食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代インドの農業-古代インド(4)

2020-09-21 14:52:10 | 第二章 古代文明の食の革命
古代インドの農業-古代インド(4)
農業はその土地の気候に大きく左右される。インドについて見てみると、北部地方と南部地方では大きく気候が異なっている。インドの気候に大きく影響しているのが季節風(モンスーン)で、インドの北部では春から夏にかけて海側から湿った南西の風が吹きこむ。その結果、6月から10月にかけて大量の雨が降る雨季となる。それとは逆に、12月から3月にかけては大陸内陸部から北東の乾いた風が吹くため、雨がほとんど降らない乾季になる。



一方、南部地方では、南西の季節風と北東の季節風のどちらも海を通って来るので、雨は一年を通して十分にあり、雨季と乾季の区別ははっきりしない(それでも、北東の季節風が吹く季節に雨が多くなる)。

インド北部には、インダス川やガンジス川などによって作られた沖積平野(河川による堆積作用によって形成される平野)である「ヒンドゥスタン平野」が広がっている。この平野の面積は約70万平方kmで(ちなみに日本の総面積は約38万平方km)、世界最大の沖積平野である。多くの沖積平野と同様にヒンドゥスターン平野は肥沃で、現在では世界有数の農業地帯となっている。

このヒンドゥスタン平野での農業で問題になるのが乾季における降水量不足だ。乾季には50~100ミリの雨しかなく、これでは植物は十分に生育することができないのだ。この水不足を補うために、この平野では古くから灌漑が盛んに行われてきた。

最も広く行われた灌漑法が井戸を掘ることだった。ヒンドゥスタン平野は地下水が豊富であり、穴を掘れば水が出るため農業用に多数の井戸が掘られた。また、マウリヤ朝時代(紀元前317~前180年)には住民を強制的に働かせることで貯水池が次々に作られた。

マウリヤ朝に派遣されたギリシアの外交官メガステネス(紀元前300年頃)は著書『インディカ』で、当時のインドの農業について次のように記している。

「インドにはあらゆる種類の果樹が生い茂る巨大な山がたくさんあります。肥沃な平原の大部分は灌漑されているため、同じ土地で1年間に2つの作物を栽培しています。その結果年間を通じて、ムギに加えてコメやキビ、さまざまな種類のマメ類が育ちます。そしてインドの住民は毎年2回の収穫を行っています」

このように灌漑設備が充実した結果、冬の乾季にはコムギとオオムギ、ナタネなどが栽培され、夏の雨季にはコメやキビ、マメ、サトウキビなどが育てられた。

一方、インドの南部地方は北部よりも温暖だ。イネはコムギよりも最適生育温度が5℃ほど高いため、この地方ではイネが主に栽培された。それ以外には、サトウキビ、キビ、ココナッツ、ナツメヤシ、コショウ、シナモンなどが育てられた。この中でサトウキビから精製した砂糖と香辛料のコショウとシナモンは貿易品として重要な役割を果たしていくことになる。

また、食用ではないが、綿やジュート(インド麻)もよく栽培された。ちなみに、良い香りがすることで仏具や扇子などに使われるビャクダン(白檀)はインド原産の植物で、この栽培も南インドでは盛んだった。ビャクダンは仏教の伝来とともに中国を経て日本に伝えられたと考えられている。

インドの南部でも多数の灌漑設備が造られた。中でも2世紀頃にカーヴィリ川に造られた「カラナイダム」が有名で、建設当時は稲作のために約300平方kmの土地に水を供給したと言われている。このダムは現在でも使用されており、約4000平方kmの土地に水を配っている。

現在のインドはコメ、コムギ、マメ類の生産量が世界トップクラスを誇る農業国であるが、その礎は古代インドの時代に既に作られていたと言える。


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