甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

スポーツの杜 100年後の君達へ・・・より ~箕島高校 尾藤 公 監督

2016-03-10 | 高校野球

『スポーツの杜 100年後の君達へ』というスポーツコラムで、スポーツライターの藤井利香氏が執筆されている

箕島高校野球部 尾藤元監督さんの記事を目にして、先日、池田高校野球部 蔦元監督さんの映画を観て

感じた事と通ずるものが多くあり、記事の末尾に「この記事が気に入ったらシェアして下さい」と

メッセージがあったのでご紹介したいなと思います。

箕島高校の戦歴や、尾藤監督さんの凄さは多くは語らなくても高校野球をよく知る方々はご存知だと思いますが、

記事を拝見して、蔦監督さんの映画を観て感じた「名将」と言われる監督さんの野球や選手に対する奥深い想いが

ハッ!とするくらい共通されておられて、こういう監督さんと出逢えた選手たちは一生の宝を得たのだろうなと感じました。

尾藤監督さんと言えば「スマイル」

そのスマイルは選手の一言から生まれたもの。

日々グラウンドで子供たちと正面からぶつかり合い挑む中で、自分が教えたではなく、

子供たちに教えられたと尾藤監督さんは仰る。

笑顔は信頼を生む。そして笑顔は努力を支えてくれる。私の指導の支柱になりました」と。

試合の中で選手たちの言葉行動に教えられ、選手と一緒に勝って流した涙に言葉は要らない。

「こんないい試合をありがとう。同時に、この子たちと気持ちが通じたな、心が通い合ったな」

「本当に全てを出し切った時。やりきった時。言葉などいらない」

こういう尾藤監督さんの選手へかけるお気持ちが選手を成長させるのだと。


ありのままの自分を見せることで選手との信頼関係を生み

ご自分の信念を貫く野球をするということは、蔦監督さんの野球に対しての信念「続けること」と通ずる部分を感じました。

初めてご自分が野球に出会われた時の純粋なお気持ちのまま、ご指導をされておられたのだろうと・・・

そして、指導者としての引き際まで、キーワード「ノックが打てなくなった時・・・」も共通している。

1度にビールケースを空けてしまうくらいお酒が大好きだった蔦監督さんのように、

尾藤監督さんもお酒がお好きだったか?は知るよしもないが・・・。

5章からなるコラムで少し長いですが、読み終えた時には、先日私が蔦監督さんの映画を観終わって感じたように

きっと「心満たされる」お気持ちになって戴けるように思います。

良ければ、ぜひ最後までご覧下さいね。


箕島高校 尾藤公監督 1  ~甲子園で選手の能力を100%出す秘訣~

田舎の公立高校をトップレベルに引き上げて、春夏連覇を含む、四度の全国優勝。
記憶に刻み込まれる数々の名勝負と
あの尾藤スマイルを懐かしむファンはいまだ多い。
日々のグラウンドには、自分の全てをさらけ出し
子どもと常に正面からぶつかり合う、挑みがあった。
” 教えたではなく、教えられた ”
高校野球の名将は、そう言ってはばからない。

尾藤監督は昭和17年、地元和歌山県生まれ。高校は、後に監督になる箕島高校(和歌山県)その後近畿大学に進む。
現役時代のポジションはキャッチャー。
昭和41年より箕島の監督となり平成7年8月の退任まで甲子園出場14回。
春3回。夏1回の全国優勝を果たす。
春22勝5敗。夏13勝5敗という輝かしい戦績。
高校野球ファンなら誰でも知っている球史に残る名監督である。

JR紀勢本線の箕島駅。
小さな駅舎の待合には、両手を高々と上げて選手に胴上げされる尾藤監督のモノクロ写真が飾られていた。
もう何年も前の事なのに、往年の高校野球ファンにとっては永遠に色あせることのない懐かしき姿である。

だが尾藤監督は、かつての功績は「すべて選手のしたこと」と他人事のように口にして
過去へのこだわりを見事なくらい感じさせない。

尾藤スマイルが誕生した理由

甲子園大会の公式ガイドブックに「甲子園の思い出」と題したインタビュー記事が掲載され、
テレビ解説や講演活動があったりと、甲子園出場14回、通算成績35勝10敗という輝かしい成績を残した名将の周辺は、
勇退後も賑やかさを失わない。

日本高野連の常任理事(技術振興委員)を務めていた関係から、現役の指導者を前にして経験談を語る機会も多い。

その取っ掛かりの話題になるのが「尾藤スマイル」だ。

それは2度目の甲子園だった昭和45年春、選手のさりげないひと言がきっかけだった。

「内野手でやたら緊張する生徒がいましてね。エラーするやろうと思っていたら、本当にやった。
あと3つはやるなと笑ったら、周りの子どもがね、そんな風に監督がニコニコしていてくれたらリラックスして力が出せる。
そう言うんですわ。選手におだてられたんですわ」

