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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

民族音楽の力

2013-06-12 10:21:45 | 音楽
民族音楽いわゆる民謡(イコールではないが)、特に土着性の強い音楽は実に素晴らしく、
人を昂揚させたり、静粛にさせたりする特別な力を持っていると思う。
スコットランドやアイルランドの民謡、アフリカの強烈なリズムを持つ音楽、
アルゼンチンのフォルクローレ、バリのガムラン、そしてハワイアンミュージック……。
もちろん日本各地の民謡もそれぞれが同じような力を持っている。

そもそも、民謡とは大衆の謡である。
しかし、その始まりは祭祀にある。
つまり、その土地の信仰につながっているのだ。
祭祀には厳粛な祈りのあとの踊りと唄が欠かせない。
その唄が民衆のものとなったのが、民謡である。
民謡は、信仰だけじゃなく、その民族の生活や風習なども歌われる。
民謡とはその民族にとってとても大切なものなのだ。

しかし、時の為政者によって、信仰それにつらなる踊りや唄が禁止されてしまうことがある。
ハワイがまさしくそうだ。
ハワイは1778年にクックによって発見され、すぐさま欧米に侵略される。
なぜ、ハワイが簡単に欧米の手に落ちたか?
それはクックをハワイの人々は神の使い(もしくは化身)と思ってしまったからだ。
それでもまだハワイは王国として存在した。
アメリカの属することになった。最後の女王リリウオカラニの話は有名だ。

アメリカはハワイの文化だけでなく、言葉までを禁止した。
そしてフラもハワイアンも何もかもが一時廃れてしまった。

フラやハワイアンが復活を遂げたのは1970年代に入ってからのことである。
ハワイアンという民族の言葉、文化、風習に対する様々な検証が行われ、
民族の誇りを取り戻そうという動きが現れたのだ。

その動きに大きく関わったのが、イズラエル・カマカヴィヴィオレという一人のミュージシャンだ。
通称はIZ。
僕も彼のアルバムを聴いていると、いわゆるハワイアン・ミュージックのゆったりとした流れの中に、
何か人を奮い立たせるような強さ、彼の伝えたいメッセージを感じる。
ハワイのホテルに着いた時にテレビをつけると流れる、ハワイの観光情報番組のBGMとは違う力を。
実際に「HAWAII ’78」という曲はストレートな歌詞でハワイ民族、ハワイ文化の復興を歌っている。

為政者は地元民の信仰、文化、時に言葉までも否定し、自分たちの文化を押し付ける。
それは、もちろん統治しやすいからだ。
同じ価値観を持たせれば、あとは簡単な話だ。
民族性よりも国民性が強くなる。

沖縄も同じことだ。
琉球王国崩壊後(琉球処分という)、方言は禁止され、ノロ、ユタといった信仰は否定された。
ただ、音楽だけは残ったが、変容を遂げていったいったことは間違いない。
僕は古謡についてはよく知らない。
でも、少し前に公開された「ミュージック・オブ・ミャーク」のように、
それを掘り起こしていくという作業は必要なのだと思う。
僕は登川誠仁という人物を直接知らない。
ステージ上で歌っている姿しか見たことがない。
ただ、数多く放送された彼の追悼番組で、必ず言われていたことが、
「誠小師匠は新しい歌を作りながら、地方の歌の掘り起こしていった」と。

今、ほかの都道府県と比べて、沖縄の民謡がこれほどまでに盛んなのは、
やっぱりそのような人たち(ほかには嘉手苅林昌さんや前川朝昭さん、照屋林助さんなど)
のスターが存在したことが大きいのだろう。
さらに、沖縄の特殊な歴史の中で、歌というものが果たした役割は大きい。

ここではあえてでに亡くなったミュージシャンばかりに触れてた。
ご存命の素晴らしい人たちはもちろんいるし、若い人たちも彼らの意思をしっかりと受け継いでやっている。


音楽は土着性が強ければ強いほど、その民族の心を動かす。
それはいくら為政者たちに禁止、迫害されても最終的に生き残っているのだ。
それは、ワールドミュージックが世界的に認知されたことで証明されたのではないだろうか。


