甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 5

2018-04-17 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 5では、第16回大会(1930年)

明石中(現明石)が登場し、甲陽中が2年ぶり返り咲きの夏。

甲子園開幕前夜から徹夜した方々に、今にも負けず

高校野球を楽しみにしていた多くの人々の姿が見え歓喜が聞こえるようだった。

時代・・・

高校野球や球児がこの時代の人々に与えていた楽しみや喜びの意味は

今とは違うものだったのかもしれないけれど、想う気持ちや

高校野球や球児が与えてくれる夢や希望は今も変わらず、繋がっていることに嬉しさを感じる。


第16回大会決勝で明石中を破って優勝した甲陽中の試合を伝える
1930年8月の神戸新聞紙面

第16回大会(1930年)~甲陽中 怪腕下し3度目~

甲陽中(現甲陽)が2年ぶり3度目の優勝を飾った第16回大会(1930年)

怪腕と称された楠本保を擁する新進の明石中(現明石)の朝鮮を3-0で退けた。

エースの先発完投が多い時代には珍しく、全5試合を継投で勝ち上がった。


時は中等野球ブーム真っ盛り。

全国大会の開幕をまちかねたファンが前夜から甲子園球場周辺で仮眠を取ったと当時の神戸新聞は記す。

だが、甲陽中は開幕試合で強豪松山商に大敗を喫した。


甲陽中は2017年が創部100年の節目。

昨秋には、第9回全国大会決勝で戦った桐蔭(当時和歌山中)を招いた交流試合を

甲子園で計画したが、雨で中止となった。

元プロ野球近鉄の北川公一OB会長(76)は、

「甲子園を身近に感じるいい機会だったが残念。

後輩たちの活躍をずっと願っている」と話す。

兵庫球児100年のあしあと 1

激闘の譜 第100回へつなぐ
第1回大会(1915年)~神戸二中 逆転で初代王者~

兵庫球児100年のあしあと 2

第2回~9回大会(1916~1923年)
~第2~4回 関学中3連覇~
~第5回 神戸一中 初の全国制覇~

兵庫球児100年のあしあと 3

第10回~13回大会(1924~27年)
~第一神港商 未倒の4連覇~


兵庫球児100年のあしあと 4

第14回大会(1928年)~甲陽中 延長制し聖地へ~
第15回大会(1929年)~関学中 昭和初期に隆盛~


兵庫球児100年のあしあと 4 

2018-04-17 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 4では、第14回(1928年)全国大会初優勝メンバー監督率いる甲陽中が5年ぶりに、

第15回(1929年)では選抜前年優勝校 関学が9年ぶりに兵庫の頂点に。

満州や朝鮮代表チームが参加していた時代、この頃に日本の選手がアメリカ遠征を行っていたというのは驚きだった。


第14回大会(1928年)~甲陽中 延長制し聖地へ~

1928(昭和3)年の第14回大会は、甲陽中(現甲陽)が全国大会初出場初優勝を果たした

第9回大会以来となる2度目の優勝。

神戸二中(現兵庫)との決勝は延長十回に勝ち越し、4-3で競り勝った。


全国大会初戦で甲陽中が延長11回の末、大連商の破った試合を伝える
1928年8月13日付の神戸新聞紙面


当時、甲陽中の校舎は甲子園球場のそばにあり、現在の「ホテルヒューイット甲子園」が学校跡地にあたる。

78年に西宮市の苦楽園地区に移転するまで、最も聖地に近いチームだった。


28年の全国大会は満州代表の大連商、朝鮮代表の京城中を破ったが、

準々決勝で京都・平安中に惜負した。

同窓会報「甲陽だより」などによると、監督を務めたのは、

23年に全国優勝を遂げたチームの1番打者だった山野井万。

41年まで母校を指揮し、甲子園に春7回、夏3回の計10回の出場を果たした名監督だった。


第15回大会当時のスコアーボード(兵庫県高校野球五十年史より)


第15回大会(1929年)~関学中 昭和初期に隆盛

第15回大会(1929年)の頂点に立ったのは、前年の第5回選抜大会を制するなど、

全国有数の強豪にのし上がっていた関学中(現関学)

選抜優勝後の28年夏は主力選手が米国遠征していたため、県大会2回戦で敗退したが、

29年は決勝で神戸一中(現神戸)に7-4で勝利。

日本一に輝いた第6回大会以来、9年ぶりに兵庫を制した。


選抜優勝メンバーの村井竹之助は「兵庫県高校野球五十年史」の中でこう語っている。

「甲子園球場は毎日曜日に名古屋、四国、中国から優勝チームを呼んで(中略)

私の4、5年生のときはここで数多くの試合を経験した」


甲子園のお膝元である地の利を生かして、本番の舞台で全国の強豪と実践を重ねた関学中。

昭和初期の中等学校野球で一時代を築いた。


神戸新聞 山本哲志氏



甲陽中 山野井万監督さんが指揮した13年のうちに春、夏合わせてといえ10回の出場は

現代と参加校数自体は大きく違うだろうけど本当凄いことですね。

そんなチームが現代に現れるところを観てみたい。

大好きな関学の新月が甲子園で輝くところもまた観たい。

兵庫のチームにあてたこんな言葉をよく耳にする・・・「近くて遠い甲子園」

この頃の甲陽中や神戸一中、二中、3連覇の関学中、4連覇の第一神港商

・・・「近くて近い甲子園」だったんだなぁ。


兵庫球児100年のあしあと 1

激闘の譜 第100回へつなぐ
第1回大会(1915年)
~神戸二中 逆転で初代王者~

兵庫球児100年のあしあと 2

第2回~9回大会(1916~1923年)
~第2~4回 関学中3連覇~
~第5回 神戸一中 初の全国制覇~

兵庫球児100年のあしあと 3

第10回~13回大会(1924~27年)
~第一神港商 未倒の4連覇~