この出来事がセンバツ初優勝を呼び込んで、さらには春夏連覇を含む4度の全国優勝を導き出した。

「笑顔は信頼を生む。そして笑顔は努力を支えてくれる。私の指導の支柱になりました。」

甲子園という大舞台で選手の持つポテンシャルを100%発揮させたのは尾藤監督の笑顔だったのだ。


箕島高校 尾藤公監督 2 ~星稜との死闘と涙のミーティング~

甲子園通算35勝という輝かしい戦績を残した尾藤監督。
なかでも我々の脳裏から焼きついて離れないのが星稜高校(石川県)との延長18回の死闘だろう。
今回は、この星稜戦のエピソードに焦点をあててみたい。

昭和54年、第61回夏の甲子園大会。対星稜(石川県)戦は延長18回の死闘は、いまだもって高い話題性を誇る一戦だ。

「田舎のチーム同士の、人間味あふれる試合だったからでしょうね。」と尾藤監督が振り返るように、
一つひとつのプレーにドラマがあった。

試合は箕島・石井毅(元西武)と、星稜・堅田外司昭投手の、淡々と、しかし力強い投げ合いで進み、
1-1の投手戦のまま延長戦へともつれ込む。

試合が動いたのは12回の攻防だ。

主将の上野山善久(二塁手)は前日に40度近い熱を出すアクシデントに見舞われ、
鼻血を出しながら辛抱のプレーを続けていたものの、この回、ついにタイムリーエラーを犯してしまう。

1-2と星稜リードとなって、12回裏の箕島の攻撃も2アウトランナーなし。
ここで次打者は嶋田宗彦(捕手・元阪神)だったが、入りかけた打席からベンチに戻り、尾藤監督に一言、名文句を言う。

「ホームラン、狙ってもいいですか!?」

「監督である私自身が、この時点で負けを覚悟していた。それが以心伝心、
ベンチ全体が暗くなっていることに嶋田が気づき、喝を入れてくれたのです。
彼の気迫に圧倒された感もありましたが、ハッっと我に返って、
よーし!狙ったれ!!と言いました。恥ずかしながら、子どもに教えられました。」

そのとおり、嶋田は見事にレフトラッキーゾーンにホームランを放って試合を再び振り出しに戻す。

日が落ちて球場全体をカクテル光線が照らす中、14回に今度は箕島がサヨナラのチャンスを迎える。

ところが、サードランナーの森川康弘(中堅手)が予期せぬ隠し玉にあってチャンスは一瞬にして消えてしまうのだった。

そして16回、再び星稜が勝ち越して2-3。

12回同様、箕島の攻撃もあと一人になる。打席に入ったのは、先に隠し球にあった森川。

汚名返上とばかりに初球から思い切って振っていったバットも、一塁フェンス際へのファウルフライとなって、万事休す。

が、星稜の一塁手・加藤直樹が、なんと転んでそのボールを捕り損ねるのである。

なぜ転んだかについては、不運にも照明が目に入ったことと、足元の芝生の境目、
ないしは、微妙にくぼんだ穴に足を取られたためなどと言われているが、
いずれにしても捕れば試合終了となったはずのボールは無情にもグラウンドに転がり落ちた。

命拾いをした森川は、そのあとの4球目に、再びの奇跡を呼び込む左中間スタンドへの同点ホームランを放つ。

当時まだ2年生。それまで公式戦はあろか、練習試合でも1本もホームランを打ったことがなかった選手の神がかり的な一発だった。

こうして息詰まる攻防の決着は、引き分け再試合となる寸前の18回裏、箕島1死一、二塁から
上野敬三(遊撃手・元巨人)が左中間ヒットを放ち、劇的なサヨナラで幕を閉じる。

試合時間3時間50分。終了のサイレンが鳴ったのは、まもなく午後8時という時刻だった。


『涙のミーティング』

「懐かしいですね。自分が監督としてこのような試合にかかわることが出来たことに、心から感謝しています。
でも試合は押されっぱなしで、やっている時は胸が押しつぶされそうな、めちゃくちゃ苦しい思いをしました。
春優勝したといっても決して力のあるチームではなかったので、連覇など一切口にせず、
子どもたちも勝ちにこだわるというよりは負けて早く帰りたいと平気で言うような連中でしてね。
それが終わってみれば、宝物のような試合になって・・・・。
宿舎に戻ったあとのミーティングがまた思い出です。
座敷で選手が正座をして待っていて、円陣を組んだその真ん中に私が座りました。
いつもの習慣で、右手から一人ひとりの顔を見回していくのですが、どの子も涙を浮かべ、
ポロポロと頬を伝わせている子もいる。
何かを喋らなくてはと思ったものの、最後のひとりを見終わったとき、自分も涙が止まらなくなってしまい、
しばらくはお互い見つめ合いながら泣いていました。」