本当にどうでもいい、誰にも何の得にもならない事を考えた。

2013-05-16 09:14:37 | 音楽
僕はいつも歩いている時に何か考え事をする。
それは時に自分にとって役に立つ事柄であったりもするが、そのほとんどはどうでもいいことだ。
歩いている時に考えている事は、その時点で文章になっている。
昔、編集者をやっていた頃、「これは!」というインタビューが出来た時、
つまりはいい言葉を引き出すことが出来た時、
その帰りの道すがら、頭の中で文章になっていた。
ただ、そんな時は必ず文字数がオーバーしている。結局、削っていくという作業で苦労するのだが……。

別に何かを考えるために歩いているわけではない。
歩いていると、ふと何かを考えているのだ。
だからだろう。僕は歩いている時に結構つまずく。それだけならいいが、時に電柱にぶつかったりもする。
さらに悪いことに、僕は46年の間に3回も交通事故にあっている。
もちろん、轢かれる側。運良く、いずれも軽傷ですんでいるが……。

僕は近所のコンビニやスーパーなどのほんの往復5分程度の間にも何かを考えている。
そんな考えの中で、自分で気になったことは帰ってからiPadなどにメモしている。
今、僕のiCloudの中には、そんな雑多な考えが収められている。

で、本題。
最近は、そのほんの数分でもiPodを持って出かける。
もちろん聴くのはももクロだ。
ももクロを毎日のように聴いているうちに、ふと頭に浮かんだことがある。
これが本当にどうでもいいことで、それを考えた自分ですら何の役にも立たないと思うほど。
それはアイドルについて。
そもそもアイドルというものに関するどうでもいいことが頭に浮かんだのは、
ももクロを聴いていたからだけではなくて、多分朝ドラのせいもあるだろう。
クドカン自身が体験したアイドルの時代を盛り込みながら、今のアイドルというものを描いている。
そのギャップを小泉今日子らが語るという面白さ。
あくまでも、朝ドラの基本(多分約束事)を守りつつ、クドカンならでは自由さを感じさられる脚本は実に素晴らしいと思う。

話は逸れたが、そんなことから急にアイドルとは? という考えが急に頭に浮かんだのだと思う。
で、今のアイドルに関して考えるのに、やっぱりAKB48という存在を考えざるを得ない。
AKB48は「会いにいけるアイドル」というコンセプトの元作られた。
でも、「アイドル」と「会いにいける」という言葉は矛盾している。
アイドルという言葉は「偶像」を意味しているはずだ。
つまり、偶像には会うことは出来ないはずだ。
しかし、秋元康という人はその矛盾することをやってのけた。
それはおニャン子クラブという実験が下地にあってのことだろうと思う。
矛盾することを、敢えて言い切ったことはそれなりにスゴいことだ。
もちろん、秋元康というブランドだから出来た技であるに違いない。
さらに、成功例であるモーニング娘。の手法も密かに取り込んでいる。
そこに、オタク心をくすぐる「自分たちが育てた」「自分が見つけた」と思わせる仕掛けをしている。
だから、決して正統的なアイドルではなく、変化球的なアイドルなのだ。
さらに言えば、変化球的なイベントなのだけれど、
曲などの作りは正統派アイドルのそれに似た作りをしている。
つまり、正統派に見せているというだけなのだ。
それはすべて秋元康というプロデューサーの計算。
で、その計算は当たった。

今人気急上昇中のももいろクローバーZ。
これは完全に変化球。
アイドルという枠を完全に無視している。
彼女たちのパフォーマンス自体もそうなのだが、曲も正統派アイドルの歌うような曲ではない。
そもそも、あんなに難しい曲を歌わせる、そして躍らせるという無茶なことをさせていること自体がそれを証明している。
彼女たちの曲はさまざまなギミックが盛り込まれていて、しかも1曲の中にいくつものジャンルが混在している。
さらに、さまざまミュージシャンとコラボをしたり。
そんなことを考えるプロデューサー、事務所などのスタッフたちのスゴさ。
そして自分たちも一緒に楽しんでいるようにも感じられるような姿勢。
それが紅白という番組で、一般的に知れ渡ったのだと思う。

