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2022年6月2日14:17
円通院をあとにします。
次は「みちのく伊達政宗歴史館」を予定していたのですが、なんと現時点で30分以上巻いています。
となれば、最終日に行こうと思っていた至近距離にあるスポットを攻略してしまいましょう。
ということで、ほぼ向かいにある比翼塚へ。
右手に解説版があるのですが……真っ正面に木があって、読めない。
ということで、ローアングル!!
「紅蓮」とはなかなかに厨二ごころをくすぐるお名前ですね。
句碑?
ということでお二人の塚(比翼塚)
特に解説には書いてないけど「比翼連理」ってことでしょう。
続いては、その横手にある三聖堂
後ろに写っている杉の木(?)は瑞巌寺の参道のものです。うまい借景ですね。
と、ここもカテゴリーとしては瑞巌寺関連でしたか(それを言うなら円通院もルーツはそうですが)
ほほう、この扁額が創建者の筆ですか。
さて、180度ターン。
なにやら存在感のある木があります。
推定樹齢700歳以上ですか、すごいですね。
さて、現在時刻は14:21なので、まだまだ余裕があります。
引き続いて、最終日に行くはずだった天麟院も行ってしまいたいと思います。
ああ、紅蓮尼さんの縁で姉妹都市ならぬ夫婦町になっているんですね。
ここら辺、海辺からほとんど高低差が無いですからね。
一方でこういう切り通しみたいなところはある。
当然切り通しは人の手によるものですが、こんなにあからさまに舌状の浸食されていない尾根が出来るとは。
さて天麟院です。
当たり前ですけど、五郎八姫(いろはひめ)を前面に出してます。
拝観無料!?
当時は確か気づきませんでしたが右手前に移っている柱、「イタリー産」って。
いやまあ「イタリア」じゃないんだというのもありますが、地蔵尊なのに国産じゃなくて舶来なんだ?
公式が「聖地」「パワースポット」って言うと、大変失礼ながら胡散臭さが先に来てしまう。。。
いろは観音
本堂
ちなみに本堂の前に工事の軽トラックが止まっていて、写らないように&邪魔にならないように写角を頑張りました。
中に入ってよいようでしたので、遠慮無く上がらせてもらいます。
ちなみに下駄箱前のすのこ部分および階段の一番下は昼のゲリラ豪雨でびっしょびしょだったので、
これまた頑張って階段の濡れていない2段目から脱いだ靴に手を伸ばしました。転げ落ちるような無様を晒さずにすんで、良かったです。
ご本尊
正座しながら撮影したので、位牌(?)で隠れてしまってますが。。。
さて、本堂をあとにして……あれ、これだけ?
もうちょっとこう、五郎八姫っぽいものとか無いんですか?
さりとて案内板もないし関係者もおられないので……。
何かを見逃した感が満載ですが、仕方ありません。戻りましょう。
幸い、外に墓所へと通じる道はありますし。
階段を上がると、いかにもそれっぽい建物が。
上越市市民有志一同および松平忠輝公と五郎八姫の会 寄贈のいろは紅葉
ハリモミ
五郎八姫の霊屋、定照殿
さて、ここで左手をご覧ください。
天麟院洞窟群です。
伊達家ご一門やその殉死者、天麟院歴代住職がまつられています。
まだあるけど、これ以上はお足元がよろしくないので断念。
円通院と違って通路として整備されているというほどではないのです。
おお、ここからは海が見えるんですね。
さて、帰ろうかと思ったのですが……何やら一般のお墓の先に、上に登る階段が見えます。
ひょっとして、伊達家の供養塔でもありますかね?
そうでなくとも、さらに景色は良いのでは?
ということで行ってみた結果。
社務所!?
そういえば、確か旅程を組んでいるときに「神社があるな-」とは。
特に訪問する予定も無かったのですが、こんな至近距離まで来て背を向けることもありませんね。行ってみましょう。
釣り鐘
「近くの神社で釣り鐘が落下し負傷者が出るという事案が発生し、警察当局からの指導により鐘楼内に入っての鐘打ちはできません」
そんな事件が……。ていうかそもそも、勝手に鐘ついていいものなのですか?
