理由も目的も効果もナゾなのにコロナ自粛を続行…日本人の同調圧力の強さは「高等教育の失敗」が原因だ
>アメリカの名門大学の入試では、現在の日本の医学部同様に「面接試験」が行われていますが、日本のそれと決定的に違う点は、日本では、医学部の教授が受験生の面接を行っているのに対して、アメリカのそれでは、面接の場に教授が同席すらしないことです。面接を行うのは、アドミッション・オフィス(入試オフィス)の面接官です。そして、なるべく「教授とケンカしそうな学生」をとるのです。
>その背景には、「教授に逆らうような若者」をつくらなければ、社会は進歩しない、イノベーションは起きないという教育的な確信があり、またそれを支える社会的コンセンサスがあります。
>大学教授が身につけている知識は、はっきりいって過去のものです。その過去知に異を唱えるような若者をとらなければ、高等教育の名に値しないという矜恃きょうじです。私にいわせれば、アメリカの大学は、荒唐無稽な若者を受け入れて育てるから「コウトウ教育」なのです。
>日本の高等教育は、今もその成功体験を受け継いでいます。わが国では、高等教育でも、「教育」とは、教授のいうことを丸暗記させることであり、「学ぶ」とは教授のいうことに異論を唱えず、丸暗記することなのです。そして「学ぶは真似ぶ」という言葉が、学習法の要諦として語られる社会になりました。
>アメリカの名門大学の入試では、現在の日本の医学部同様に「面接試験」が行われていますが、日本のそれと決定的に違う点は、日本では、医学部の教授が受験生の面接を行っているのに対して、アメリカのそれでは、面接の場に教授が同席すらしないことです。面接を行うのは、アドミッション・オフィス(入試オフィス)の面接官です。そして、なるべく「教授とケンカしそうな学生」をとるのです。
>その背景には、「教授に逆らうような若者」をつくらなければ、社会は進歩しない、イノベーションは起きないという教育的な確信があり、またそれを支える社会的コンセンサスがあります。
>大学教授が身につけている知識は、はっきりいって過去のものです。その過去知に異を唱えるような若者をとらなければ、高等教育の名に値しないという矜恃きょうじです。私にいわせれば、アメリカの大学は、荒唐無稽な若者を受け入れて育てるから「コウトウ教育」なのです。
>日本の高等教育は、今もその成功体験を受け継いでいます。わが国では、高等教育でも、「教育」とは、教授のいうことを丸暗記させることであり、「学ぶ」とは教授のいうことに異論を唱えず、丸暗記することなのです。そして「学ぶは真似ぶ」という言葉が、学習法の要諦として語られる社会になりました。