そんなももクロにハマっている僕だが、
やっぱり僕にとってのアイドルは、クドカンが小泉今日子に語らせているように、
「聖子ちゃん」だと思っている。
クドカンはドラマで小泉今日子に「1980年は聖子ちゃんがデビューして、百恵ちゃんが引退した年で……」と語らせている。
確かにその通りで、それは千代の富士が貴乃花に負けて引退したというのに似ている。
もちろん、百恵ちゃんが引退した理由は違うけれど。
僕自身、アイドルというものに興味を抱いたのは聖子ちゃんが登場してからだ。
だから、僕にとっての正統派アイドルは聖子ちゃんで、
そしてそれはれっきとした「偶像」なのだ。
けれども、その「偶像」という仕掛けが世間にバレてしまい、アイドルという存在の需要がなくなったのも事実だけれど。

と、こんなどうでもいいことを買い物中に考えていた。
本当にどうでもいいことを。

僕の音楽体験~クラシック音楽と沖縄民謡~

2013-05-14 09:04:59 | 音楽
それまで興味を抱くことのなかった音楽に突然目覚める瞬間というものがあると思う。
以前のブログにも書いたが、僕はなぜかシカゴから車で2時間余りの田舎の町でビートルズの素晴らしさに目覚めた。
僕は今、様々なジャンルの音楽を聞いている。
クラシックから沖縄民謡、そしてもちろんロックもJポップもヒップホップもラテン音楽、トランスなどまで。
それぞれにやはり聞くきっかけがあった。
今回は、クラシックと沖縄民謡について語ってみたい。

まずはクラシックの話から。
以前、ビートルズに興味を持つことが出来なかったのは、
中学校の英語の授業で「Yesterday」と「Let it be」を歌わされたからだった。
しかし、クラシックに関しては学校の授業で興味を持ったのだ。
中学生の頃のことは全く言っていいほど、音楽の授業の記憶がないのだが、
高校の音楽の授業のことは鮮明に覚えている。

僕は高校時代にバンドをやっていた。
その理由は何となくかっこ良さそうだったから。
僕の友人がボーカルをやっていたバンドにベースがいないということで、
じゃあ、俺がやると手を挙げたのだった。
そして、ベースを親に買ってもらい(父親がバイトはダメだといい、ある日ベースが届いたのだった)、バンドを始めた。
当時の僕はレッド・ツェッペリンが大好きだったのだが、
さすがにそれをコピーするようなバンドはなく、
僕が入れてもらったバンドはディープ・パープル~レインボウを中心にコピーするバンドだった。
今思うと、音楽の基を支えるリズム隊での一人であるベースがバンドの中で一番下手だったと思う。

そのバンドのリーダーは本当にディープ・パープルが大好きで、彼はよく語っていた。
ディープ・パープルはクラシックを基盤としたハードロックなのだと。
だから、メロディアスかつ構成としてもしっかりとした曲作りがなされているのだと。

僕は彼の言っていることの意味は分かったのだが、そもそもクラシックに興味をもっていなかった。
だから、感覚として理解していたわけではなく、観念的に理解していただけだった。
そう、僕にはバッハもモーツァルトも何もかもが一緒に聞こえていたのだから。

僕の通っていた高校の音楽の授業では、レコードを聞くという授業があった。
最初に先生がその曲や作曲家のことを説明して、あとはレコードを聞くだけというもの。
その授業の時、周りを見渡すと半分くらいの人たちが寝ていた。
僕は寝てはいなかったが、いかにして暇を潰すかで頭がいっぱいだった。

そんなある日のこと。
僕が今までに聞いたことのない作曲家の名前が出てきた。
その作曲家の名は「ムソルグスキー」。
僕は相変わらず、どうやって暇を潰そうかと考えていた。
そしてスピーカーから音が聞こえてきた瞬間、僕が一瞬にしてその音に心を奪われた。
その曲は言うまでもなく「展覧会の絵」。
もちろん、50分の授業中に「キエフの大門」までをかけることは出来ない。
だから、その時「展覧会の絵」の全体を聞いたわけではない。
でも、あの印象的なプロムナードは本当に僕の胸に突き刺さったのだった。
記憶は定かではないが、ラヴェルの管弦楽のレコードだったと思う。
先生は授業でその一部を聞かせ、こんなバージョンもあると冨田勲のシンセサイザー版もかけてくれた。
その日以来、「展覧会の絵」のプロムナードが僕の頭の中になり続けていた。

