職員室で市民権のない講師はつらいよ

学校の講師をしています。様々な学校の様子を、まじかに見る私が、非常識な教育現場を実況中継。特定されると危険。

朝日の卑劣な安倍叩き

2012-10-10 23:10:34 | 韓国社会
■朝日が語る歴史観

2012年9月7日、朝日新聞が「安倍元首相―思慮に欠ける歴史発言」とする社説を掲載したことが、ネットで話題となっている。

安倍元首相の月刊誌に掲載された同氏の発言を引用して批判を展開した。同氏の発言は以下のようなものである。

「自民党は、歴代政府の答弁や法解釈を引きずってきたが、新生・自民党では、しがらみを捨てて再スタートを切れる」

「新生・自民党として、河野談話と村山談話に代わる新たな談話を閣議決定すべきだ」



朝日新聞としては、自分たちが作り上げた「従軍慰安婦」という問題を謝罪した河野談話と、「植民地支配」と「侵略戦争」を謝罪した村山談話の撤回が気に入らないようである。

■謝罪し続けることが正しいのか?

太平洋戦争については、「侵略戦争」ではなく「自衛戦争」であったとする説もある。

そもそも太平洋戦争が起きた理由は「経済的」なことが原因である。戦争が起きる理由はいくつかあるが、その典型の一つだ。

「侵略戦争」にしても「自衛戦争」にしてもそれは見方が違うだけである。例えば独立を確約され、高い生活水準を持っていたフィリピンにおいては日本の行為は侵略以外の何ものでもない。

しかし、日本からすれば、フィリピンを抑えなければ資源輸送ルートが確保できない。資源確保のための軍事行動は突き詰めていけば「国民が食えない」という理由で行われたものだ。

そして、東南アジアでは日本の軍政により極度のインフレが起き、大量の餓死者を出している。

ただ、このような事実は右も左もあまり言わない。

どちらも視界にあるのは「特定アジア」の中国、韓国である。

日中戦争の原因となった「第二次上海事変」は中国から仕掛けてきたものだ。韓国に至っては共犯者の立場にある。

日本が本当に謝罪しなければいけない国は他にある。そして、その国は何度も謝罪を要求してくることはない。

■従軍慰安婦のデマ

そして、朝日新聞は「従軍慰安婦」では今では否定されている軍の強制制というデマを流した。そのデマを補完する河野談話の支持が国益にかなうのだろうか。

従軍慰安婦」で反日商売をしたい朝日新聞にとっては、河野談話の否定は営業妨害になるということだろうか。

そのような主張を行う安倍氏が返り咲くことは、朝日新聞にとってよほど都合が悪いのだろう。

■ネットの批判の声

このような朝日新聞の社説には多くの批判の声が上がっている。もう朝日新聞の主張は普通の人の感覚からずれてきているのである。


本当の歴史はつらいよね

2012-10-10 21:27:10 | 日韓の本当の姿を教える

韓国人はなぜ反日か?


まず一つに、『教育のせい』である。

では、“なぜ”韓国では反日教育をするのか?


それは、韓国にとってそれがどうしても『必要だから』である。
 
 
さて、韓国にとって、“なぜ”反日が必要なのだろうか。


 ★韓国の事情 『惨めな属国だった歴史を隠したい』

 
世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも
自ら属国であったことを認めている者もいる。そもそも韓国の古い国旗にまで
「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。

しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。

古い国旗が発見された時も、韓国国内のニュースでは「大清国属」という
文字をカットして報道したほどである。

実はこの韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係がある。
 
  

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まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。

朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。

 

そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。

そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

         (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)

 

服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。


身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。

 

・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
 馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。

 

朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。

 

朝鮮国内にもその名残がある。

現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を
地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
屈辱的な隷属の象徴の門だった。この迎恩門で『朝鮮の国王』が
土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。

朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。


この1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、
彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。

 

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朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、
朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのように
ワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。


1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、低い身分の者や
 貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を「下の者が下に見られるのは
 仕方のないこと、上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える民族的
 傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ精神的に乗り越えられない
 ほど、千年の隷属というのは長かった。

2.朝鮮は虐げられる者の反動として、より低い者を虐げる「貴族社会」が
 長く続いた。そのため、家系が悪ければ努力はほとんど無意味だった。
 貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。

3.やがて低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と思いたくなり、
 いつしか「偽の家系図を買う」または「家系図を書き換える」ことで
 底辺で虐げられる身分から一発逆転を果たすことが流行してしまった。

4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、
 形の上では皆が同じ名門の家系出身の者ということになった。
 逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。
 現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ!」と
 答える。今はもう白丁の子孫であってもその自覚すらなくなっている。
 

 