日吉山王神社、拝殿
眺め……眺め……。
※写真だとダメですが、肉眼だと多少海だと分かります。
お参りを済ませまして。
日吉山王神社、本殿
さて、今度こそ戻りましょう。
でも来た道をそのままではつまらないですので、社務所前で天麟院のお墓に降りるのではなく、神社の参道を行きたいと思います。
サイドアンダーミラー!(解説:神社の長い階段を下る際に一部のオタクが条件反射的に思い浮かべるキーワード)
参道を抜けたところに何やら石碑が集められている場所が。
特に解説板もなかったので、何なのか分かりませんでした。
振り返って、鳥居。
さて、海側へ。
ここは天麟院までとは異なり、少し傾斜があります。
……ん?
なんか路上にめっちゃでかいミミズがいます。
写真には撮りませんでしたが、太さ1cm強、長さ20cm程度でしょうか。
ゲリラ豪雨で出てきたのでしょうけど、まだ干からびた様子は無く元気に(?)のたうちまわっています。
……。
神社にお参りした後に放置するのも気分が悪いですね。
ひょいと持ち上げて、土があるところまで運びましょう。
あいにく付近は全部民家なので、さっきの神社の参道まで。
結構指に巻き付いてきますね、こいつ。
結構地面が固そうなのが気になりますが、さっきのアスファルト上よりは100倍ましだろうということで。
達者でな!
さて再開です。
時刻は14:45。そろそろいい時間ですね。
でもせっかくなので、もう少し先の様子まで見てみましょう。
……ん?
こ、ここは!?
大松荘!
私が松島の宿をどうするか検討した際に、松島センチュリーホテルとともに決勝戦まで勝ち残ったお宿ではないですか!
このお宿、松島海岸駅の至近距離にありまして、移動するのに大変都合が良いんですよね。
ただ松島の中心地からは外れているのと、松島センチュリーホテルの方がご飯とお風呂が魅力的に感じたので決勝戦敗退となりました。
ちょうど写真にも道の進んだ先に写っていますが、
そうですか、いつの間にか松島海岸駅まで歩いてきてしまいましたか。
せっかくなので駅前を拝んでから、反転します。
今度は海側の道で戻りましょうか。
……って、「たからや食堂」!?
※昼食候補だったけど穴子がシーズン前ということで見送ったお店
あ、こんな松島海岸駅から至近距離にあったんですね。
「手のひらの上」感が一気に強まりましたが、気を取り直して次の目的地である「みちのく伊達政宗歴史館」を目指しましょう。
今回のルート
続きます
2022年6月2日14:17
円通院をあとにします。
次は「みちのく伊達政宗歴史館」を予定していたのですが、なんと現時点で30分以上巻いています。
となれば、最終日に行こうと思っていた至近距離にあるスポットを攻略してしまいましょう。
ということで、ほぼ向かいにある比翼塚へ。
右手に解説版があるのですが……真っ正面に木があって、読めない。
ということで、ローアングル!!
「紅蓮」とはなかなかに厨二ごころをくすぐるお名前ですね。
句碑?
ということでお二人の塚(比翼塚)
特に解説には書いてないけど「比翼連理」ってことでしょう。
続いては、その横手にある三聖堂
後ろに写っている杉の木(?)は瑞巌寺の参道のものです。うまい借景ですね。
と、ここもカテゴリーとしては瑞巌寺関連でしたか(それを言うなら円通院もルーツはそうですが)
ほほう、この扁額が創建者の筆ですか。
さて、180度ターン。
なにやら存在感のある木があります。
推定樹齢700歳以上ですか、すごいですね。
さて、現在時刻は14:21なので、まだまだ余裕があります。
引き続いて、最終日に行くはずだった天麟院も行ってしまいたいと思います。
ああ、紅蓮尼さんの縁で姉妹都市ならぬ夫婦町になっているんですね。
ここら辺、海辺からほとんど高低差が無いですからね。
一方でこういう切り通しみたいなところはある。
当然切り通しは人の手によるものですが、こんなにあからさまに舌状の浸食されていない尾根が出来るとは。
さて天麟院です。
当たり前ですけど、五郎八姫(いろはひめ)を前面に出してます。
拝観無料!?
当時は確か気づきませんでしたが右手前に移っている柱、「イタリー産」って。
いやまあ「イタリア」じゃないんだというのもありますが、地蔵尊なのに国産じゃなくて舶来なんだ?