ただ、それからすぐにクラシックを聴き始めたわけではない。
その時は「展覧会の絵」だけに興味を持ったのだった。
「展覧会の絵」は僕のiPodに3つのバージョンが入っている。
クラシック全体に興味を持ち始めたのは、20代後半になってからのことだ。
それは、さまざまな音楽体験を経て、クラシックという音楽の素晴らしさに気づいたのだった。
最近では、読書の時などによく聞くし、
大きな意味のでクラシック音楽は僕のiPodの中に結構な曲数が入っている。

やはり、何事にもきっかけが必要なのだ。
沖縄民謡にもきっかけがあった。

それは10年前、もしかしたらもっと前だったかもしれない。
僕はわけあってうつ病になっていた。
最初の3ヶ月はずっと部屋に籠っていた。
外出は病院に行くときだけ。
何もする気が起きず、思考は止まったまま。
当然食欲もなく、みるみるうちに痩せていった。
あの頃、僕が何をして過ごしていたのかほとんど覚えていない。

4~5ヶ月ほど経った頃、僕は何かをしなければという気持ちになった。
でも、その何かは僕には分からなかった。
とにかく、外へ出ること。
でも、外に出ても何も起きない。
で、僕はさらに外へ出ようと、サイパンに行った。
ちょうど台風が過ぎた後で、サイパンの海は汚れていて、ホテルのプールにも入る気にならなかった。
今、記憶にあるサイパンと言えば、トニー・ローマで食べたスペアリブと巨大なオニオンリングだけ。
帰国して1週間後に僕はハワイに行った。
もともとハワイは好きな場所だったので、僕の気持ちは上向きになってきた。
ハワイでは海には入らず、ハレイワやカイルアビーチなどで本を読んで過ごしたりしていた。
そして、それまで興味すらなかったアロハシャツを何枚か購入。
中には200ドルを越えるものも。
さらには、ウクレレまで買おうとした。結局それはやめたけれど……。

ハワイから帰国して、僕は回復の兆しを見せていた。
しかし、ハワイでの気分の良さと東京の生活のギャップで、
再び何もする気が起きなくなってしまった。
ただ、気持ちだけは何かをしようと気持ちが強くなっていた。
仕事以外の何かを。

それまでの僕の生活は仕事だけで成り立っていた。
仕事が面白く、そしてやりたいことがそのまま仕事になっていたので、何も文句はなかった。
しかし、所詮は仕事。楽しいことだけではない。
僕は仕事以外のもの、つまりは趣味を探していたのだ。
そして、仕事と関わりのない人間関係も。

それはなかなか東京で探すことが出来なかった。
やはりどこかに行かなくては。
けれども、そうそう海外には行けない。
2週間に2度も海外へ行けば、お金の問題もある。
そして、それまで1度しか行ったことのなかった沖縄へと飛んだ。

僕は沖縄という場所自体にはそれほどの思い入れもなかった。
ただ、僕は沖縄に行かなければいけない理由もあった。
それから、月に1回ほどのペースで沖縄に行くようになった。
常に一人で。
幾度目かの沖縄で、三線を弾くという機会に恵まれた。
(お店でやっているような無料体験とかではなくて)
その頃の僕は沖縄民謡については何も知らなかった。
安里屋ユンタ、てぃんさぐぬ花すら知らなかったのだ。
それらは細野晴臣、坂本龍一を通じて知ってはいたが、それが沖縄民謡であるという認識はなかった。
三線を弾いてみて、その音色に惹かれた。
何より20年近くぶりに楽器を弾くという行為にとても惹かれた。
その晩、僕は一人で飲んでいい具合に酔っていた。
そしてふと入った三線店で触った三線を購入した。
12万円もするものを。
その時の僕にとっては、自分の楽器を持つということが重要だった。
もし、ハワイでウクレレを買っていたら、三線を買ってはいなかっただろうと思う。