元より宗主国・中国も姓の種類は少ないが、その一部をコピーした属国の中で、
さらに系譜の偽装が行われ「名門・良家の姓」にのみ絞られていったため、
朝鮮人の姓は極端に種類が少ないのである。

 

ここで朝鮮人の民族特性をまとめ直すと、
まず、『誰よりも“過去や先祖”を誇りたがる民族』であるということ。
民族の成り立ち上、醜い過去に対するコンプレックスが強いのである。

そして『努力せずに嘘や小細工で勝ち組になれることに味をしめた民族』
であるということ。過去の歴史を書き換えることで名門になることが
できた国の人々なのである。

このような性質を持つ彼らには、朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎた。

つまり痛々しすぎて自分たちの過去を振り返るのが苦痛なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”と称して、


 『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』


という“偽りの栄光の歴史”をあたかも真実のように国民に教え込むことに
したのである。

これが韓国の愛国教育の成り立ちである。


ttp://freett.com/iu/memo/Chapter-010402.html
ttp://members.at.infoseek.co.jp/konrot/reki.htm
ttp://photo.jijisama.org/dependency.html
ttp://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k089.html
ttp://www.jiyuu-shikan.org/frontline/top.html
ttp://homepage1.nifty.com/forty-sixer/seimei.htm


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そこで韓国政府は、
まず、政府自ら作った教科書以外を教科書と認めないことにした。

そして「日本が朝鮮を独立させてやったこと」を隠蔽した。
具体的には日清講和条約(下関条約)の第一条の内容を削除したのである。

日本と中国の間で締結されたこの下関条約第一条の本当の内容は、
『日本が清国に朝鮮の独立を承認させた』というもの。

これを韓国の国民に知られると、
「半万年(5000年)独立していたという政府が作った嘘の朝鮮国史」
に反してしまうので教えられないのである。


ちなみに前述の『迎恩門』は、朝鮮が独立した時に
『独立門』という“中国からの独立を記念する門”に建て替えられていたが、
現在の反日教育ではこの門を“中国からの独立”を記念した門、ではなく
“日本からの独立”を記念した門、と意味を勝手に変えて教えている。

そもそも迎恩門は日清戦争が終わって朝鮮が独立した時に、
清(中国)への屈辱的隷属の象徴だったことを理由に開化派の
独立協会に取り壊されたもの。そして1897年(明治30年)に自主独立の
決意を込めて“わざわざ同じ場所”に建てられたのが独立門である。

米国GHQの軍政から朝鮮が独立したのは日本の敗戦から3年後、
独立門が建てられて『51年後』の1948年(昭和23年)なので、
建設の年代を見るだけで独立門と日本が全く無関係なのは明白なのである。


このように簡単に暴くことができる嘘でも韓国では疑われることなく
中学校の教師レベルまでもが信じ込んでいるほど反日教育が浸透している。

この門に関してそんな嘘を教え込んでいる理由は簡単、
『1000年間の長きに渡る清(中国)の支配からの悲願の独立が、
 日清戦争に勝利した日本のおかげ』だからである。

民族の独立を日本に頼ったことがカッコ悪かったので、
手柄を横取りしたかったのである。

 

これらが次々と膨れ上がる朝鮮の歴史捏造の序曲であった。

 

ttp://members.tripod.com/textbook_korea/fr_2.htm
ttp://nandakorea.sakura.ne.jp/html/netsuzo_text.html
ttp://toron.pepper.jp/jp/epi/sengo/han.html
ttp://www.jiyuu-shikan.org/frontline/top.html
ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/kofukusetsu.html

 


韓国の嘘、捏造は技術の発展を滞らせる悲しい事情だ

2012-10-09 20:17:55 | 韓国社会

山中教授がips細胞でノーベル賞を受賞した。

以前、韓国の黄禹錫がes細胞の研究で世界的注目を浴びたがそれは単なる捏造だった。

なぜ、韓国人は嘘をつくのか。同じ人間として腹立たしいというより悲しい。嘘をつかなくても生きていけるのに、いや嘘をつかない方が人生を明るく生きれる。

人には嘘をつけても自分には嘘をつけないからだ。

しかし、韓国では嘘は多すぎるのだ。

2010年、韓国で偽証罪で起訴された人数は日本の66倍、日本の人口が韓国より2.5倍多いことを勘案すれば165倍に達する。

韓国で1年に偽証罪で処罰を受ける人数が英国で10年間処罰を受ける数字よりはるかに多い。

他人にくやしい汚名をかぶせて告訴する誣告事件は日本の305倍、詐欺事件は13.6倍だ。

もし、韓国人が嘘、捏造の文化から脱し、自力でコツコツと努力するならば、きっと何事も世界のトップにおどりでるだろう。それだけの情熱と力を持った民族だ。

 黄禹錫(ファン・ウソク、1952年1月29日 - )は韓国生物学者。かつて、世界レベルのクローン研究者とされ、ヒトの胚性幹細胞(ES細胞)の研究を世界に先駆け成功させたと報じられた。自然科学部門における韓国人初のノーベル賞受賞に対する韓国政府や韓国国民の期待を一身に集め、韓国では「韓国の誇り」 (pride of Korea) と称されたこともあった。

