太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

「太鼓台」表記の初見について

2019年04月04日 | 研究

特徴ある呼び名を持つ各地の各種太鼓台等に対し、標準語的扱いで「太鼓台」と正規に記録されだしたのは、一体いつ頃のことなのだろうか。太鼓台文化圏の人々にとって、各地で異なる名称にて同じ文化を論じ合うことは、甚だ支障となるのは論を待たないと思う。「太鼓台」を標準語として認知しておかないと、今後的な太鼓台研究の足並みの揃ったスタートが切れないのではないかと思う。「太鼓台=標準語」と看做すことを、今直ちにやっておかないと、私たちは前に進めない。証明できる史料等を見つけ出すのは至難のことだと思うが、客観的に理解できる古記録や遺産などが無いものかと長く思案していた。そのような矢先、姫路市・粕谷宗関氏著『故郷に神の華あり』(2005刊 442、439㌻)に出会った。

実は多様な太鼓台呼称の実相こそが太鼓台文化の本質であり、文化謎解きの手がかりとなる先人たちからのメッセージでもあると考えているが、その反面、各地の太鼓台が独立独歩や我田引水を決め込む独善的下地となっていることも間違いのない事実である。これまで大なり小なり各地が独善的我田引水を決め込んできたことによって、私たちの太鼓台文化は大いに害されているのは間違いない。

私たちは、未だに太鼓台文化理解の入口に立ち入った段階でしかないのだが、太鼓台の分布状況・その体験人口や影響力等に思いを巡らせても、現状の太鼓台文化の規模に対し、文化的評価や太鼓台が人々に影響するパワー等については、余りにも軽微な扱いしか受けていないのではなかろうか。伝統文化の客観的史実の解明に際し、独善・我田引水ではなく“太鼓台文化圏の仲間同士の協同作業”によって、遠隔の互いの文化を比較し論及しあうことが間違いなく重要であり、そうした一歩一歩の歩みこそが太鼓台文化圏を広く知らしめる方策になっていくはずである。広大な太鼓台文化圏の解明を、ごく少人数の人々に託していたのでは、恐らくこれまで同様、その解明は遅々として進展していかないのではなかろうか。明治維新以降、太鼓台文化は中央学会からも無視されてきたと思うし、東京一辺倒の現在においては、なお西日本の地方文化でしかないかのごとく軽視されているのだと感じずにはいられない。この文化圏の大勢の人々による協同作業で、これまでのモヤモヤを打破し、太鼓台文化圏としてまとまりのある文化解明を期待したい。

 

さて「太鼓台」表記の初見であるが、屋台(神輿屋根型太鼓台)新調時の大工図面が、上記・粕谷宗関氏の著作によって見い出された。氏によると、この図面は姫路市・魚吹(うすき)神社の宮田村と津市場村の2台の屋台が大坂(大阪)で造られた時のものと伝えられている。その折の大工さんが書いた図面ではないかとのことである。共に「太皷臺」と表記されている。掲載された神輿屋根型の屋台部材の写真では、「天保五年 午十二月 宮田村太皷臺」、「天保十亥八月作之 津市場村太皷臺」と書かれている。共に神輿屋根型の屋台(太鼓台)であるので、「太皷臺」と表記されていることに意義深いものを感じる。(画像は上記著作の442・439㌻よりコピー・転載させていただいた)

(終)

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太鼓台‥分岐・発展へ(5)

2019年04月04日 | 研究

[蒲団型]の続き

10.枠蒲団型・各辺分解枠型-蒲団枠の各辺がバラバラな構造をしている太鼓台で、鉢巻蒲団型の改良型として登場したと考えられる。蒲団部の恒常的部材として、それまでの長い鉢巻を四辺に四分割した「改良された鉢巻四辺型」というような太鼓台が出てくる。前4における須々万・熊野・明石穂蓼八幡・奈良南北三条の形がそれである。

・愛媛県長浜町磯崎の「四つ太鼓」

     

・愛媛県保内町櫛生の「四ツ太鼓」

・観音寺市伊吹島の「ちようさ」

11.枠蒲団型・各段分解枠型 四辺バラバラ蒲団枠が一段作りに発展する。

・倉敷市下津井松島の「千載楽・せんだいろく」

・笠岡市入江の「千載楽・せんだいろく」

・倉敷市玉島柏島の「千載楽・せんだいろく」

・愛媛県中島町津和地島(現・松山市)の「だんじり」

・三原市幸崎町能地の「ふとんだんじり」

    

・愛媛県魚島(現・上島町)の「だんじり」

・福山市鞆の浦の「ちょうさい」

・広島県倉橋島室尾の「だんじり」

      

・広島県大崎下島大長(現・呉市)