勝って流した涙です。

持っている全てを出し切って戦いが終わったという満足感。

「こんないい試合をありがとう。同時に、この子たちと気持ちが通じたな、
心が通い合ったなと、そんな充実感をも味わうことができました」

この一戦は、後に ” 神様がつくった試合 ”  ” 最高試合 ” などと形容され、今なお語り続かれている。

本当に全てを出し切った時。やりきった時。言葉などいらない。

お互いの涙で連帯感が生まれ、子どもたちは、また成長していったのである。

尾藤監督と共に。


箕島高校 尾藤公監督 3 ~思い出の試合と信念~

試合では笑顔でリラックスさせ、選手の持つポテンシャルを100%発揮させるよう導いていく。
そして、伝説となった延長18回の星稜(石川)戦では、試合後のミーティングで選手と言葉ではなく、
涙でコミュニケーションをとった尾藤監督。
喜怒哀楽をあえて出し、ありのままの自分をさらけ出すことで選手の信頼を勝ち取る。

尾藤監督によれば、星稜戦ともうひと試合、忘れられない試合があるという。
星稜との激闘に勝ち、順当に勝ち星を重ねて迎えた決勝戦。

浪商(大阪)との戦いである。

浪商といえばエース・牛島和彦(中日~ロッテ)と、ドカベンこと香川伸行(南海~ダイエー)のバッテリー。
逆転逆転のシーソーゲームの末に、箕島が8-7で勝利している。

勝負を決めた8回の攻防で、サイクルヒットがかかっていた主砲の北野敏文(一塁手)が
バッターボックスに入り、ドカベン香川に向かって「勝負せい!」とけしかけた。

浪商ベンチのサインは敬遠であったが、牛島・香川のバッテリーは勝負に出た。

お互いに逃げない―――。

試合後、「力と力でぶつかり合った、すがすがしいゲームだった」と、尾藤監督は振り返る。
(北野選手は史上初のサイクル安打を達成した)
箕島ベンチに顔を向け、尾藤監督に向かってにっこり笑った香川の姿に
愛されるべき豊かな人間性を感じ、それも印象に残ると言っていた。

白熱の試合を制した箕島はセンバツ優勝を遂げ、続く夏も制して春夏連覇を果たした。

「春夏連覇は考えもしなかったので感慨深いことです。でも本当に感激したのでは、やはり初出場の時ですよ。
一番最初に甲子園の舞台に立てた時の、言葉にならないほどの感激は忘れられません」

『名門・平安高校との練習試合に奔走』

初出場、昭和43年センバツでいきなりのベスト4入りを果たしたのだが、その原動力となったのが東尾修(西武)だ。

実は東尾投手ら3人の選手は、当初平安(京都)に行く予定だった。
なんとか地元でやって欲しいと説得し、それから箕島の歴史が変わることになった。

ある時選手たちに「どこと練習試合がしたい?」と聞いたところ、「平安」と答えが返って来た。

「よっしゃ! 任せろ!」と言ったのはいいが、当時の箕島は全くの無名校。
予想どおり、電話ではまったく相手にしてくれない。

そこで尾藤監督が直接学校まで出向いたのだが、監督も部長も会うことすらしてくれなかった。
どうしようかと頭を抱えていたところ、野球部とは全く関係ない先生が「夜、この店に行けば部長に会えるかも知れませんよ」
と教えてくれた。

尾藤監督はそこへ行き、やっと生徒たちの願いである「平安高校戦」を現実のものにできたのだった。

「でも来たのは、2軍のチームでしたけどね」

悔しさを心の奥にしまい込み、それから無我夢中でノックバットを振り続けた尾藤監督。
駆け出しの初々しい指導者の頭の中にあったのは、
名門高校といわれるチームの2倍、3倍の練習量をこなさなければ勝てない。この信念だけだった。
甲子園での笑顔とは裏腹に、グラウンドは「戦いの場」をとことん実践した指導者でもあった。

寝食を忘れて信念を貫けば、夢はいつか実現となる。


箕島高校 尾藤公監督 4 ~ 明確なビジョンと分析~

尾藤監督は、全くの無名校から全国区の強豪校に上り詰めていった。
そこには「強い信念」があった。
名門校に負けない練習量。考え方は単純だった。

尾藤監督には、こんなチームにしたいという明確なビジョンがあった。

■広島商業のような「緻密で堅実な野球」
■松山商業・徳島商業・高知商業・高松商業の「力強い野球」
■大阪の代表校のような「抜け目のない〝がめつい〟野球」

この3つをミックスすれば、絶対にいいチームができると信じていた。

練習方法は、あくまでノック中心。
ハンパな数ではない。
ただひたすらノックを打ち、選手は必死にボールを追っていた。

尾藤監督は、金属バットでノックをしていた。
当時ノックは木のバットでするのが普通であった。
だが監督は、「選手は金属で打つのにノックだけ木製というのはおかしい。
ノックも金属で打って打球に慣れるべきだ」と考えていた。