東京に帰った僕はかなり元気を取り戻していた。
12万円の三線。
当然、持て余していた。
でも、それから沖縄民謡、沖縄関連のCDを買いまくった。
タワーレコード、HMVにあるものはすべて買ったと思う。
そして、三線教則本なども買った。
でも、そんなものを読んでも全然弾くことなど出来なかった。
で、本格的に三線を習おうと思ったわけだ。
その頃、僕のうつ病はすっかり良くなっていた。
非常に行動的で、ポジティブになっていた。
自らネットで三線教室を探し、自宅から通えてしかも土日に開催される教室を探した。
その教室に通うようになった頃。
沖縄で雑誌を作るという話があった。
僕はそれに飛びついた。
そして、僕は沖縄に引っ越した。
三線を習い始めて2~3ヶ月後のことだ。
その時の沖縄滞在は約1年ほどで終わってしまったが、
三線を弾き歌うということが僕の生活に潤いをもたらせたことは言うまでもない。
そして、それは本格的な趣味となっていった。
今まで、僕は趣味というものが続いたことがなかった。
三線は最も長く続いたものだった。

今はサーフィンがそれに取って代わっている。
でも、家で週に1回くらいは三線を弾いている。
好きな曲だけを。「白雲節」とか「物知り節」とか。
今でも、三線の音色は僕を落ち着かせてくれる。
ただ、本格的に練習していた頃のような集中力はすでにない。

身体に刻み込まれたリズム

2013-02-26 09:52:25 | 音楽
原始的な音楽はリズムにあったのではないかと思う。
ある種のリズムは人に高揚感を与え、浮遊感を与え、そしてエクスタシーを与える。
もう20年ほど前のことだったと思う。
ちょうどワールドミュージックがブームとなっていた時代。
僕はレゲエにはまっていた。レゲエにはまっていた人は僕だけではなく、
結構なブームになっていたので、夏になるとさまざまなところでイベントが開催されていた。
僕はさまざまなイベントに行っては、ビールを片手に揺れていた。
レゲエは横揺れの音楽だから。

あれは、確か湘南のどこかのビーチで開催された小さなイベントだった。
好きなミュージシャンが出演するので見に行ったのだ。(だれが出演していたかはわすれてしまったが……)
そのイベントにアフリカのミュージシャンが出演していた。
ユッスー・ンドゥールのようなメジャーなミュージシャンではない。
彼は、ただ太鼓を叩くだけ。バックトラックも何もない。ただ、ひたすらリズムを刻むだけだった。
しかし、それは僕にとってとても衝撃的な音楽であったのだ。
自然と心を奪われていく。身体が自然に動いていく。心が高揚感に満たされていく。
そして身体中が表現のしようもない何かで満たされていく感覚に陥った。
人の記憶の何処かに刻み込まれたリズムというものが存在するのではないかと思ったものだった。

その後長らく、そんな経験をしたことはなかった。
次に経験したのは、石川県輪島市の祭りの時だった。
その祭りは夜から始まり深夜に終わる。確か海を背景に和太鼓の舞台が設えられ、松明の明かりの中で激しくも厳粛なリズムが刻まれる。
それを見ている間、自分の心が徐々に高揚していくのを感じた。そして最後には感動に包まれていた。
祭りなので、当然のこと神に捧げる太鼓である。その場の雰囲気に飲まれたせいもあって、僕はまるで神の存在を感じたような気分になった。
リズムにはそんな力があるのだ。だから、ある種の宗教ではリズムやそれを刻む音色などが効果的に使われるのだ。

もうひとつ、僕を虜にしたリズムがある。
それがポエトリー・リーディングだ。もう何年前か分からない。15年くらい前かもしれない。いやもっとかも。
「SLAM」という映画があった。当時、僕は映画の担当もしていたので、この作品を試写で見た時になんと素晴らしい映画だろうか。
ポエトリー・リーディングとはなんと素晴らしいカルチャーだろうかと感動した。
そして、主演のパフォーマーが来日してパフォーマンスをするということで、配給会社に招待された。
映画で観るのとは違って、やはり生でみるパフォーマンスは心に直接響いてくるものだった。(言うまでもなく、バックトラックなどはない)
残念ながら、僕は英語が出来ない。彼の発する言葉の内容はほんの一部しか分からない。
でも、リズムに乗せて詩を読むことによって、間違いなく何かが伝わってきた。
その夜、僕は確か渋谷の道玄坂を感動に身を震わせながら駅へと歩いた記憶がある。

