坐花酔月 徒然日記

 「花咲く処に腰を下ろし 月を眺めて酒を楽しむ」 この一年、どんな年になるのか。

鶴岡の今昔 著・半田岩雄

2016-10-25 21:00:00 | 本・映画・音楽etc.

町歴史研究会(仮称)メンバーのK藤氏が勧め貸してくれたこの本、なかなか面白く読ませてもらった。
『鶴岡市制50周年を機会に山形新聞鶴岡支局長半田岩雄氏が、鶴岡の移り変わりを「つるおか50年」として5ヶ月間にわたり山形新聞庄内版に連載した』ものを一冊にまとめたものと序文に記されており、知らなかったこと、知りたかったことが平易な文章で書かれている。


中でも、昭和29年の町村合併にまつわる藤島渡前地区の分町運動や湯野浜分市紛争の記事は知りたかったことで、とても興味深く読んだ。


なぜ市内のナンバースクールには「朝暘」が付くのか…、
明治9年に、木造洋風3階建で教室42室の当時としては東北一といわれ錦絵にもなった朝暘高等小学校が創立(※明治16年3月9日焼失)された。校舎3階の教室からは、南に遠く朝日岳が望まれ、それで『生徒の成績が、朝暘の登るように向上するように』との願いをこめて校名が付けられ、これにあやかって市内の小学校に受け継がれたとのこと。鶴岡育ちでない私にとっては「そうだったのか~」と単純に薀蓄が増えた。


内川船運…、
以前、古文書サークルの例会で、朝日地区で切り出した材木を赤川に流し、内川で陸揚げする川端界隈の話を聞き、活気に満ちた風景を想像した。
大雨のたびに氾濫・大洪水を起こした赤川と内川の本格的改修を手掛けたのは最上義光。そしてその時代(慶長年間)に青龍寺川を開いたのは本郷村(鶴岡市本田)の豪農、工藤掃部(かもん)という人物…。ふ〜む、歴史は面白い!!




【鶴岡の今昔 -世相50年史- 】 ◯著者:半田岩雄 ◯発行:1975(S50)年6月20日 ◯装幀:佐藤十弥 ◯印刷所:鶴岡印刷株式会社 ◯製本:株式会社中山製本所 ◯発行人:田村茂廣 ◯発行所:株式会社東北出版企画
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