ちなみに伝説の試合相手・星稜の山下監督は木のノックバットを特注で作らせていた。
マイ・ノックバットである。
山下監督のノックも右へ左へ流れるようなノックで芸術的と言われたが、
尾藤監督も負けてはいない。
ライト線、レフト戦ギリギリなど、狙いを定めて確実にそこへ選手を走らせた。
試合でありうる、ありとあらゆる打球を打てて初めて本物のノッカーとなる。

ノックの時点で、箕島VS星稜の戦いは始まっていたのかもしれない。

『尾藤監督のユニークな選手の分析方法』

これはのちによく知られる話となったが、
箕島が黄金期のチームを、尾藤監督が分析。
すると、親の生き様が子ども達にも現れていることがわかった。

投手の石井毅(西武)の家は、みかん農家。
1年間、細やかなことに気を配りながら、辛抱強く作物を育てていく。
それがピッチングにもよく現れていたという。

捕手の嶋田宗彦(阪神)は漁師の家。「板子一枚下は地獄」ということわざもあるように、
命がけの仕事である。船を出すべきか否か瞬時の判断も、必要となる。
嶋田選手にはその判断の素早さに長けていて、行動も漁師そのもの、豪快だった。

副将でサードコーチャーの中本康幸は、性格がど真面目だったとか。
毎日の練習方法などをノートいっぱいに書いてきて、ボールをいくつ紛失したかまで報告してくる。
「ノートをみなあかん、こっちの身にもなってほしいわな」と、
当時の様子を振り返りながら、尾藤監督が大笑いしていた。
その中本選手は、3年間で1回しか打席に入っていない。守備についたことも1度もないが
サードコーチャーという自分の持ち場を黙々とやっていた。
試合には出なかったが副将として立派に職務をまっとうした。

いろいろな選手が、あのチームをつくりあげた。

明確なビジョンを持ち、詳細な分析をする事で目的は成し遂げられる。

箕島高校 尾藤公監督 5 ~和歌山県の高校野球で強豪校に育てた男~

試合中に笑顔を絶やさず選手の能力を100%引き出し
甲子園35勝をあげた、まさに名将。
生徒達への教育方針が少しずつ変わっていく。
そして監督を引退の時がやってくる。

尾藤監督が29年間の監督生活を振り返ったとき、指導方法や感じ方について
大きく前半と後半に分けられるという。

前半の選手は、漁師町である土地柄そのままに奔放でたくましい選手が多かった。
しかし、後半に入ると子ども達の気質は一変した。

「前半の指導では、太鼓でいうならば、弱く叩けば弱く響く。そして、強く叩けばドーンと響く。
ところが後半は、弱く叩く分には大丈夫だったが、強く叩くと太鼓が破けてしまうのです。
これにはとても驚きました」

「前半では、選手に対して求めるものがメチャクチャ多かった。有無をも言わさず、全員ここまでやるんだぞ。と。
だが後半では、できないことは求めない。そのかわり、持てる力を出し切って欲しい。そんなふうに変わりました」

春夏連覇の後、尾藤監督はベンチ入りのメンバーを選手たちに決めさせてきた。
どうしても最後の2~3人が選べずに悩んでいた末に
当時の都立東大和高校・佐藤道輔監督(夏の都大会で2度準優勝)に学んだ手法だ。

あるとき、いつものように選手に投票させたところ、ボーダーラインの選手が自分の名前を書かずに出した。

「書けばベンチ入りできるかもしれないのに、書かんのです。
その子は、自分のことを殺してでもチームのことを最優先で考えた。
私はずっと言っていたんです。自信を持て。主張していいんだ。
優しさも必要だが、強さも同じくらいなければならない。
半分ずついるんだぞと繰り返し話をしてきましたが、嬉しいような悲しいような複雑な思いだったのを覚えています」

複雑さを好まないストレートな人柄は、どんな選手にも最後まで自分をさらけ出し、体当たりで指導した。
自分が思ったことを格好つけずに表現し、怒るときには怒り、笑うときにはとことん笑う。

「野球だけがすべてではないんだ。いろいろなことに興味を持て」
それが口癖で、流行りの歌やマンガの話、恋愛の話などざっくばらんに選手と会話した。

尾藤監督は、泣くときは選手以上に泣いた。
年とともにその機会は増え、毎夏の終わりには監督の専売特許のようになっていた。
3年生を前に一人ひとりねぎらいの声をかけながら、こらえようと必死にしている選手をよけい泣かせてしまうこともしばしばだった。

時には自分も一緒に終わってしまいたいと思うほどの虚脱感に襲われ、それに負けそうになったことは数え切れない。

『引退の理由はノックができなくなったから』

そんな彼らを前にして、「鬼の尾藤がホトケの尾藤」になっていく。

そして、まだまだこれからというとき、一人引退を決めた。

理由は明快だ。

「ノックが満足にできなくなったから」

選手と一緒に汗を流し、ノックを通じて心のやり取りをし、一緒に喜びや悔しさを分かち合ってきた。
選手とともに歩むことのできる監督でありたいと思っていたので、それができなくなったらきっぱり辞めるしかない。

