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~球児たちの あしあと~

徳島県プチ旅~池田高校 蔦監督さんの野球道を尋ねて~

2016-03-06 | 高校野球


昨日、今は亡き池田高校野球部 蔦 文也監督さんのお孫さん、蔦 哲一朗氏が製作された映画

「蔦監督 高校野球を変えた男の真実」を観るために徳島県までプチ旅をして来ました。

 
上映を知ってどうしても観たかったこの映画、どこかのタイミングで絶対行こうと思い、

ちょっと遠かったですが(どころか~往復5時間かけて‥笑)

大~好きな淡路島には目もくれず一直線に横断 

一路、今回の会場となった徳島県名西群石井町にある石井町中央公民館へ。
 

映画の内容は思っていた以上のもので、蔦監督さんの野球愛、球児への愛情は計り知れないほど奥深いものがあること、

そして蔦監督さんが野球というものを糧に生きた人生の素晴らしさに感銘を受けて、

何事も続けていくことの大事さと、人の縁の大事さを勉強することができた貴重な時間を戴きました。


映画のタイトルである「高校野球を変えた男・・・」

蔦監督さんとご縁をもたれた方々のお話しで構成されている内容ですが、

みなさんのお話しの中からも、蔦監督さんが伝え続けてこられた「続けることの大事さ」を節々で感じることができましたし、

その教えがご縁のあった方々の心に残り受け繋がれていることが、野球を通して蔦監督さんが伝えたかったことなんだと感じました。


若干22歳の若さで太平洋戦争に出征され、特攻機の不具合で命を繋いだ蔦監督さんと

戦友であられる茶道裏千家 第15代目家元 千 玄室氏のお話しに、

「必要があって残され、蔦監督さんは野球で必要性を認められて野球で生き、野球で死んで逝った」

「求めるものがあれば歯を食いしばっても最後までやっていかないといけない」と言葉を残されておられました。

その言葉の通り、野球を全うされた蔦監督さんの野球道は、よく人間味と言いますが、

野球にも人に対しても蔦監督さんの「味」そのままの野球人生だったように感じました。


続けることの大事さの意味の中には、人生に於いてということもそうですが、

野球に於いても信念を持って続けていくことで、時代の流れが向こうから自分の野球に流れをもたらしてくれると。

チャンスでスクイズのサインを出すのが怖くて出せない人だった、だから打って攻める野球をしていたと意外なお話も。

その打って打って攻める野球を続けたことで、時代の流れが自分の野球に乗ってくれたのだと。

蔦監督さんの野球・・・バットで攻めて攻めまくる野球のイメージがありますが、

私たちには見えないものが詰まりすぎている貴重なお話しを聞くことができました。


時代の流れに乗って打ち勝つ野球で大フィーバーを巻き起こした、昭和57年夏、昭和58年春の2連覇、

そして3連覇の懸る昭和58年夏。

ここにも私たちには表しか見えない、期待と重圧の中での野球に苦しんだ

蔦監督さんやご指導者、そして選手たちの苦悩に、高校野球の凄さと切なさのようなものをとても感じました。

この大フィーバーの渦中に居た水野氏が3連覇を賭けた3年生の夏の準決勝 PL学園に敗戦した後のインタビューに

「やっと終わった」という安堵と、この渦から開放されたと伺える言葉がありました。

この言葉からも想像できるように、私たちギャラリーには計り知れない選手たちの気持ちにかけられた重圧を感じ、

こんな悲しい言葉が出る背景や選手たちの気持ちを想うと胸熱くなるものがありました。


蔦監督さんの言葉で一番印象深かったのは

「負けることはそんなに不名誉ではない、不名誉なのは人間がダメになること。

人生には勝つこともあれば負けることもある。

勝つことにこしたことはないが、勝つことばかりを考える人生には魅力はない

生徒と野球をし、勝って喜び、負けて悲しい、楽しい野球をしたい。

野球は人生の喜怒哀楽を表すものだ。」と。

そして「野球が好きで好きでやめられへん」

蔦監督さんの野球道に込められた信念はこの言葉に尽きるかなと感じますし、

野球が好き!この言葉に尽きる野球人生であられたのだと思います。


また、蔦監督さんの野球人生、選手たちの野球道に奥様のキミ子さんは無くてはならない存在。

映画の中で知るキミ子夫人は、それはそれは気さくな楽しいお人柄で、

私なんかが野球の母と語るのも恥ずかしい、本当の野球の母でした。

キミ子夫人は、2015年2月3日 蔦監督さんの元へ旅立たれました。

