太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

8/7実施「太鼓台文化に向き合う」講演会〝追伸〟

2022年09月11日 | 地域活性化

太鼓台の盛んな四国中央部の香川県中・西讃地方から愛媛県東予地方にかけては、その発展を後押しするさまざまな偶然や恩恵を受けて、太鼓台が最も巨大・豪華に発達している。そこに住む人たちの間では、我田引水が働くのか、太鼓台のわずかなカタチや装飾の違いを捉えて、「新居浜型・宇摩型・豊浜型・観音寺型」などと区別しているが、私はこれには賛同しない。なぜなら、この地方一帯の太鼓台は、外観や刺繍飾りが共通しており、ほぼ同一形態の太鼓台であるから。強いて形容すれば、全ての太鼓台は「蒲団型刺繍太鼓台」とでも呼ぶべきではないかと思う。

話は飛躍するが、人口減少や超少子・超高齢化などの人口問題の昂進する21世紀後半の我国では、地方における身近なコミュニティや伝統文化の存続等に極めて厳しい現実となることが、ほぼ100%の確率で予測されている。(Web検索「我が国における総人口の長期的推移」参照) 負の進展が大都市部よりも格段に進んでいる私たち地方の、もはや避けられそうにない立場が明瞭に類推されてくると、そのような負の現実と私たちは如何に向き合い・折り合いをつけながら、「太鼓台文化も、ふるさとも、守り伝えていくべき」かを、常に考えなければならない、ということになる。今私たちは、改めて「伝統文化・太鼓台と、ふるさとの活性化」のどちらを両立させるためには「どのような対策やものの考え方が必要となるのか、私たちが出来ることとは何か」等を考察し、この難問に対処しなければならない厳しい立場に直面している。

将来的な人口問題に関すること 

8/7の標記講演会のレジメにおいては、今のままでは新型コロナ禍が収束した後の50年後・100年後の近い将来、私たちの身近では〝地域や伝統文化の継承が、のっぴきならない窮地に陥る厳しい現状〟となることが確実に見えてきた。私たちがその克服方法を探る手始めに、講演会当日の参加者全員が「厳しい近未来の状況」を仮想し、その渦中に身を置くことが必要と考え、上記Webから引用した次の3グラフをプロジェクターにて投影した。

①総人口の長期的推移 ②総人口の推移(年齢3区分制) ③世帯数の推移

  

これらのグラフは、2010年(平成23年2月)に政府の機関が公式に発信したもの。(データが少し古いが、これ以降は見当たらない) 言われて久しい人口問題の厳しい現実をこれらのグラフから眺めると、①の〝人口半減の激減ぶり〟には、ただただ驚き、②では、将来を担う〝若年人口(14歳以下)の減り方〟と〝増え続ける高齢人口(65歳以上)〟の、これまでとは異なる社会構造の激変ぶりに、強い不安感を抱いた。極めつけの③では、〝家族を持たない単独世帯率が高くなる〟こと、その中でも〝単独の高齢者世帯(独居老人世帯)が極めて多くなる〟ことに、「一筋縄では解決しない厳しい人口問題の根深さ」を改めて思い知らされた。これらのグラフは、若年人口の多い都市部の事情も反映されているので、超少子・超高齢化が現在どんどん進行している地方や過疎地では、既にグラフ以上の現状悪化が表面化しており、私たち地方人のささやかな努力などでは、もはや〝改善見込みゼロ〟とさえ思われる。

このグラフのような21世紀を通した長いスパンでの危機感は、なぜか地方の私たちの所までは、余り情報としては伝えられていないように思う。地方の政治に携わる首長や議員さんたち、或いは役所でも、人口問題に関するさまざまな危機感を唱えてはいるものの、そこで止まってしまっている感がする。そのため、将来的な〝我が町のグランドデザイン〟も、10年後・20年後程度の間近のものは目にするが、50年後・100年後といった数世代に亘るものは殆ど目にすることはない。これは、まさか手つかずではないと思うが、「50年後・100年後なんて、考えても無意味」とばかりに、思考対象外を決め込んでいる状況ではないかとも勘繰ってしまう。しかし、人口半減・若年人口の激減・高齢者社会の到来・独居世帯の拡大等は、間違いなく訪れる。人口問題が社会活動の全ての根幹を為しているため、私たちは上記の3グラフを真正面に見据えて、地域の活性化や伝統文化の継承等を考えていく必要がある。地方の行政当局も、来るべき近未来の厳しい状況を真摯に受け止め、これら3グラフに倣い〝我が町の100年後の姿〟的な状況をシュミレーションし、広く指し示すべきではなかろうか。そこから〝我が町のグランドデザイン〟に関する諸々の問題点・改善策は、現実味帯びて市民にも受け入れられ、地方活性化に対する様々な議論のスタートが始まっていくのだと思う。

