいかも議論され、両者間に何らかの合意があったはずだ。その合意とは何であったか?

連戦・胡錦涛会談における連戦発言を読むと、「胡・総書記が1-2ヵ月前に言及した平和の呼びかけ」とあるので、今年に入ってから胡錦涛が台湾に向けて何らかの呼びかけをしていたらしい。だが、私はそのニュースを見過ごしていた。

胡錦涛の「呼びかけ」とはどんな内容のものであったか、それは胡錦涛と連戦の今回の発言内容から読み取ることができる。胡錦涛発言の中では「92共識」と表現され、連戦発言の中では「一中各表」と表現されているのがそれだろう。

そして、1992年、中国・台湾両国のの準政府機関(海峡交流基金会(台湾)、海峡両岸関係協会(中国))の間でおこなわれた香港会談で合意されたこの「共通認識」は、その後、今日に至るまでずっと棚上げされてきた。1996年3月おこなわれた初の総統直接選挙で李登輝が大勝し、大陸と台湾は特殊な国と国の関係とする「二国論」が強まる中で、この「共通認識」という両国間合意の出番は喪われたのである。

結局のところ、胡錦涛は中台関係を李登輝以前にまで引き戻したいのであろうか。もちろん、国民党自身も中台関係を李登輝以前に引き戻したいと考えているのは間違いない。


中国情報局
国民党・共産党トップ、60年ぶりの会談が実現
発信:2005/04/29(金) 16:52:54

中国を訪問している連戦・中国国民党主席が29日現地時間16時から、北京にある人民大会堂で胡錦涛・中国共産党総書記(国家主席)と会談した。国民党と中国共産党のトップが対面したのは、60年ぶりとなる。

胡・総書記は「朋(とも)あり遠方より来たる。また、楽しからずや」という論語の一節を引用して、連・主席に歓迎の意を表明した。また、大陸と台湾のいわゆる両岸問題に関しては、関係を発展させる決意と誠意を持っていると強調した。

写真左が国民党の連戦・主席、右が共産党の胡錦涛・総書記。(編集担当:如月隼人)




胡錦涛・連戦会談に至る中台関係最新ニュース




中国情報局 発信:2005/04/29(金) 18:09:27

胡錦涛総書記発言(全文)


胡錦涛・中国共産党総書記(国家主席)と連戦・中国国民党主席が29日15時(現地時間。日本時間は16時)から約30分にわたって北京にある人民大会堂で会談した。共産党と国民党のトップが対面したのは60年ぶりとなる。

この会談は対談ではなく、最初に胡錦涛・総書記が、次に連戦・主席が発言するという形式をとった。その内容はすべてマスコミに公開された。胡・総書記の発言は以下のとおり。



尊敬する連戦・主席と御夫人、尊敬する呉伯雄・副主席、中国国民党の江丙坤・副主席、尊敬する国民党大陸訪問団のみなさん。こんにちは。

四月の北京は春に沸き立ち、このすばらしい春に、我々は中国国民党主席の連戦先生率いる国民党大陸訪問団をお迎えいたしました。本日の会見は、両党のリーダーによる歴史的会見であり、私は非常にうれしく思っています。まず、私は中国共産党中央を代表して、連・主席と御夫人、副主席各位、訪問団全員のみなさんを熱烈に歓迎もうしあげ、お祝いしたいと思います。

「朋(とも)あり遠方より来たる。また、楽しからずや」と申します。あなた方がいらっしゃったということは、中国共産党と中国国民党の歴史にとって、一大事件です。また、両岸関係の中でも一大事件です。

あなたがたが大陸にその一歩を踏み出したときから、両党は歴史的な一歩を踏み出したのです。この一歩は、両党の往来の歴史が新しい発展の段階に入ったということを意味します。それと同時に、両党が両岸関係の発展について決意と誠意をもって取り組んでいこうという、共通の意思をあらわします。我々が共同でこの一歩を踏み出したということは、両岸関係の発展を示す歴史書に、必ずや記載されるでしょう。

現在、両岸の同胞は、両岸の関係が平和、安定、発展という明るい方向に進んでいくことを願っています。我々はいくたびも「九二共識」という共通認識を持つことを歓迎し、台湾独立に反対し、両岸の関係の発展を主張する台湾の各政党、団体、代表的人士が我々と対話をし、共同で両岸関係の改善と発展を推し進めることを歓迎してきました。

昨日、全国政治協商委員会の賈慶林・主席と連戦・主席および代表団のメンバーの皆様はすばらしい会見をいたしました。また、陳雲林・主任と林豊正・秘書長は作業会議を行いました。そして、そのすぐ後に私と連・主席が意見の交換をすることになったわけです。

両岸関係の発展と両党の往来などの問題に関して、我々は必ず重要な共通の認識を得ることができると考えています。

我々両党の間には、まだいくつかの違いがありますが、我々が中華民族の根本的利益を重んじ、両岸の同胞の福利を重んじれば、必ずや「異」の中に「同」を求め、共同ですばらしい未来を創造することができるはずです。

