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簿記&英語 勉強しました これからは仕事に生かします

始めは英語の勉強をしていたのですが、その後簿記の魅力にはまり…そして就活にまつわるあれこれ。

恋しやダイニングテーブル

2008年01月18日 | 子供のこと
正月から里帰り出産で実家に住んでいます。約3ヶ月の滞在となるかと思います。

里帰りしてから集中力が低下しましたが、その大きな要因は…実家暮しで自分のペースで動けないということと、みかん箱(ダンボール)を机にして勉強しているからです。

富山ではダイニングテーブルで勉強していました。大きなテーブルにテキストを広げて、自由に自分のペースで。でも、実家ではダイニングテーブルは母のもの。

母は、近くに住む教師をしている姉の家族をフルサポートしていて(子供の世話など)、食事(夕食)も作っています。姉家族5人+父母2人+私と息子の計9人分の食事作り!!居候の身として私も手伝うのですが、ロールキャベツ作りに1時間半、ギョーザは焼くだけで1時間、などなど、大家族は大変だなあと実感しています。

というわけで、台所兼ダイニングになっているテーブルでの勉強は無理。しかも、親は私が名古屋で働いている間に引越ししていて、その時勉強机も処分。この家には勉強する机がありません。

しょうがないので、寝泊りしている部屋に衣装ケースとみかん箱を並べてそこでパソコンや勉強をしています。うーん、勉強しづらい…。

環境が整っていないから勉強できないなんて、私の簿記に対する情熱はそんなものだったのか!!と叱咤するのですが、やっぱりあのダイニングテーブルが恋しいです。


涙の保育園最終日

2007年12月30日 | 子供のこと
先日、とうとう3年近くお世話になっていた保育園とお別れの日が来ました。

感慨深く涙もろい気分でしたが、「子供はまだ3歳児でみんなよく分かってないんだ。そうだそうだ」自分にそう言い聞かせて息子を迎えに行きました。保育園に行くと、同じクラスのKちゃんがとことこと近づいて、私に話しかけてきました。

「ねえ、どうしてT(息子)くん…幼稚園に行くの?」その日は息子のお別れ会をしたそうです。私はKちゃんの言葉に顔がカーッと熱くなりました。

いつもはあまり話しかけてこない大人しいK君まで、「Tくん、Tくん」と言ってきます。3歳児なりに皆、今日でお別れだって分かっているんだ。

担任の先生の一人がみえて「今日、お別れ会をしたんですけど、私も号泣しちゃって、T君もヤダヤダって言ってたんですよ…」話の途中から私は涙があふれ出てきて止められませんでした。ひと回りも年下であるその先生の前で泣くのは恥ずかしかったけれど…。

先生方は私にとって力強い育児サポーターでした。一緒に息子を育ててもらいました。そして同じクラスの子供たち。独身時代は特に子供好きという訳ではありませんでしたが、よちよち歩きの頃から知っているので、情も移ります。おまけに、彼らも私がTの母親と分かっているから、ニコニコと話しかけてきます。なんてかわいい!

お気に入りの先生方が玄関に並ぶと、もう居ても立っても居られなくなってきました。「また必ず戻ってきます!」そう何度も言って保育園を後にしました。

幼稚園の面接

2007年12月19日 | 子供のこと
4月から入園する幼稚園の面接に行きました。

有名私立、とかではないので、面接は入園の合否を判定するものではないのですが、とても緊張する時間でした。わが子がテストを受けている状況が初めてでしたから。

息子も保育園でのリラックスムードはどこへやら。緊張して私にしがみつき、先生の質問に最初は「ヤダ!」の連続。おいおい、ちゃんと答えてくれーと思いつつも隣で何もできず困った笑みを浮かべるだけでした。

面接は、大きな絵を見て「色」や「名前」を答えるものでした。息子は色に弱かったのですが、とくに面接の結果に対する園のコメントはありませんでした。

面接を受けていて、「私も見られているんだろうな」とふと思いました。いい母親に思われたい??ところでいい母親の定義は?色をちゃんと教える親かしら。愛情いっぱい?愛情なんて測れないものをどう「いっぱい」与えられるのかしら。

いい親になろうと努力はするけど、最後まで答えは見つからないだろうな、と思いました。

保育園から幼稚園へ

2007年12月03日 | 子供のこと
しまった。私の手続きうっかりミスのため、息子は11月いっぱいで保育園を退所することとなりました。

妊娠6ヶ月末で退職しましたが、その時派遣会社からは「求職中」という形で妊娠8ヶ月まで雇用を維持すれば、その後育児休業扱いにしてくれるとのことでした。そうすれば問題なく保育園を利用できたのに、あの時疲れきっていて「もう出産後まで仕事するつもりないし」とか「健保の任意継続しつつ年金3号の手続き面倒なんだよね(前回の妊娠時に、社会保険事務所の対応が悪かったので。今はありえないとは思うけど)」などという考えが頭をよぎり、うっかり辞めてしまったのです。

周りの人の話から勝手に「辞めたって保育園は続けて利用できるだろう」と思い込んでいたんです。でも無職という状態では保育園の入所条件を満たさず、退所となりました。といっても、12月は一時保育(1ヶ月に15日間利用可)でほぼ現状を維持し、1月から3月は出産予定日前後2ヶ月という条件から通常通り利用できます。

実は息子を連れて里帰り出産するため、1月から3月は実家近くの保育所に転入することになっています。だから、今の保育所は12月までなのです。もう3年近くお世話になっていたこの保育園とおさらばなんて!!

息子のこれまでの成長にどれだけ保育園の先生方のお世話になったことか。また、同じクラスでいっしょに大きくなっていった子供たち。12月でさようならなんて、考えただけで目が潤んできます。自分が退職した時は泣いたことなんか全然無いのに。

4月からは近所の幼稚園の年少組に行きます。通っていた保育園は第2希望で小学校の校区外だったので、校区内の幼稚園だし、バス送迎あるし、近所の人たちはみんな幼稚園だし、保育園と幼稚園の違いも見てみたかったというのもあって、今は前向きにとらえています。

仕事終了、産休へ

2007年10月29日 | 子供のこと
仕事終了しました。平日に家にいる自分がしっくりきませんが、かなり忙しい日々だったので今ほっとしています。

妊娠初期の頃、日経CNBCでお腹の大きい女性キャスターが番組を務めるのを見て、「かっこいー!私もがんばろう。」と8ヶ月くらいまで働くつもりでしたが、結局6ヶ月で断念してよかったと思っています。つわりもしんどかったですが、眠気が大変でした。平常時は1日6時間でよかった睡眠時間が、妊娠後は7時間でも間に合わず、週末は寝坊&子供といっしょに昼寝までしていました。

体力も2割減といった感じなのに、最後の3週間は後任の引継ぎ(後述しますが、かなり新卒に近い子で教えるのに参りました)&仕事の前倒しでフル回転で仕事していました。このしわ寄せは家に向かい、家事は最低限のことで精一杯。夫にも最大限協力してもらいましたが、私自身に心の余裕がなくなり、あと1ヵ月続けようものなら家庭不和に陥りそうでした。

もともとストレス&仕事量の多い職場でしたが、健康ドリンクを飲んで乗り切ろうとする自分。妊婦はどこまでがんばっていいのかよく分からないというのが実感です。