コミュニティの現状を分析し、若い世代が少数派となっていることを理解する。

衰退が進む地域や地方へのマイナス影響を、何とか小さく止めるためには、何がしかの対策を急いでしなければならない。下記に、私の住む香川県観音寺市内・某太鼓台コミュニティ(自治会単位ではなく幾つかの自治会の複合体。このエリアは古い町場である)の人口構成グラフを示したが、グラフは明らかに頭でっかち(高齢者が大半を占め、若年層が極端に少ない)となり、将来の不安や危機感が既に現実のものとなっている。身の周りでは、子供の姿は極端に少なくなっており、更に男女を含め29歳以下の人口も、僅か13.7%しかいない。この状況は観音寺市に限らず、伝統文化・太鼓台を、これまで若い力で支えてきた文化圏各地でも、恐らく同様の厳しい現状にあるものと推察する。

現在の人口構成に拍車をかけて、更に少子・高齢化が当たり前となる今後の私たちの身の周りでは、「地域の中へ、若い力を」と、いくら声高に叫んでみても、少数派の若者たちが地域の中(コミュニティ活動や自治会活動等への参加・協力)で力を発揮するのは難しく、コミュニティから若い活力が次第に失われていくのは当然なのかも知れない。しかしながら、少ない若年層たちは、伝統文化の太鼓台舁きには幼い頃から進んで参加している現状がある。これを、ただ単に若年層の特色として分析(人数は少ないが、参加は多い)して捉えるのではなく、太鼓台文化を介して若年層の地域活動への取り込みが可能となる一環となるのではないかと捉えことによって、コミュニティの在り様が大きく変わってくる。地域や地方を活性化していくために、若者たちが参加し易い太鼓台舁きを足掛かりにして、そのパワーを地域内でも活かせるように知恵を出し合いたい。

「身近な自治会活動は、既に形骸化している」ということについて。地域の自治会活動などを主導しているのは、昔ながら〝現役をリタイヤした高齢男性〟の方々が中心であり、その男性の名前は自治会役員名簿等には名を連ねているものの、実際にこまめに活躍しているのは、彼らの奥さん方が殆どである。彼ら・彼女たちも〝順番が回ってきた、なり手がいない、1年間の辛抱〟などと仕方なく引き受けたもので、殆どが積極的に名乗りを挙げて役員等になったとは思えない。ただでさえ弱体化が顕著な身近な自治会活動が、このような人任せ的な組織体制では、これからの人口減少社会・超少子・超高齢化の社会を、どうやって乗り切って行けるのか。本当に肌寒い限りである。(自治会活動には多くの懸念材料があり、中でも自治会加入率の低減化は近年著しく、観音寺市では全世帯数の約4割が未加入となっている。また上述したように、自治会役員の積極的ななり手が少なく、毎年の役員選出には頭を抱えているのが現実で、特に若者層の自治会参加が殆ど見られない)

ここへ若いパワーを取り込むことができれば、私たちのコミュニティは大変革が期待できるのではないか。「20~30代の自治会役員はほぼ皆無」というのが、恐らく全ての地方の現状ではなかろうか。私たちの地方では、歴史や伝統豊かな太鼓台文化を介して、地域・地方一丸となって若い力を活用していくべきではないか。それも、1自治会に単独数ではなく、複数人が望ましい。綺麗ごとではなく窮余の策ではあるが、私たちの身近に〝打ち込めて、一つになれるモノ・太鼓台文化〟がある。これは間違いなく幸運なことである。私たちには、若いパワーを活かせる土壌がまだ残されている。そのことを、地域の中で最大限大切に育んでいかなければならない。