今年は孫中山(孫文)先生の逝去80周年にあたります。連・主席と訪問団は南京の中山陵に詣でました。

孫中山先生は偉大なる愛国主義者であり、民族の英雄でした。そして、中国民族革命の偉大なるパイオニアでした。孫先生は民族独立、民主自由、民生幸福そして国家の統一と豊かさと強さを達成しようと、一生をかけて尽力しました。

全国の各民族とすべての愛国人士に、孫先生に対する崇高なる信望がありました。中国共産党も一貫して孫先生に崇高な敬意をはらっており、従来から孫中山先生の革命の支持者であり協力者であり継承者であったのです。

孫先生も中国共産党を、自分自身のよき友であであるとしていました。孫先生がまず唱えた「振興中華」のスローガンは、我々両岸の中国人に共通する目標であり責任でありつづけているのです。

孫中山先生は、中華民族及び中国人のために多くの貴重な精神的遺産を残してくださいました。この遺産は、我々が永久に継承し、発揚させていく価値のあるものです。

現在、両岸の形勢は複雑に変化しつつあります。両党は両岸の同胞の求めることを深く実感する必要があり、両岸関係と世界の大局の発展の趨勢を深く把握する必要があり、我々自身の積極的な働きが、両岸関係の平和と安定と発展という将来もたらすということを、両岸の同胞に占めさなければならないのです。

中国人は世界に対して、中国人は彼我の矛盾と問題を解決する能力と知恵があり、共同で両岸関係の平和と安定と発展という将来像を勝ち取り、共同で中華民族の偉大なる創造していうことを、示さなければならないのです。

このたびの国民党の大陸訪問及び両党の交流と対話は、両岸関係の改善に春の息吹をもたらすものだと信じます。双方の協力により、両岸関係を和平と安定と発展という方向に前進させていくことを希望します。

両岸の同胞がともに、和平と発展という道筋にそって絶え間なく開拓をすすめ前進しえtいきますように。連・主席と御一同には、私の歓迎の辞をお聞きいただいたことに心からの御礼を申し上げます。ありがとうございました。(編集担当:如月隼人)


中国情報局 発信:2005/04/29(金) 19:54:18

連戦主席発言(全文)


胡錦涛・中国共産党総書記(国家主席)と連戦・中国国民党主席が29日15時(現地時間。日本時間は16時)から約30分にわたって北京にある人民大会堂で会談した。共産党と国民党のトップが対面したのは60年ぶりとなる。

この会談は対談ではなく、最初に胡錦涛・総書記が、次に連戦・主席が発言するという形式をとった。その内容はすべてマスコミに公開された。連戦・主席の発言は以下のとおり。



胡・総書記、紳士ならびに淑女の皆さん。本日、私自身と妻、そして中国国民党の3人の副主席と多くの友を率いて、全員で胡・総書記の招聘をお受けして大陸を訪問することができました。北京、南京、西安、上海への訪問です。私はまず、この場で心の底からの感謝を申し上げます。

ここ数日、仕事にかかわるすべての皆さんに、力を尽くし、心を尽くしていただきました。我々の旅程は非常に順調であり非常に愉快なものでありました。彼らに対して、とくに感謝を申し上げたいと思います。

先ほど総書記がおっしゃったように、本日国民党と共産党が一堂に会したということは、60年ぶりの出来事です。両岸に分かれてから56年に行われた両党の意見交換の中でも、最高レベルのものです。大変に貴重なものなのです。

私は率直に申し上げたいと思います。この道のりは、決して容易なものではありませんでした。言葉を変えるなら、台北から北京へ、台北から南京への道のりは遠くはありません。しかし、歴史の辛酸により、本日の会見に至るまで、我々は紆余曲折を経なければなりませんでした。そのため、私は会うのが遅すぎたという気持ちすら感じているのです。

もちろん、中国国民党と中国共産党は過去において激突したということがあります。我々はすべて、その歴史的過程を知っています。ただし、歴史というのは、すでに過去のことなのです。我々は、その時、その時刻にもどって歴史を変えることはできません。ただし、未来というものは、我々の手の中にあるのです。

もちろん、歴史の過程というものは平坦なものではありえません。ただし、この不確定な時代、不確実な未来というものは、我々に多くの機会を与えます。我々はそれらにすべて勇敢に立ち向かい、未来を迎える主導的な立場にあるという理念で、未来を追及するのです。「去るものは求めず、来るものを追い求める」ということなのです。

今日私が切実な期待を胸に抱き、この場に来ることができ、総書記とみずからお会いして、皆さんと意見を交したということは、そういうことなのです。

これは私自身の考えですが、今日の両岸の形勢に関しては、我々が非常に遺憾に思うことがあります。というのは、皆さんがご存知のように、1992年に双方が努力をし、不眠不休で昼も夜もなく努力を重ねた結果、やっと打ち立てた基本的な共通認識があるわけです