潔い決断だった。

――もし、もう一度ユニフォームを着て指導するなら。

尾藤監督に尋ねると、甲子園で見せたあの尾藤スマイルそのままに、こうひと言返ってきた。

「当時と変わらず、すべてをさらけ出しながらの指導。そのことに、なんら変わりはないでしょうね」

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藤井 利香氏

東京都生まれ。日本大学卒。
高校時代は(弱小)ソフトボール部の主将・投手・4番として活躍。
大学では、体育会ラグビー部の紅一点マネージャー。
関東大学リーグ戦グループ・学生連盟の役員としても活動。
卒業後は商社に勤務するも、スポーツとのかかわりが捨てがたく、ラグビー月刊誌の編集に転職。
5年の勤務のあと、フリーライターとして独立。高校野球を皮切りに、プロ野球、ラグビー、バレーボールなどのスポーツ取材を長く行う。
現在は、スポーツのほかに人物インタビューを得意とし、また以前から興味のあった福祉関係の取材等も行っている。
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・・・尾藤監督さんも凄くて素敵な監督さんですよね。

蔦監督さんが凄くて素敵なように・・・。


解禁!

2016-03-08 | 春夏秋冬 こつ こつ と...日記



高校球児の球春到来!

対外試合が解禁になり、鍛えた冬の成果を試す瞬間がやってきました。

早速、練習試合が行われていましたね。

ここ数日、春本番の暖かさでしたが、明日以降寒の戻り気温が下がる予報です。

気温差で、いきなり体調を崩してしまった とならないよう

選手のみなさんは春の大会に向けて体調管理に気をつけて下さいね。


兵庫では春季大会地区予選の組み合わせも決まり・・・(まだ高野連の発表がまだですが・・・待ってます)

チラホラみなさんの投稿を拝見し、どの試合を応援に行こうか~と、私も早速予定とにらめっこ中です。

高野連の発表がありましたら改めて対戦組み合わせをUPしたいと思います。


そして~播磨の春もやってきました。





















今日は少し風も強くて梅の花が散ってしまい、梅の花の絨毯も見られました。

桜の蕾も随分膨らんで、もうすぐ春満開です。



昨日、播磨の春を告げる、いかなごの新子漁が解禁になりました。

今冬は暖かい冬で、いかなごも調子が狂ったか?例年より漁の解禁が遅れました。

収穫量も今イチだったようで、昨日の解禁日には市場価格1キロ2千円を超える高値でビックリしました。

と言うものの、店頭に並ぶいかなごの新子を見ると炊きたくなる関西人。

あの人にも、この人にも播磨の春を届けたい・・・

くぎ煮を炊く方はそう思って、何キロも炊いて春のお裾分けをされる方も多いです。

私も今日2キロを炊きました。



播磨の春・・・あの人にも、この人にも届けよう


徳島県プチ旅~池田高校 蔦監督さんの野球道を尋ねて~

2016-03-06 | 高校野球


昨日、今は亡き池田高校野球部 蔦 文也監督さんのお孫さん、蔦 哲一朗氏が製作された映画

「蔦監督 高校野球を変えた男の真実」を観るために徳島県までプチ旅をして来ました。

 
上映を知ってどうしても観たかったこの映画、どこかのタイミングで絶対行こうと思い、

ちょっと遠かったですが(どころか~往復5時間かけて‥笑)