 しかし、2005年末に発覚したヒト胚性幹細胞捏造事件(ES細胞論文の捏造・研究費等横領・卵子提供における倫理問題)により、学者としての信用は地に落ちた。その捏造行為、引き起こした事件の影響により、正攻法で ES細胞を作り出そうとしていた民間企業が研究継続の断念に至るなど、山中伸弥iPS細胞の生成に成功するまでの間、ES細胞や再生医療分野の研究の世界的な停滞を引き起こした元凶とされる。

 「科学における不正行為」をテーマとした書籍でたびたび言及される人物でもある。

 

 


賛美か真実か 何を教えるのかこの国は

2012-10-08 10:06:32 | 韓国社会

去年、社会科の教師が生徒に悲しそうにこう話していたのを聞いた。

「日本はなぁ朝鮮人の名前も奪ったんよ」と…

横で聞いていてつい口を挟みそうになったけれど、

それをやったら職場では生きていけない。

こんな悲しい国はないと思った。

生徒には一刻も早く正しい認識をさせたい。

朝鮮や中国を擁護するあるいは賛美する教師が多かったが、

今は少しではあるがまともな感覚の人が増えてきたと思う。

それは行き過ぎた同和教育を正す動きと時を同じくしている。

今でも学校に南京虐殺のビデオ教材がある。だが、それを使う教師は減ってきた。

 


徴用(強制連行)の実態を知る

2012-10-07 11:55:02 | 日韓の本当の姿を教える

 

 

「日韓誤解の深淵」 西岡力 1992 亜紀書房

また、いわゆる「強制連行」の実態に関しても、一般で認識されているのとはかなり違う実態があったことが少しずつ明らかになってきている。たとえば朝鮮総督府が行なった土建労働者の「官斡旋」による道外募集(いわゆる強制連行の一部とされている)では、使用者に対して賃金、待遇などで労働者を厚遇するようにかなり細かく指示している。たとえば飯場料は賃金の二分の一以下とするとされており、借金づけによるタコ部屋化を禁じている(くわしくは広瀬貞三「『官斡旋』と土建労働者」、『朝鮮史研究会論文集』第29集参照)。

また、1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は90年に日本で出版した手記(『朝鮮人徴用工の手記』河合出版)の中で、新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、「女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった」と書いている。

先述のように戦争のために国家総動員法による徴用には法的強制力があった。それにより韓国人が強制連行されたが、同様に大多数の日本人も「強制連行」されたというのが歴史の真実なのである。

 

戦争初期には朝鮮人は日本人・台湾人に比して優遇されていたのが分かる。「官斡旋」の段階でも本人の希望で就職先を変えられることから"強制連行"というのは大げさな表現だ。

 

コリアン・反日左翼は「募集」の段階から"強制連行"だとしているが、当時朝鮮から日本内地へは渡航制限をしていたが、密航してでも出稼ぎしようとする朝鮮人が一杯いたというのに、何で強制連行の必要があるのだろうか。"強制連行"などしなくても労働者は確保できたのである。

 

「岩波講座 世界歴史19 移動と移民」 水野直樹・他 1999年 岩波書店

1930年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだため摘発された者もいる。

戦前の新聞記事見出しより

『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21
『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕

 

在日朝鮮人人口の推移

 

在日朝鮮人人口動態 内務省警保局統計 他

 

「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画

◇その多くは自発的に来日

誤解の第一は、終戦時約200万人を数えた朝鮮人労働者の大部分は本人の自発的な意志によって渡航して来たもので、『強制的』に『連行』されたものではない、ということである。いわゆる『強制連行』は、大東亜戦争勃発に伴う労働力不足を補完するため、戦争中の昭和17年(1942)に、それまで自由募集であった朝鮮人労働者を『官斡旋』、すなわち朝鮮総督府が募集することにし、間に立った朝鮮人ブローカーが強引な徴用を行ったことを指して言う場合多いようだが、その実態ははなはだ不明瞭である。

そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本へ移住しようとする朝鮮人は引きも切らぬ有り様だったのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律の網の目をくぐってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、終始頭を痛めていた。法律を犯してでも日本に入国しようとする朝鮮人が一杯いたというのに、何で『強制連行』の必要があるのだろうか。その必要はなかったし、むしろ日本側は迷惑していた。昭和4年(1929)の『瀬戸方面に於ける朝鮮労働者事情』(名古屋地方職業紹介所)によれば、朝鮮と日本内地の賃金格差は二倍もあり、これに加えて毎年30万人に及ぶ朝鮮人の人口増加により、内地のみならず満州やシベリアへも多数の朝鮮人が移住しつつあった。日本内地への渡航希望者は度重なる日本側の規制にも拘わらず増加の一途をたどったのである。

昭和14年(1939)、内務省次官通牒『朝鮮人労務者内地移住に関する件』で、8万5000人の朝鮮人労働者の移住が認められると、炭坑の募集係のところには朝鮮人農民がどっと押し寄せ、夜中から列をなして待っていた有り様であったという。

また、同年の国民徴用令の公布をもって朝鮮人『強制連行』の起源と誤解している著作が多数見受けられるが(朝鮮人強制連行真相調査団「強制連行、強制労働の記録」、朴在一「在日朝鮮人に関する総合調査研究」等)、国民徴用令が朝鮮人にも適用されたのは昭和19年9月のことであり、厳密に言えば朝鮮人の徴用が行なわれた期間は昭和199月から関釜連絡船の閉鎖された昭和203月までの6ヶ月間に過ぎない

◇徴用は強制連行ではない

誤解の第二は、『徴用』は『強制連行』ではないということだ。当時、内地でも日本人は戦時『徴用』されていた。併合の結果として日本に編入された以上(植民地ではない)、日本人たる朝鮮人を戦時『徴用』しても、『強制連行』の概念には当らない。今日の価値観を、体制の異なる戦時中にそのまま適用するのは歴史解釈として間違っている。


産経新聞  平成12年9月26日 西岡力氏の寄稿

自民党の野中広務幹事長の「かつてわが国が36年間植民地支配をした時代に、朝鮮半島から(強制)連行してきた人たちが、今70万人といわれる在日を構成している」という発言を本紙で読み、事実に対するここまでの無知はないと驚きを超えて怒りすら覚えた。明確な事実誤認が三つある。

第一は、昭和14年から開始された朝鮮人内地移送計画により渡日した者とその子孫は現在の在日の中にほとんどいないという点だ。終戦時の在日人口は約200万人であり、そのうち移送計画による労働者は32万人に過ぎない。占領軍の命令によって日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料、持ち帰り荷物制限230キロまでという条件で帰国させた。昭和21年末までに約140万人が朝鮮に帰っていき、自分の意志で残留を希望した約60万人が日本にとどまった。引き揚げにあたっては移送計画により渡日した労働者が優先とされている。結果として、32万人の「連行者」はほとんどこのとき帰国している。このことは在日一世の渡日時期調査によっても裏付けられている。

第二は、そもそも上記の朝鮮人内地移送計画の実態が「強制連行」などというものではなかったという点だ。計画期間中、在日人口は120万人増加する。各種統計を総合すると、このうち出稼ぎ渡航者とその家族が63万人で過半数となる。戦時中、労働者不足が激しかった内地に向かい朝鮮人は自分の意志で大量に渡航していたのだ。前記の32万人が終戦時における戦時動員労働者である。残り25万人は「官斡旋(あっせん)」「徴用」で渡日した後、現場を逃走し条件のよい飯場などで働く「自由労働者」(当時の用語)となった者である。昭和20年内地における朝鮮人土建労働者を見ると、計画による動員労働者一に対して自由労働者七の割合であった。日本政府は移送計画実施期間中も内地に密航した朝鮮人を取り締まり朝鮮に送り返していた。こちらこそが本当の強制連行だ。「官斡旋」「徴用」は出稼ぎで建設現場などで働こうとしていた朝鮮人労働者の働き先を炭鉱、金属鉱山など軍事産業に転換させるというものであり、それは全渡日者のうち四分の一だけしか対象にできず、ほぼ失敗した政策だったのだ。

第三は、戦前から継続して日本に在留しつづけている在日韓国・朝鮮人(子孫含む)でいまだに外国籍を維持したままの者は70万人ではなく約52万である。日本政府は彼らに「特別永住」という他の外国人にはない特別に優遇した法的地位を与えている。社会保障制度も日本人と同じ扱いがされ、その地位は子孫代々まで保障されている。この52万人以外の在日韓国・朝鮮人はいわゆる戦後入国者だ。

外国人地方参政権付与は基本的事実関係すら知らない与党幹部によって推進されている。事実に基づかない安易な贖(しょく)罪意識は百害あって一利なしだ。参政権が欲しければ帰化手続きにより日本国籍をとればよい。すでに23万人以上の韓国・朝鮮人がそれを選択している