公式が「聖地」「パワースポット」って言うと、大変失礼ながら胡散臭さが先に来てしまう。。。
いろは観音
本堂
ちなみに本堂の前に工事の軽トラックが止まっていて、写らないように&邪魔にならないように写角を頑張りました。
中に入ってよいようでしたので、遠慮無く上がらせてもらいます。
ちなみに下駄箱前のすのこ部分および階段の一番下は昼のゲリラ豪雨でびっしょびしょだったので、
これまた頑張って階段の濡れていない2段目から脱いだ靴に手を伸ばしました。転げ落ちるような無様を晒さずにすんで、良かったです。
ご本尊
正座しながら撮影したので、位牌(?)で隠れてしまってますが。。。
さて、本堂をあとにして……あれ、これだけ?
もうちょっとこう、五郎八姫っぽいものとか無いんですか?
さりとて案内板もないし関係者もおられないので……。
何かを見逃した感が満載ですが、仕方ありません。戻りましょう。
幸い、外に墓所へと通じる道はありますし。
階段を上がると、いかにもそれっぽい建物が。
上越市市民有志一同および松平忠輝公と五郎八姫の会 寄贈のいろは紅葉
ハリモミ
五郎八姫の霊屋、定照殿
さて、ここで左手をご覧ください。
天麟院洞窟群です。
伊達家ご一門やその殉死者、天麟院歴代住職がまつられています。
まだあるけど、これ以上はお足元がよろしくないので断念。
円通院と違って通路として整備されているというほどではないのです。
おお、ここからは海が見えるんですね。
さて、帰ろうかと思ったのですが……何やら一般のお墓の先に、上に登る階段が見えます。
ひょっとして、伊達家の供養塔でもありますかね?
そうでなくとも、さらに景色は良いのでは?
ということで行ってみた結果。
社務所!?
そういえば、確か旅程を組んでいるときに「神社があるな-」とは。
特に訪問する予定も無かったのですが、こんな至近距離まで来て背を向けることもありませんね。行ってみましょう。
釣り鐘
「近くの神社で釣り鐘が落下し負傷者が出るという事案が発生し、警察当局からの指導により鐘楼内に入っての鐘打ちはできません」
そんな事件が……。ていうかそもそも、勝手に鐘ついていいものなのですか?
日吉山王神社、拝殿
眺め……眺め……。
※写真だとダメですが、肉眼だと多少海だと分かります。
お参りを済ませまして。
日吉山王神社、本殿
さて、今度こそ戻りましょう。
でも来た道をそのままではつまらないですので、社務所前で天麟院のお墓に降りるのではなく、神社の参道を行きたいと思います。
サイドアンダーミラー!(解説:神社の長い階段を下る際に一部のオタクが条件反射的に思い浮かべるキーワード)
参道を抜けたところに何やら石碑が集められている場所が。
特に解説板もなかったので、何なのか分かりませんでした。
振り返って、鳥居。
さて、海側へ。
ここは天麟院までとは異なり、少し傾斜があります。
……ん?
なんか路上にめっちゃでかいミミズがいます。
写真には撮りませんでしたが、太さ1cm強、長さ20cm程度でしょうか。
ゲリラ豪雨で出てきたのでしょうけど、まだ干からびた様子は無く元気に(?)のたうちまわっています。
……。
神社にお参りした後に放置するのも気分が悪いですね。
ひょいと持ち上げて、土があるところまで運びましょう。
あいにく付近は全部民家なので、さっきの神社の参道まで。
結構指に巻き付いてきますね、こいつ。
結構地面が固そうなのが気になりますが、さっきのアスファルト上よりは100倍ましだろうということで。
達者でな!
さて再開です。
時刻は14:45。そろそろいい時間ですね。
でもせっかくなので、もう少し先の様子まで見てみましょう。
……ん?
こ、ここは!?
大松荘!
私が松島の宿をどうするか検討した際に、松島センチュリーホテルとともに決勝戦まで勝ち残ったお宿ではないですか!
このお宿、松島海岸駅の至近距離にありまして、移動するのに大変都合が良いんですよね。
ただ松島の中心地からは外れているのと、松島センチュリーホテルの方がご飯とお風呂が魅力的に感じたので決勝戦敗退となりました。
ちょうど写真にも道の進んだ先に写っていますが、
そうですか、いつの間にか松島海岸駅まで歩いてきてしまいましたか。
せっかくなので駅前を拝んでから、反転します。
今度は海側の道で戻りましょうか。
……って、「たからや食堂」!?
※昼食候補だったけど穴子がシーズン前ということで見送ったお店
あ、こんな松島海岸駅から至近距離にあったんですね。
「手のひらの上」感が一気に強まりましたが、気を取り直して次の目的地である「みちのく伊達政宗歴史館」を目指しましょう。
今回のルート
続きます
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