地域の中から、将来を担う子供や若者層の減少・少数化が続く限り、行政が唱える〝男女の共同参画・地域や地方の活性化・伝統文化の継承〟等は、絵空事の、無責任な放置でしかないように感じる。少ない子供や若者たちが、如何にすれば、地域の中で存在感を示すことができ、自発的に活躍できるのだろうか。厳しい近未来社会を前にして、若い力を発揮できる若者世代の「地域活動への参加」を〝地域・行政の総がかりで後押しすること〟が、今、最も急務なのではなかろうか。悩ましい問題ではあるが、自分たちのため、地域のため、ふるさとのため、そして伝統を絶やすことなく継続していくために、厳しい近未来とは言え、決して私たちが避けて通るわけにはいかないのだ。即ち、前途多難が間違いなく訪れる中、その困難を逆手に取って、厳しい人口問題に打ち勝つ方策を見い出さなければならない。そうしないと、ふるさとも太鼓台文化も、衰退・消滅の憂き目にあうことは必定なのだ。

厳しい人口問題に打ち勝つ〝活性化の原動力〟捜しを

今世紀後半の我が国(特に地方)では、人口減少や超少子・超高齢化など、厳しい現実が待ち受けている。ただ、厳しい現実に陥ることが避けられなくとも、何とか踏ん張って、私たちの地域や地方を活性化に繋げ、これまで同様、いやこれまで以上に、一人ひとりが輝き、地域が輝き、住み易いふるさとにしていきたいものである。悲観的になってしまい、八方塞がりで「打つ手がない」と諦める前に、そこに住む市民の総参加で、一人ひとりが容易に行動できる「地域活性化の原動力」を探し出し、私たちは地域一丸となってその原動力を携えて行動すべきだと思う。この地方に、そんな夢物語のような上手い〝原動力があるのか〟と思われるかも知れないが、実は、この西讃から東予地方の〝太鼓台(ちょうさ)・密集地〟だからこそ、「それは、ある」と声を挙げて主張する。

上に示した年齢構成グラフでは、29歳以下がコミュニティ内人口のわずか13.7%しかなく、39歳以下で20.4%、39歳以下でも27.1%にしか達していない。明らかに若い実働の「後継者不足」が目立っている。伝統文化を守り伝承してきたこれまでの時代とは異なり、超・少子高齢化の影響を受け、若者不在の先行き不安が現実のものとなりつつある。少ない若年層が、太鼓台運営をはじめ諸々の地域活動に積極的に参加し、地域活動を支援してもらえるかが、今後の大きな課題である。そのためには、若者が地域社会で貢献し易くなる支援体制を〝地域・行政一体〟で考え、強力に取組むことが求められてくる。地域活性化の議論の中心に据える太鼓台文化は、大勢の人々の心に普遍的に存在しているからこそ、何人も親しみ易く真剣に取り組むことが為されてくるのではなかろうか。「地域活性化の原動力は、太鼓台文化にあり」である。

地域活性化の原動力

敢えて私の住む観音寺市域に限定して論じると、観音寺・大野原・豊浜の三地区(平成大合併前の1市2町)では、「何が共通して、人々の心に棲みついているか」と問われれば、「太鼓台しか、無い」と、市民は即座に答えるのではなかろうか。ほとんどの観音寺市民は、ゆりかごから墓場まで、愛着を持って心に太鼓台を棲まわせ、日々の生活のアクセントとして太鼓台を大切にして来た。これこそ、「地域活性化の原動力」に活用できるのではないか。ここまで人々に愛され、故郷の宝物・原風景として歴史を紡いできた太鼓台文化ならば、自分たちの地域や地方の活性化に貢献できるのではないか。活性化に活用できる対象は、大勢の市民が何らかに関わっている「太鼓台文化しか、無い」のではないか。太鼓台が盛んな地域や地方では、〝太鼓台を中心に据えて、それに便乗して、諸々の難点を積極的に対処する〟ことで、地域社会の活性化が図れるのではないか。地域の中で少数派となった若年層も、太鼓台文化を地域の活性化に役立たせるのであれば、より積極的に活躍できるのではなかろうか。若年層・高齢者・男女を問わず、愛着を持って関わって来た太鼓台文化であるからこそ、活性化の原動力としてこの地域に活かせるのだと確信する。

更に市の外に目を向けると、体験人口2,300万人(日常的に太鼓台に関わっている人々と共に、身近で太鼓台を見聞きしたことのある人々をも含む)の太鼓台文化圏各地との、太鼓台を通しての深い絆が期待できるのは、大変に魅力的なことだ。同一の伝統文化・太鼓台を介して、「2,300万の各地とは、友好的な交流が期待できる」というのが私の確信である。ただ、これまでのように「自地区の太鼓台が一番」などと、他を顧みない排他的な態度や言動は言語道断である。自分たちが尊重されるためには、他を尊重しなければならない。文化圏各地の簡素で小さな太鼓台を見下げるようであったり、自己中心の排他性を貫くならば、友好的な交流どころか大バッシングを受けるだろう。太鼓台の歴史は、簡素・小型なカタチから豪華・大型へと発展を繰り返してきた。そのような各地の太鼓台は、ある意味では「大型・豪華な地方のルーツ的な存在」であり、その存在はレアで大変有難く、歴史を追体験できる貴重な存在なのである。

