国会会議録検索システムで検索して、歴史を探ってみる。
本会議の議事録に「竹島」、「韓国」、「拿捕」のキーワードが現れるのは、昭和28年10月31日 衆議員本会議 須磨彌吉郎の発言である。
「最後に日韓問題でございますが、一衣帯水の韓国との間には、日本として、他のいずれの国にも率先して、ぜひとも友好なる関係を設定することを望むことは申すまでもないのでございます。しかるに、竹島の問題と申しましても、李承晩ラインの問題と申しましても、これは実に解しがたい暴挙でありまして、かかることが起りましたことは、返す返すも残念で、遺憾でございます。これらの韓国の主張が理不尽でありますことは、どなたも御異存がない。国際法を無視しました暴挙であることは言うをまたないのでありますが、しかしながら、その設定いたしました李ラインを越えたかどをもつて、四十二隻の漁船がすでに拿捕せられており、四百七十四人を数えている乗組員がすでに監禁をされている。毎日新聞紙一枚を買う値段にひとしいような金で一日の食をあてがわれている。裁判にかかつても弁護士の立会いができない。かようなる事態は、私は日本人としてまことに義憤を感ずるものであります。(後略)」
さて、生まれる前のことなので、まったくしらない言葉が出てきているのだが、「李承晩ライン」とは何か議事録から探ってみよう。
昭和28年11月03日 衆本会議 田口長治郎
「そもそも日韓漁業紛争の問題は、昨二十七年一月十九日、突如として李承晩大統領が海洋主権宣言なるものを発し、朝鮮半島周辺の公海に、日本領土竹島を含む広大なる海域に一線を画して国家の主権を行使するといういわゆる李承晩ラインなるものを設定し、日本漁船の操業を禁止したことに始まつたのであります。日本政府は、ただちにこの不当なる措置に抗議して反省を促し、その撤回を求めたのでありますが、韓国政府は、ごうもその態度を改めようとせず、多くの漁船の拿捕抑留を繰返し、遂に去る九月七日には二十四時を期して同水域内全日本漁船の退去を通告して来たのであります。しかして、なお退去しないものには、韓国政府は海軍艦艇の実力行使をもあえてしその目的を達せんとする峻烈な措置の強行を声明するとともに、ただちにこれを実行に移したのであります。現在まで、これが犠牲となり、拿捕抑留されておる漁船及び乗組員、四十一隻、五百数名に上つております。しかも、これら拿捕船員中六十九名はいまだその所在不明のため、郷土にありては、その家族が生きていることだけでも何とか調査してくださいと合掌する姿を見ては、まことに涙なきを得ないのであります。仄聞するところによれば、抑留された乗組員は、一方的裁判によつて例外なく体刑を科され、獄舎に投ぜられ、人道上許されないような悲惨なる環境に置かれているのであります。また、漁船漁具はもちろん、漁獲物の一切は没収するとの判決を下しているのであります。」
そう、韓国政府は突如として、公海を領海だと主張して、軍艦を使って民間の漁船を拿捕し始めたのだ。このときに韓国が一方的に決めた、領域境界線を「李承晩ライン」と呼んでいるのである。
実は、このときに犠牲になったのが、中国地方の日本海側の県の漁業関係者だったのである。
これが、島根間が「竹島の日」を制定した根底にあるもののひとつだと思う。
新聞、テレビ等のメディアは、現在の情報(時には韓国からの)のみを基にして、島根県の行動を愚挙のように報道しているが、このような状況を理解すると、そうとはいえないことが分かる。
その後の竹島をめぐる話についてはこのあたりを見てください。
「竹島問題の基礎知識」
本会議の議事録に「竹島」、「韓国」、「拿捕」のキーワードが現れるのは、昭和28年10月31日 衆議員本会議 須磨彌吉郎の発言である。
「最後に日韓問題でございますが、一衣帯水の韓国との間には、日本として、他のいずれの国にも率先して、ぜひとも友好なる関係を設定することを望むことは申すまでもないのでございます。しかるに、竹島の問題と申しましても、李承晩ラインの問題と申しましても、これは実に解しがたい暴挙でありまして、かかることが起りましたことは、返す返すも残念で、遺憾でございます。これらの韓国の主張が理不尽でありますことは、どなたも御異存がない。国際法を無視しました暴挙であることは言うをまたないのでありますが、しかしながら、その設定いたしました李ラインを越えたかどをもつて、四十二隻の漁船がすでに拿捕せられており、四百七十四人を数えている乗組員がすでに監禁をされている。毎日新聞紙一枚を買う値段にひとしいような金で一日の食をあてがわれている。裁判にかかつても弁護士の立会いができない。かようなる事態は、私は日本人としてまことに義憤を感ずるものであります。(後略)」
さて、生まれる前のことなので、まったくしらない言葉が出てきているのだが、「李承晩ライン」とは何か議事録から探ってみよう。
昭和28年11月03日 衆本会議 田口長治郎
「そもそも日韓漁業紛争の問題は、昨二十七年一月十九日、突如として李承晩大統領が海洋主権宣言なるものを発し、朝鮮半島周辺の公海に、日本領土竹島を含む広大なる海域に一線を画して国家の主権を行使するといういわゆる李承晩ラインなるものを設定し、日本漁船の操業を禁止したことに始まつたのであります。日本政府は、ただちにこの不当なる措置に抗議して反省を促し、その撤回を求めたのでありますが、韓国政府は、ごうもその態度を改めようとせず、多くの漁船の拿捕抑留を繰返し、遂に去る九月七日には二十四時を期して同水域内全日本漁船の退去を通告して来たのであります。しかして、なお退去しないものには、韓国政府は海軍艦艇の実力行使をもあえてしその目的を達せんとする峻烈な措置の強行を声明するとともに、ただちにこれを実行に移したのであります。現在まで、これが犠牲となり、拿捕抑留されておる漁船及び乗組員、四十一隻、五百数名に上つております。しかも、これら拿捕船員中六十九名はいまだその所在不明のため、郷土にありては、その家族が生きていることだけでも何とか調査してくださいと合掌する姿を見ては、まことに涙なきを得ないのであります。仄聞するところによれば、抑留された乗組員は、一方的裁判によつて例外なく体刑を科され、獄舎に投ぜられ、人道上許されないような悲惨なる環境に置かれているのであります。また、漁船漁具はもちろん、漁獲物の一切は没収するとの判決を下しているのであります。」
そう、韓国政府は突如として、公海を領海だと主張して、軍艦を使って民間の漁船を拿捕し始めたのだ。このときに韓国が一方的に決めた、領域境界線を「李承晩ライン」と呼んでいるのである。
実は、このときに犠牲になったのが、中国地方の日本海側の県の漁業関係者だったのである。
これが、島根間が「竹島の日」を制定した根底にあるもののひとつだと思う。
新聞、テレビ等のメディアは、現在の情報(時には韓国からの)のみを基にして、島根県の行動を愚挙のように報道しているが、このような状況を理解すると、そうとはいえないことが分かる。
その後の竹島をめぐる話についてはこのあたりを見てください。
「竹島問題の基礎知識」