生まれ変わったらもう一度蔦監督さんと一緒になりたいか?と聞かれると

「あんな大酒くらいの相手はもうゴメン!私は男に生まれたい」と仰っておられましたが、

キミ子夫人は、蔦監督さんのことを亡き後も「先生」と呼ばれておられるお姿に、

野球一筋に生きられた蔦監督さんをご尊敬されておられたのだろうなと感じました。

キミ子さんあっての蔦監督さんの野球人生、蔦先生あってのキミ子さんの人生だったのだろうと思います。

池田高校野球部や高校野球界にとっても偉大なお二人を亡くしたことを本当に残念で寂しい気持ちですが、

蔦監督さん、キミ子夫人のご冥福をお祈りし、

また巡り逢ってお二人で野球人生を歩んで戴きたいなぁという気持ちでいっぱいになりました。




会場には、阿波池田商工会議所青年部が製作された蔦監督さんのゆるキャラ『つたは~ん』も登場して、

おじいちゃんと孫が再会を喜び抱き合う場面や、つたは~んが客席に座ってしまって皆さんに笑顔が溢れる和やかな時間もありました。

 昨日の、つたは~ん

石井町のゆるキャラ ふじっこちゃんも登場しました。



2014年の選抜出場時に製作されたという、つたは~んとキミ子夫人のツーショットも見れる当時のビデオを発見しました。



池田高校が甲子園に戻って来た時には、ぜひアルプスでウロウロして欲しいです

蔦監督さんが言われておられました。

甲子園で観客の皆さんに「また来いよ!」と声を掛けられると、またここへ戻って来るために頑張ろうと思えると。

応援が選手の力になると言いますが、監督さんにとっても応援の言葉が自分自身への力となっているんですよね。

ぜひ皆さん、甲子園のスタンドから出場校の選手や監督さんに向けて「また来いよ!」と声をかけてあげて下さい。


旅の思い出に蔦監督さんの似顔絵タオルを購入しました。

ご好意で、つたは~んバッチをいただきました。嬉♪



上映後、蔦 哲一朗氏と少しお話しもでき、つたは~んと一緒に記念撮影をさせていただいて、

帰り道には、雨でグラウンドが使えない時にイレギュラーの練習をしたという吉野川の土手に寄り、

この川のず~っと向こうで選手たちと野球をしたんだなぁ~なんて思いながら夕陽に輝く吉野川を撮ったんですが・・・

蔦監督さんの仰るように人生色んなことが起こります。

携帯の調子が凄く悪くてその写真が消えてしまい大ショックを受けながら今書いています

蔦 哲一朗監督さんと生つたは~ん、そして、あの夕陽の吉野川の美しい風景は私の心の中に・・・

またひとつ、素敵な野球旅の思い出が増えました。


これから東京や大阪などで公演が順次放映されます。

映画を拝見して、もっともっと伝えたいこともありますが、あまり書くと今から観られる方もいらっしゃるのでこの辺りで・・・。

ぜひ会場へ行かれて、蔦監督さんの野球道や池田高校野球部の長い歴史をご覧下さいね。

上映の予定日時等は 映画「蔦監督」公式サイトご確認下さいね。


最後に個人的にお願いです。

この映画上映にあたり入場は無料で行われており、募金という形で募られておられます。

ぜひ会場へ行かれた際には、ご協力お願いします。


そして今回の徳島県プチ旅グルメは、石井町にある『そば好』さんへ。


四国と言えばうどんを思い付きますが、そば好さんは蕎麦オンリーのお蕎麦さんです。

お蕎麦が美味しいとこの辺りでは有名だそうで、玄そばの実を殻ごと挽いた蕎麦粉を使った手打ち蕎麦が食べられるお店です。

そば好さんには珍しいテラス席があって、お庭を眺めながらお蕎麦を頂けます。



昨日の徳島は春本番の陽気で暖かく、静かな空間に小鳥の鳴き声を聞きながら

贅沢な時間の中、噂の粗碾きそばを頂きました。

お蕎麦の香りが良くて、出汁の効いたつゆにピリッと辛いピンクの辛味大根を入れて頂くお蕎麦は

大人のお蕎麦って感じでとても美味しかったです♪





 
甘味も数種類あって、蕎麦がきにきな粉をまぶした蕎麦まんじゅうもいただきました。




お餅でもなく、わらび餅でもないトロトロ~の食感。

温かい蕎麦がきに少しお塩が効いていて、甘いきな粉がたっぷり~

凄く美味しいかったです。

徳島県石井町へ行かれる際は、そば好さんの美味しいお蕎麦を食べに行ってみて下さいね。

そば好 
 

徳島県プチ旅~池田高校 蔦監督さんの野球道を訪ねて~

蔦監督さんの野球道に触れさせて戴き、表現するなら・・・心満ちた野球旅でした。

往復5時間日帰り弾丸旅でしたが、心もお腹も満たされてとても素敵な思い出深い野球旅になりました