大~好きな淡路島には目もくれず一直線に横断 

一路、今回の会場となった徳島県名西群石井町にある石井町中央公民館へ。
 

映画の内容は思っていた以上のもので、蔦監督さんの野球愛、球児への愛情は計り知れないほど奥深いものがあること、

そして蔦監督さんが野球というものを糧に生きた人生の素晴らしさに感銘を受けて、

何事も続けていくことの大事さと、人の縁の大事さを勉強することができた貴重な時間を戴きました。


映画のタイトルである「高校野球を変えた男・・・」

蔦監督さんとご縁をもたれた方々のお話しで構成されている内容ですが、

みなさんのお話しの中からも、蔦監督さんが伝え続けてこられた「続けることの大事さ」を節々で感じることができましたし、

その教えがご縁のあった方々の心に残り受け繋がれていることが、野球を通して蔦監督さんが伝えたかったことなんだと感じました。


若干22歳の若さで太平洋戦争に出征され、特攻機の不具合で命を繋いだ蔦監督さんと

戦友であられる茶道裏千家 第15代目家元 千 玄室氏のお話しに、

「必要があって残され、蔦監督さんは野球で必要性を認められて野球で生き、野球で死んで逝った」

「求めるものがあれば歯を食いしばっても最後までやっていかないといけない」と言葉を残されておられました。

その言葉の通り、野球を全うされた蔦監督さんの野球道は、よく人間味と言いますが、

野球にも人に対しても蔦監督さんの「味」そのままの野球人生だったように感じました。


続けることの大事さの意味の中には、人生に於いてということもそうですが、

野球に於いても信念を持って続けていくことで、時代の流れが向こうから自分の野球に流れをもたらしてくれると。

チャンスでスクイズのサインを出すのが怖くて出せない人だった、だから打って攻める野球をしていたと意外なお話も。

その打って打って攻める野球を続けたことで、時代の流れが自分の野球に乗ってくれたのだと。

蔦監督さんの野球・・・バットで攻めて攻めまくる野球のイメージがありますが、

私たちには見えないものが詰まりすぎている貴重なお話しを聞くことができました。


時代の流れに乗って打ち勝つ野球で大フィーバーを巻き起こした、昭和57年夏、昭和58年春の2連覇、

そして3連覇の懸る昭和58年夏。

ここにも私たちには表しか見えない、期待と重圧の中での野球に苦しんだ

蔦監督さんやご指導者、そして選手たちの苦悩に、高校野球の凄さと切なさのようなものをとても感じました。

この大フィーバーの渦中に居た水野氏が3連覇を賭けた3年生の夏の準決勝 PL学園に敗戦した後のインタビューに

「やっと終わった」という安堵と、この渦から開放されたと伺える言葉がありました。

この言葉からも想像できるように、私たちギャラリーには計り知れない選手たちの気持ちにかけられた重圧を感じ、

こんな悲しい言葉が出る背景や選手たちの気持ちを想うと胸熱くなるものがありました。


蔦監督さんの言葉で一番印象深かったのは

「負けることはそんなに不名誉ではない、不名誉なのは人間がダメになること。

人生には勝つこともあれば負けることもある。

勝つことにこしたことはないが、勝つことばかりを考える人生には魅力はない

生徒と野球をし、勝って喜び、負けて悲しい、楽しい野球をしたい。

野球は人生の喜怒哀楽を表すものだ。」と。

そして「野球が好きで好きでやめられへん」

蔦監督さんの野球道に込められた信念はこの言葉に尽きるかなと感じますし、

野球が好き!この言葉に尽きる野球人生であられたのだと思います。


また、蔦監督さんの野球人生、選手たちの野球道に奥様のキミ子さんは無くてはならない存在。

映画の中で知るキミ子夫人は、それはそれは気さくな楽しいお人柄で、

私なんかが野球の母と語るのも恥ずかしい、本当の野球の母でした。

キミ子夫人は、2015年2月3日 蔦監督さんの元へ旅立たれました。

生まれ変わったらもう一度蔦監督さんと一緒になりたいか?と聞かれると

「あんな大酒くらいの相手はもうゴメン!私は男に生まれたい」と仰っておられましたが、

キミ子夫人は、蔦監督さんのことを亡き後も「先生」と呼ばれておられるお姿に、

野球一筋に生きられた蔦監督さんをご尊敬されておられたのだろうなと感じました。

キミ子さんあっての蔦監督さんの野球人生、蔦先生あってのキミ子さんの人生だったのだろうと思います。

池田高校野球部や高校野球界にとっても偉大なお二人を亡くしたことを本当に残念で寂しい気持ちですが、

蔦監督さん、キミ子夫人のご冥福をお祈りし、

また巡り逢ってお二人で野球人生を歩んで戴きたいなぁという気持ちでいっぱいになりました。




会場には、阿波池田商工会議所青年部が製作された蔦監督さんのゆるキャラ『つたは~ん』も登場して、

おじいちゃんと孫が再会を喜び抱き合う場面や、つたは~んが客席に座ってしまって皆さんに笑顔が溢れる和やかな時間もありました。

 昨日の、つたは~ん

石井町のゆるキャラ ふじっこちゃんも登場しました。



2014年の選抜出場時に製作されたという、つたは~んとキミ子夫人のツーショットも見れる当時のビデオを発見しました。



池田高校が甲子園に戻って来た時には、ぜひアルプスでウロウロして欲しいです

蔦監督さんが言われておられました。

甲子園で観客の皆さんに「また来いよ!」と声を掛けられると、またここへ戻って来るために頑張ろうと思えると。