私たちは「地方活性化の原動力である太鼓台文化」とどう関わり合って、どのような対策を執るのか。そのシュミレーションの一部が次の図である。

構成としては、「地域・コミュニティの取組み」事項と、「行政サイドの施策・取組み」施策が左右にあり、両者が構想通りに進めば、中央の赤地に白抜き文字に達する。そうなるためには、当然行政サイドの強力で素早い助勢(両者の強力コラボ)が不可欠となる。この図では、地域活性化に活用すべき太鼓台文化を、これまで以上に客観的に理解することが大切と考え、例えば〝地域ぐるみで太鼓台文化の知識を高める〟ことや〝出前講座に太鼓台文化〟を加えること、〝太鼓台文化専門図書館の設置での学びの場の提供〟すること等を提案している。「太鼓台文化を地域活性化の原動力」として活用するためには、大本である太鼓台文化について、市民の大多数が「太鼓台文化に関する客観的な知識」をどんどん積み上げていき、それを共有していくことが欠かせないと考えている。

例えば、行政サイドの施策・取組みとして例示した「太鼓台文化の出前講座」を実施しようとしたら、どのような支障があるのだろうか、実施が難しいのだろうか。確かに私の住む観音寺市の出前講座に組み入れられている「市政・まちづくり、子育て・健康・福祉、くらし・環境、安全・安心」の各項目に、57件の多くの出前講座メニューがある。〝とても新メニューを追加する余裕はなく、他の業務に支障をきたす〟と言うのだろうか。あまり利用されていないメニューの見直しや、外部識者への委託(これは立派な民と官の協働である)を推進すべきではなかろうか。旧態依然として古きを踏襲して行くだけでは、厳しい時代を生き抜くためには、何ら前向きには変化しない。

また、「太鼓台専門図書館」の設置に関するものの考え方についてである。まず、このような図書館は現在どこにもない。それを立ち上げるには、膨大な費用と人力・知識等が必要となるのは分かり切っている。しかし、本気で工夫すれば、資金や資料集めは、情報化のこの時代、どうにかなるのではないか。一足飛びに膨大な蔵書や大きな図書館を目指すのではなく、最初は資料やデータ集めに奔走することとなると思うが、コツコツと着実に歩を進めることで、やがては実現に近づけるのではないか。「太鼓台文化を、深く学べる場がある」ことは、そこに住む市民は勿論、各地の2,300万の文化圏の人々にとっても、「あの町の、あの図書館へ行けば、自分たちの太鼓台も含め、一通りの太鼓台文化が解明できる」となれば、このような図書館の存在意義は計り知れない。

太鼓台文化を地域の活性化に組み込むことで、希望的観測ながら、今後少なくなる若者の地域の中での行動力が、大いに重要視されてくるのではないか。また、これまで時代にそぐわず、男性社会そのものであった太鼓台への女性の関わりを、男女共同参画の精神に併せ徐々に改善していくことで、人的不安は少なくともかなり解消されるのではないか。更に、地域の先輩であるお年寄りに対し、太鼓台からのパワーを提供できれば、コミュニティ内の活力や融和は一気に進展するものと思われる。

地域活性化に対するまとめ

朧気ながらも50年後・100年後を想定した厳しい姿が見えてきた今、そのカタチを固定されてしまったものとして受け止めず、「自分たちの改善していく本気パワー」で少しでもくい止め、コミュニティを、地方を活性化に導いていかなければならない。そのためには、若いパワーは必要不可欠な存在である。彼らの眼差しを、「如何にしてコミュニティや地方へ向けることができるか」が、ここ数年間の熟考期間となるのではなかろうか。そのためには、民と官との協働にて〝強力な後押し〟が重要となってくる。

彼らのパワーを、如何に導き出し、活かせるか。私たち地方の将来は、彼らの行動力にかかっている。行動力の大本となる太鼓台文化を、より客観的により公平に、その歴史や現状を知り、地域全員で学ぶ必要があるのではなかろうか。

(終)


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