この共通認識を基礎に、我々は1993年に辜振甫先生と汪道涵先生の会談を進め、40年来の膠着した局面を打破しました。

両岸の人々はそろって喝采しました。そして、未来に対する希望が満ちあふれました。私は当時、行政にたずさわっていましたが、私自身と国民党が堅持する考えを現実的なものにするために、私も全力で協力しました。辜・汪両先生の会談の後、両岸関係は約8年間にわたり、非常に安定して、発展的で密接な交流が実現し、事態は正しい方向へと発展していったのです

しかし遺憾ながら、このところ10年間に発生した事態は、だれもが承知しているように、我々が築き上げた進歩の過程から離れ、大きく挫折してしまったのです。

ただし、私は同時に非常に喜ばしいことも感じています。それはすなわち、胡・総書記が1-2カ月前に言及した平和の呼びかけが、平和への希望が、我々に対して正面を向く思考の方向を与えてくれたことです

本日、私個人は国民党の主席でありますが、同時に一人の人間として、感情をたずさえ、平和への期待をたずさえ、同時に民族のひとりとしてこの地にやってきたわけです。

私は、我々がここに来たことにはいくつかの意義があったと思います。ここで、皆さんにご報告しましょう。まず、50年あるいは60年前の国共間の関係、思考方式、構造をもって問題を考え、私の訪問を思考する人がいます。しかし、私は、我々はすでにあの時代とあの構造をはるかに超越したのです。

本日、総書記が語られたように、我々は善意から出発し、信頼をもって基盤とし、両岸人民の幸福をもって到達点とし、民族の長期にわたる利益を目標にするのです。

私はこういった基盤の上に立ち、絶対に対峙や対抗してはならない、まして衝突してはならないと信じます。必要なのは和解であり、対話であるのです。

我々は和解や対話といったやりかたは、民意を基礎とし、民意の力によるものだと信じます。これに関しては、いちいち多くのデータを示してみなさんをわずらわせる必要もないでしょう。

次に、平和は皆が望むことでありますが、平和というものは、道筋があり、到達のための構造があるということです。

構造とはなんでしょうか。国民党と中国共産党は、1992年に非常に苦労をして一つの平和への道筋である「一中各表(一つの中国をそれぞれが表現している)」という基礎に到達することができました。もちろん、不幸なことにここ数年、この基礎が曲解され捻じ曲げられ、別の意味を持つようになってしまったということは、皆さんがご存知のとおりです。

しかし、我々国民党には何の変化もありません。我々も、この基礎の上に、両岸の明るい未来の情景を構築していきたいのです。

さらに、私はこの機会をお借りして、特に指摘をさせていただきたいと思うのですが、このたびの訪問は国民党として非常に得がたい契機でした。このようなすばらしい契機に恵まれたのです。現在こそ、我々は現状を把握し、共に未来を創造していくために、過去の歴史を総括することができる契機なのです。

したがって、こういった理念のもとで、私は望んでいます。過去の悪性の循環を、再び出現させてはなりません。我々はひとつの良性の循環を築くために、力を尽くさなければなりません。点から面へと善意と相互理解を累積していくのです。私はこの種の拡充が、ひとつの非常に堅実な基礎を築いていくと信じています。

悪性の循環により、互いに恨むようになれば、それが点から線へ、さらに面へと広がっていきます。相互信頼は崩れてしまい、善意はなくなります。そうなれば、我々はみな、損害を被ってしまうのです。

したがって本日は、私はこのような心情をもって、率直に総書記をはじめとする皆さんに、私自身が経験したことをお話しいたします。

国民党の主席および副主席、さらに党幹部が南京紫金山の中山陵に詣でることができたのは、この56年間ではじめてのことでした。私の心情は、とても感傷的になり複雑な思いでした。ただし、感謝の気持ちでいっぱいでした。

中山先生は、息を引き取る際に、皆が平和に奮闘して中国を救えとの言葉を遺しました。平和に奮闘ということは、あの時代だけに通じる言葉だけではありません。皆が努力しなければならないことです。それは今日に至っても同様であり、私も信奉しつづけていることです。

このような精神を持ち続ければ、我々双方の理解と信用を強めていけると信じています。両岸の人民に対して、もっとよい、もっと多くの安定と、もっとすばらしく、もっと大きな繁栄をもたらすことができると信じています。さらに重要なこととして、両岸に対して光明と未来への希望をもたらすことができると信じています。これが本日この場で、まず総書記と皆さんに表明したい、私の考えなのです。ありがとうございました。(編集担当:如月隼人)


中国情報局
九二共識(Jiuer gongshi )】
発信:2005/04/29(金) 21:06:34

証明書などに関する国名に関して、1992年になされた合意。互いに「中国」という言葉を使いながら、その内容は各自が判断するというもの。

「九二共識」は、主に大陸側によって使われる呼び方。他に、「一箇中国,各自表達」(yige Zhongguo, gezi biaoda)、「一中各表」(yizhong gebiao)という呼び方もある。(編集担当:如月隼人)

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