応援が選手の力になると言いますが、監督さんにとっても応援の言葉が自分自身への力となっているんですよね。

ぜひ皆さん、甲子園のスタンドから出場校の選手や監督さんに向けて「また来いよ!」と声をかけてあげて下さい。


旅の思い出に蔦監督さんの似顔絵タオルを購入しました。

ご好意で、つたは~んバッチをいただきました。嬉♪



上映後、蔦 哲一朗氏と少しお話しもでき、つたは~んと一緒に記念撮影をさせていただいて、

帰り道には、雨でグラウンドが使えない時にイレギュラーの練習をしたという吉野川の土手に寄り、

この川のず~っと向こうで選手たちと野球をしたんだなぁ~なんて思いながら夕陽に輝く吉野川を撮ったんですが・・・

蔦監督さんの仰るように人生色んなことが起こります。

携帯の調子が凄く悪くてその写真が消えてしまい大ショックを受けながら今書いています

蔦 哲一朗監督さんと生つたは~ん、そして、あの夕陽の吉野川の美しい風景は私の心の中に・・・

またひとつ、素敵な野球旅の思い出が増えました。


これから東京や大阪などで公演が順次放映されます。

映画を拝見して、もっともっと伝えたいこともありますが、あまり書くと今から観られる方もいらっしゃるのでこの辺りで・・・。

ぜひ会場へ行かれて、蔦監督さんの野球道や池田高校野球部の長い歴史をご覧下さいね。

上映の予定日時等は 映画「蔦監督」公式サイトご確認下さいね。


最後に個人的にお願いです。

この映画上映にあたり入場は無料で行われており、募金という形で募られておられます。

ぜひ会場へ行かれた際には、ご協力お願いします。


そして今回の徳島県プチ旅グルメは、石井町にある『そば好』さんへ。


四国と言えばうどんを思い付きますが、そば好さんは蕎麦オンリーのお蕎麦さんです。

お蕎麦が美味しいとこの辺りでは有名だそうで、玄そばの実を殻ごと挽いた蕎麦粉を使った手打ち蕎麦が食べられるお店です。

そば好さんには珍しいテラス席があって、お庭を眺めながらお蕎麦を頂けます。



昨日の徳島は春本番の陽気で暖かく、静かな空間に小鳥の鳴き声を聞きながら

贅沢な時間の中、噂の粗碾きそばを頂きました。

お蕎麦の香りが良くて、出汁の効いたつゆにピリッと辛いピンクの辛味大根を入れて頂くお蕎麦は

大人のお蕎麦って感じでとても美味しかったです♪





 
甘味も数種類あって、蕎麦がきにきな粉をまぶした蕎麦まんじゅうもいただきました。




お餅でもなく、わらび餅でもないトロトロ~の食感。

温かい蕎麦がきに少しお塩が効いていて、甘いきな粉がたっぷり~

凄く美味しいかったです。

徳島県石井町へ行かれる際は、そば好さんの美味しいお蕎麦を食べに行ってみて下さいね。

そば好 
 

徳島県プチ旅~池田高校 蔦監督さんの野球道を訪ねて~

蔦監督さんの野球道に触れさせて戴き、表現するなら・・・心満ちた野球旅でした。

往復5時間日帰り弾丸旅でしたが、心もお腹も満たされてとても素敵な思い出深い野球旅になりました

Hyogo Nine 2016年早春号NO,3♪

2016-03-04 | 読書


兵庫の球児オンリーの雑誌 Hyogo Nineをご存知ですか~?

2015早春号が創刊してから毎刊取り寄せて愛読しています

3刊目 2016早春号NO,3「春が来た。球場で会おう」が届きました  

今回も注目選手や選抜間近ということもあって内容満載♫

「ホップステップの秋 ジャンプで夏へ」では

神港学園 三宅投手、もうすぐ選抜甲子園 長田 園田投手、注目の育英 山本投手、

秋ベスト4 加古川東 大村投手と正中投手の2人、

六甲アイランド 切り込み隊長 岸本選手と、注目している一年生投手 薗投手、

三田松聖 女房役 稲岡捕手、東洋大姫路 森田選手の9人のインタビューと

それぞれの選手へ向けるチーム監督さんの言葉も。


毎回楽しみな監督さんインタビュー「カントク タナゴゴロ」 

今回は飾磨工業 野監督さんの内容濃いインタビュー記事が掲載されています。


そして、「報徳学園 多鹿丈一郎に聞く」

このページは見入ってしまった。

昨秋季大会の対戦や、近畿大会準々決勝 滋賀学園との延長14回の接戦など

キーポイントとなった場面について、多鹿主将の目線での振り返りがとても興味深い内容でした。



毎刊、直近の大会の地区ブロック大会から県大会、近畿大会までの全試合の結果を網羅していて

県大会、近畿大会スコアでは全試合のニングスコアが掲載されているのも、この本の好きなところです。

秋号は発刊されなかったので、昨夏のスコアや夏を終えた3年生の記事がないのが残念なところ・・・。


今回のスコア一覧ページのトップには報徳学園エース ヌッシーこと主島投手が

野球の母心・・・やっぱりお知り合いの選手が掲載されると嬉しいものです。

想いを最後の夏へ向けてガンバレ!ヌッシー!

明石商業 吉高投手の甲子園マウンドも本当楽しみです。



「チーム背景」には、昨秋季県大会で創部後初勝利を上げた浜坂高校が取り上げられていました。

春夏通して甲子園初出場の明石商業、長田みんながドド~ンと掲載されています。


                    左ページ折目2段目にコニタ~ン                                   

ここも野球の母心・・・明石商業 コニタンこと小西選手 一番に見つけました。

ど真ん中のいい場所で、いい笑顔です

コニタン!明石商業のみんな~甲子園ガンバレ!