言葉が通じなくても、何かを伝える方法はあるのだと思う。
それが、多分人の身体に刻み込まれたリズムなのではないだろうか。
通じる言葉を確かなリズムに乗せれば、それはより強く、真意を伝える手段になり得るのだろうとも思う。

ソフィア・コッポラの「SOMEWHERE」を観て

2013-01-11 00:02:10 | 音楽
ふと、北野映画が観たくなりTSUTAYAへ行った。その時にふと目に止まったのが、ソフィア・コッポラの「SOMEWHERE」だった。北野映画との共通点はどこにも見いだせないのだが、なぜか惹かれるものがあった。

彼女の作品は「ヴァージン・スーサイド」くらいしか観ていなかったと思う。「Lost in Translation」というタイトルには何か覚えがあるし、何かを書いた気もするが覚えていない。ゆえに、観ていないに等しい。

さて「SOMEWHERE」だが、有名俳優とその娘の物語だ。忙しく世界を飛び廻る父、それについて一夏を父と一緒に過ごす娘。知らぬ間に成長している娘に少しばかり驚きながらも、懸命に少しでも楽しい思いをさせようとする父の姿はどこか健気でもある。
世間では有名スターとしてもてはやされて、きちんと俳優としての自分を演じきれるのに、なぜか娘の前ではぎこちない父親しか演じられない。この話は、ソフィアの実体験を元に作られたというが、ごく一般的な家庭でも見られることかもしれない。しかも、両親が別居しているともなれば、なおのことだ。
それにしても、ソフィアは監督としての才能は見張るべきものがある。将来父フランシス・フォード・コッポラを凌ぐ映画を作る可能性を秘めていると思う。

ソフィアの映画に共通するのは、その舞台となっている場所がどこか分からない場所、どこにでもあるような場所であることだ。
「ヴァージン・スーサイド」はサバービア、つまり郊外の町が舞台。
「SOMEWHERE」はロサンゼルス郊外のホテル。

もう一〇数年も前の話になるだろうか。カルチャーのキーワードが「サバービア」だったことがあった。あれは、ホンマタカシの写真集がきっかけだったと思う。もちろん海外でも多くの写真家たちがサバービアをキーワードに撮影した写真集が何冊か出た記憶がある。そのうちの数冊は、おそらく実家のどこかに眠っているはず。
「サバービア」は映画でも大きなキーワードになっていた。
タイトルをすぐには思い出せないが、フランスやベルギーの映画では
都市の郊外に住む貧しい人々を描いた作品がいくつも上映された。
それらは、その場所を離れたくとも離れられない、そこでしか生きることの出来ない人たちの姿だった。

翻って、アメリカの描く「サバービア」は全く違う。
アメリカの郊外というのは、アメリカの夢を実現した世界なのである。
整然と刈り込まれた芝生に色とりどりの花々で飾られた花壇、画一的であることが差別がないことを意味すると言わんばかりの似たような家が立ち並ぶ世界。
それがアメリカの「サバービア」なのだ。
しかし、その画一的であるがゆえに潜む、人のさまざまな感情。
それは時に暴力的に、時に苦痛として描かれたりもするのだ。
小さな世界で巻き起こるさまざまな出来事。テレビシリーズの「デスパレートな妻たち」がその典型だろう。

では日本は?というと。日本のサバービア(郊外)は何かが抜け落ちた世界とでも言おうか。
日本の郊外と言われる地域は、高度経済成長期に数多く建てられたいわゆる団地がそれに当たる。
東京を中心にドーナツ現象と言われたそれだ。
そのドーナツの部分が、今まさに日本のサバービアなのだ。
(ここで地方の話は脇に置いておく)
この一〇数年、この日本のサバービアから都心へ人が逆流している。
ゆえに、それらの老朽化した団地はそのままの姿で存在し続けているのだ。
もちろん、ちょっとした補修工事なども行われているだろうが、すでにその造りが今のライフスタイルにマッチしていない。
でも、やはりそこに住み続けなければいけない人がいる。
おそらく、東京の郊外もアメリカ的サバービアの日本版を目指したのだと思う。しかし、結果はヨーロッパ的なサバービアになりつつあるのだ。

日本のサバービアは廃墟ではない。ただし、廃墟になる数歩手前であることは間違いない。