Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

反日デモは今秋まで続く?

2005-04-18 18:55:07 | 国際
2005年4月18日付「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」によれば、「差し当っては5月4日(五四運動記念日)。その次は7月7日の廬講橋事件、次いで8月15日、9月3日は抗日勝利60周年、そして9月18日柳条湖事件記念日まで」というように、反日デモのきっかけとなりそうな記念日がだらだら続いていくらしい。

蒋介石率いる「北伐軍」の南京入城(1927)のとき、日本の南京領事館が(中国共産党?に)襲撃された「南京事件」など、もう歴史の遥か彼方のことである。このとき、帝国海軍海兵隊が領事館を守備していた。だが、侵入者に対して無抵抗を貫いたので、領事館に避難していた数多くの邦人の生命が失われずに済んだ。けれども、海兵隊の隊長は、長江上の帝国海軍艦艇に収容された後、無抵抗であった責任をとって自害したという。

今回のような大規模で暴力的な反日デモが起ると、中国人の集団としての凶暴さ、死体まで傷める中国特有の暴動の怖さが、日本人の心に鮮明に呼び戻されてくる。この凶暴化した暴力の徒のため、後の通州事件(1937年)では現地在住の数多くの日本人が犠牲となり、その多くは辱められた姿の死骸をさらすことになったのであった。

これは古い話とはいえない。文化大革命では度々繰り返されたことといわれている。また、天安門事件でも、軍により数百名が殺されたデモ側とは別に、デモ側の手で数十名の人民開放軍兵士が殺された。両眼を穿たれ、両耳を削がれ、性器を切断されて口に突っ込まれた、徹底的に辱められた数々の死骸の姿として、その事実ははっきりと写真に収められているのだ。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 4月18日付
各地の反日デモは警備当局と活動家との癒着、やらせが指摘されており背後にあるのは国家公安部である。

さて、日本料亭への投石と破壊、大使館領事館への破壊活動だが、これは「通州事件」(注;1937年7月)に匹敵するか? 率直にいって“まだ”である。いまの「愛国無罪」暴徒らの狼藉は、ようやく「南京事件(注;1927年3月)」あたり。往時、幣原軟弱外交(注;1924-1927)がむしろ中国国内での反日暴徒を助長し、日本人居留民が強盗放火の被害にあっても、実力を行使しなかった。当時、ロシア、イギリス、米国、フランス、ドイツは砲艦外交を展開していたにも拘わらず、日本は暴徒のされるまま、やがては日本人数百人が虐殺された通州事件へと発展した。

当面、日本は徹底的に謝罪と補償を北京に求めるべきである。これは中国外交のアキレス腱。「落としどころ」を求めることなど、9月まで不要である。小泉は北京側が頭を下げてくるまで中国トップと世界のどの会議であってもあう必要はない。もし会うとするなら、すかさず「謝罪と補償をもとめた」ことだけを世界のジャーナリストに向かって会見したほうが良い。

中国はせいぜいが「遺憾の意」を表明する程度に留めるだろうから、「反日」に名を借りた暴動は行き着くところまで行くだろう。そのことは歴史的視座から言っても、大いに歓迎したい。

差し当っては5月4日(五四運動記念日)。その次は7月7日の廬講橋事件、次いで8月15日、9月3日は抗日勝利60周年、そして9月18日柳条湖事件記念日まで、「愛国無罪」をスローガンの暴徒達の狼藉は止まないだろう。おそらくまがまがしき事態が出来(しゅったい)し、日本企業の一斉撤退が開始されることになるだろう。

建設途中のクルマ工場やら、建設中断の憂き目を見るところもでるだろう。現に先週以来、中国進出企業の株価は軒並み下落している。投資家はチャイナリスクを現実のもとと受け止め始めた証拠である。

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1 コメント

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安易に妥協してはいけません (古希爺)
2005-04-19 21:52:25
中国政府は靖国神社参拝、教科書、謝罪不十分等々今回の反日デモに対する責任は全て日本側にあるとの主張で自らの非を全く認めていません。

日本側から多くの反論が出ているのでここでは繰り返しませんが、一つ政府に要望したい事は ここで「腰砕けの対応をしてもらいたくない」一点に尽きます。ここで安易な妥協をすればますます笠にかかってくるのは眼に見えています。

脅かされて 直ぐ謝る位なら はじめから言いなりになっていたほうがましなぐらいです。小泉首相、町村外務大臣期待しています。朝日新聞の論調は気にする事はないですよ。
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