狩猟・採集社会と農耕・牧畜社会のかかわり
農耕・牧畜の開始により、狩猟・採集に比べて食糧が安定的に得られるようになった。農耕・牧畜の開始にともなうこのような変化は「食料生産革命」と呼ばれることがある。また、農作業に適した磨製石器などの新石器が使用されたことから、この時代を「新石器時代」と呼ぶこともある。
農耕が始まることで増えた人手によって、農地や家畜数をさらに増やすことができたため、農耕・牧畜社会は徐々に拡大して行ったと考えられる。そして、8000年前頃の西アジアでは数千人規模の町が見られるようになった。
ただし、広い地域で農耕・牧畜が一斉に開始されたのではなく、農耕・牧畜を行う集落の周囲には、狩猟・採集生活を続ける集団も残っていた。そして、現代の狩猟民族と農耕民族の観察から、二つの集団の間には、密接な交流があったと考えられる。
その一つが食料の交換だ。例えば、狩猟や採集で余りものが出た場合には、農耕・牧畜の集落に出向いて、穀物などと交換することもあっただろう。特に、塩は狩猟で得た肉などを保存するために必須であったため、重要な交易品であったはずだ。食料不足の時には、食料の貸し借りもあったかもしれない。
また、時には人手の提供もあったのではないだろうか。
農作業では、収穫の時期などに多くの人手が必要になる。そのような場合に、狩猟・採集集団から手助けがあったと想像される。さらに、狩猟・採集を行う集団で病人やけが人が出た場合は、彼らが回復するまで農耕・牧畜の集落で預かってもらうことも行われたかもしれない。また、狩猟・採集集団から農耕・牧畜集団に加わる人々もいたはずだ。
こうして、農耕・牧畜の集落は、「地域の拠点」として成長して行ったのではないだろうか。