        右 小無田マネージャーさん          

いつも長田野球部の様子を届けてくれる小無田マネージャーさんの姿も♪

長田 園田投手は、マウンドの表情からは想像できない笑顔が印象的でした

長田のみんな!甲子園楽しみにしてるよ~ガンバレ
 

みんなの晴れ姿が観れるまで、甲子園まであと16日!楽しみです

そんなこんな~2016早春号も期待以上の内容満載でした

次号も楽しみです♪

Hyogo Nine ぜひ読んでみて下さいね♪

Hyogo Nineは書店では販売されてなくて、現在amazonのネット販売からのみ購入できます。

 HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.1 2015早春号

 HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.2 2015初夏号

 HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.3 2016早春号

第88回 選抜高校野球まであと17日♪

2016-03-03 | 2016 春☆甲子園



甲子園練習日程がきまりました。

各校30分と短い時間ですが、甲子園の空気感じながら良い練習になるといいですね。

【15日】
14:00 南 陽 工
14:30 市和歌山
15:00 東 邦
15:30 小 豆 島
16:00 敦賀気比
16:30 高 松 商

【16日】
9:00  花咲徳栄
9:30  札幌第一
10:00 明徳義塾
10:30 桐生第一
11:00 釜 石
11:30 木更津総合
12:00 秀 岳 館
13:00 関 東 一
13:30 福井工大福井
14:00 鹿児島実
14:30 長 田
15:00 滋賀学園
15:30 海 星

【17日】
9:00  八戸学院光星
9:30  常総学院
10:00 日南学園
10:30 土 佐
11:00 開 星
11:30 創志学園
12:00 大阪桐蔭
13:00 明 石 商
13:30 東海大甲府
14:00 智弁学園
14:30 青森山田
15:00 龍谷大平安
15:30 いなべ総合

また開閉会式の司会や、開会式での国歌斉唱を務められる生徒さんが発表になりましたね。

開会式の司会は、広島県福山誠之館高校3年生 藤井翔也さん(第62回全国高校放送コンテスト・朗読部門優勝)

長崎県諫早農業高校3年生 松永裕太郎さん(第62回全国高校放送コンテスト・アナウンス部門優勝)が務められ、

楽しみな国歌斉唱は、第69回全日本学生音楽コンクール全国大会声楽部門高校の部1位の

東京都総合芸術高校3年生 間聖次朗さん、香川県坂出高校3年生 三好優夏さんが務められます。

国歌斉唱を2人で務められるのは珍しいですね。

閉会式の司会は、広島県尾道北高校2年生 中村みちるさん(第62回全国高校放送コンテスト・朗読部門優秀)が務められます。


11日には、いよいよ組み合わせ抽選会が行われますが、その日は東日本大震災発生から5年の日。

犠牲になられた方々を偲んで、参加者全員で黙とうが捧げられるとのことです。

抽選方法は、同一地区の出場校同士が準々決勝まで、同一県の出場校同士は決勝まで対戦しないよう振り分けられ対戦組み合わせが決まります。

同県同士の決勝対決・・・観られるかもしれないですね。

また、開幕戦の始球式は身体障害者野球チーム 神戸コスモスで頑張っている兵庫県須磨東高校2年生 山本大誠選手が投手を、

兵庫県柳学園中学校2年生 小浜素生選手が捕手を務められます。

山本選手は内野手だそうで、「ごく一部の人しか立てないマウンドで投げられるのは嬉しい、これまで支えて下さった方々への恩返しにしたい」と。

中学14歳の小浜選手は投手、外野手としてプレイする選手ですが、甲子園では捕手を勤められるとのことで

「甲子園は僕にとって夢の舞台、試合をする気持ちでプレイしたい。始球式の経験を将来に生かしたい」と力強い。

球児の夢、甲子園で二人の笑顔のプレイが観られること楽しみです。


開会式は出場校全チームを観れる唯一の場で入場行進も楽しみにしているんですが、

行進の順番は第87回優勝校 敦賀気比(福井)、そして準優勝校 東海大四(北海道)粂裕太主将、残る31校が北から順番に登場します。

東海大四校は四月から校名が変わるそうで、東海大四校のユニホーム姿を甲子園で観るのはこれが最後となりますね。


そして話題になっているバックネット裏のドリームシートは、当初の発表では小中学校の軟式チームを対象としていましたが、

大会第3日の22日から3日間、大会期間中出場校に練習会場を提供している大阪と兵庫の両府県高野連を通じてチームを募り観戦するそうです。


選抜甲子園開幕まであと17日。

お天気に恵まれ、素晴らしい開幕日になりますように


プチお花見♪

2016-03-02 | 春夏秋冬 こつ こつ と...日記

少し肌寒い日が続きましたが、瀬戸内の梅が綺麗に咲き始めました。

海風寒い海沿いでも良く陽の当たる梅の木は八分咲きで春って感じになってきましたよ♪





青空に濃いピンクの梅が色映えして綺麗でした



夕暮れ帰り道・・・夕陽と梅は、また違う顔が見えてホッとする瞬間でした。







明日からは少し寒さ和らぐようなので、来週には海沿いの梅林で綺麗な梅の花が見られるかなぁ~と楽しみです