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職員室で市民権のない講師はつらいよ

学校の講師をしています。様々な学校の様子を、まじかに見る私が、非常識な教育現場を実況中継。特定されると危険。

困難校の独り言

2011-01-16 01:05:12 | グルメ
 ただ、それが人権上できないし、法的な措置もないのでできないそれだけだ。もちろん世論も固まっていない。だから困難な生徒を抱える中学校はその生徒をおもりしているだけだ。教育とは程遠い状態になっている。これに気がつかない市民も国家もかわいそうだ。
 中学校という建物の中で授業にも入らないで自由にはしゃぎまわっている生徒がいる。指導を強くすれば生徒は暴力や器物破壊で対抗する。保護者や団体から「どうなっているんだこの学校は」と責められ。どうすることもできないので教師は家庭訪問を繰り返し、ときには晩飯をおごり、ときには勉強を家に行って教えするのだ。献身的な教師の働きによって少し良くなる。しかし、すり減らすような働いた心身は疲れ果て、転勤することだけを夢見る。
 公園やコンビニでうちの生徒がたむろしていれば、「なんとかしろ」と学校に電話が入る。家に帰ってホッといていると親から電話が入る。時には夜中に電話、生徒を探しに行くこともあった。帰ってきたのが朝4時。そのまま学校に行く。生徒指導で自分の仕事はほったらかし、土日にやるか、でもクラブがある。忙しくなると、1時2時に帰る。もちろん朝だ。
 ボーっとしている体と心で生徒たちに対応する。生徒が優しい言葉をかけてくれると、涙が出そうになる。クラブが雨で中止になると生徒も喜ぶが自分が一番喜んでいることに気づく。しかし、それは末期症状だ。それでもがんばる。倒れれば大変だ。

 そこから転勤して良い学校に行った時、生徒が集会で整然と並んでいるのを見て、涙があふれてきた。こんな学校もあるんだと。合唱コンクールで歌を歌う。大きな声。こんなことができるんだ。自分の授業がない時、職員室でお茶をのんでいていいんだ。つい癖でローカに行きそうになる。
 
 やはり困難な生徒はきちんと指導するべきだ。できないのは子供を守り過ぎているからだ。守り過ぎて実は守られていない。人権と言いながらあまやかすならば、むちゃくちゃやっている生徒の将来はむちゃくちゃだ。もっと厳しく生徒を鍛える事の方が本当は将来を考えてやることにならないか。

 具体的には、学校では教育不能とする生徒は別に教育施策を考えるべきだ。例えば、個別に教師を付けるでもよい。あるいは環境を変える施設を作るでもよい。そこにお金をかければ、自然と他の生徒の学力は上がる。様々な教育的課題が解決する。