・愛媛県愛南町福浦

12.反り蒲団型  蒲団の四隅が反り上がった形態のもの。蒲団〆で柔らかい蒲団部全体をしばった際に、跳ね上がる状態をそのまま伝えたものか。

・愛媛県愛南町久良の「四ツ太鼓」

・琴平町の「ちょうさ」

・明石市の「屋台」

・京都府木津市の「御輿太鼓」

      

・加西市の「屋台」

・高砂市の「屋台」

※現在各地で見られている、祖型的な太鼓台から徐々に発達していったと考えられる太鼓台の形態の概要は、「太鼓台-分岐・発展へ(1)~(5)」のとおりです。勿論まだまだ紹介しきれていない地方の太鼓台も多くあると思いますが、今後のブログの中で追々紹介できればと考えています。

※次の段階として、各地で大切に遺されてきた奉納絵馬などの「絵画史料」を、別稿で紹介したいと思います。写真機などがなかった時代、太鼓台はどのように描かれていたのでしょうか? 大変興味の沸くテーマだと思います。

(終)

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太鼓台‥分岐・発展へ(4)

2019年04月04日 | 研究

[蒲団型]続き

9.鉢巻蒲団型-本物蒲団の欠点(長期保管時に形態保持が困難・高価等)を解決する方法を考えると、外観的には「本物蒲団同様」に見せられること、保管上は「省スペース」であること、高価な綿を使わず、身近な藁や籾ガラ・古綿などを代用して「真新しい蒲団」のように拵えられること等が、鉢巻蒲団型の採用に至った経緯ではないかと考えられる。小型太鼓台が主流であった時代には、蒲団部の強度はまだ問題ではなかったと考える。(次の蒲団枠型移行への過渡的存在)

・周南市須々万(すすま)の「揉み山」 4本の藁の棒状であるが、旧態は下写真の種子島の太鼓山のように、1本の長い藁の輪であった。輪に拵えるよりも棒状の方が拵え易い。

・種子島・西之表市の「太鼓山」(古くは「ちょっさー」) 旧態は一回り小型であったと聞く。毎年新しく拵えると聞いた。

 

・丹後半島の「だんじり」 もみ殻を袋詰めし蒲団に見せている。木箱を巡らす。蒲団中央部はこんもりと作る。(竹籠を伏せている地区もある)

 

・佐田岬半島・伊方町川之浜の「四ツ太鼓」 丹後と同様な木箱を採用している。蒲団部は両端を縫い合わせ輪状に拵えている。

・たつの市千本の「屋台」 蒲団部の真ん中には木箱が収められている。(2枚目写真。台の箱は使われなくなった以前の木箱)

・愛媛県保内町雨井の「四ツ太鼓」(現・八幡浜市) 美しい鉢巻蒲団型太鼓台。鉢巻・竹籠・箱・密封などが、このカタチの太鼓台の要素。

・三重県熊野市の「よいや」 蒲団部には組み立てる際の工夫が見える。熊野でも籠を使っている。

    

・明石市・穂蓼八幡神社(ほたで・ほたて-)の「屋台」 蒲団部の中は木箱などを使わず空洞になっている。蒲団締めできつく縛りカタチを整えている。

 

・奈良市・南北三条太鼓台 明石の屋台に木箱を採用したカタチであろうか。

(終)

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太鼓台‥分岐・発展へ(3)

2019年04月04日 | 研究

[屋根型太鼓台]

5.丸屋根型‥平らな天井の太鼓台が出てくれば、その天井を丸く装飾するのはごく自然の成り行き。

・小松島市の「勇み屋台」

・愛媛県愛南町内海柏の「四つ太鼓」

・徳島市勝占町の「勇み屋台」

・鳴門市の「勇み屋台」

 6.切妻・破風屋根型‥屋根が更に屋根らしく、地方によっては豪華となる。

・境港市外江の「だんじり」

・高松市庵治町の「だんじり」

・越智大島の「だんじり」(今治市)

・淡路島の「遣いだんじり」

 

・丹後・久美浜の「屋台」

・広島県坂町の「ちょうさい」

・小豆島・土庄町の「太鼓」

7.神輿屋根型‥屋根型の最も上級の神輿を模した形態に発展する。但し、初期の神輿屋根は意外と簡素であった。

・小豆島・土庄町の「太鼓」

・奈良県榛原市の「太鼓台」

・兵庫県三日月町の「屋台」

・姫路市の「屋台」

「蒲団型太鼓台」

太鼓台文化圏では蒲団型の太鼓台が最も数多く分布している。しかし蒲団型においても多様な発展を繰り返し今日に至っている。その詳細をたどってみたい。

8.本物蒲団型‥座布団状の本物の蒲団を積む。初期の蒲団型太鼓台である。

・愛南町深浦の「四つ太鼓」(「やぐら」とも称す)

・広島県大崎下島沖友の「櫓」(やぐら)

※奉納絵馬には蒲団部を積み重ねていない。(年代不詳-裏に書かれているのか)

(終)

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