古代ローマ人の食事(1)祭りと生贄
古代ローマ人の一日は夜明けとともに始まった。電気が無い時代なので、太陽の光の下で生活するのが一番効率的なのだ。そこで、夜の始まりと共に床につき、夜明けとともに活動を始める生活を送っていた。もっとも、オリーブオイルを燃料にしたランプは富裕層でよく使用されていたのだが。
ローマ人の朝の食事はイェンタクルムと呼ばれ、無発酵のかたいパンをくだいて、ワインや水、ミルクに浸して柔らかくして食べた。ローマ人の規範として朝からガッツリと食べるのは良くないこととされていて、質素に済ませるのが普通だった。屋台で蜂蜜入りのスナック菓子が売られていて、それを買って食べることもあったようだ。
家に食べ物が無くて、屋台でお菓子を買うゆとりもない人はパトローヌス(平民保護貴族)と呼ばれる庇護者のところに行けば食べ物とちょっとした贈り物がもらえた。食べ物はそのまま食べてもいいし、後で食べても良かった。また、贈り物は市場で他の物と交換したり、売ったりできた。庇護者の上にはその庇護者がいて、それぞれ下の階層の者に施しをすることで、必要とする時にしもべとして働いてもらっていた。これは、属州からローマに入って来る富の分配システムであるとともに、社会を安定化させるための統治システムであったのだろう。詩人ユウェナリスは古代ローマの社会を「パンとサーカス」と表現したが、これは権力者が市民にパンとサーカス(見世物)を無料で提供することで人心を掌握していたことを表している。
とにかくローマ市民であれば毎日の食は保証されていたし、労働は奴隷が行っていたので、一日自由気ままに暮らせた。後はどうしたら楽しく暮らせるかだけだった。そんなローマ人の暮らしの中で重要だったのが「祭り」だ。古今東西「祭り」は非日常的でとても楽しい催しものだ。基本的に祭りは神々を讃えるために行われる儀式で、そこには必ずお供え物がある。お供え物は神々に奉納されたのちに、人々におすそ分けされる。日本でも神社の祭祀の後に奉納したお酒や食べ物をいただく「直会(なおらい)」という行事が必ず行われる。
古代ローマのお祭りでお供え物の中心になっていたのが「生贄(いけにえ)」だ。古代ギリシアの人々も行っていたことなのだが、流血をともなう家畜の犠牲を神々にささげることがとても重要視されていたのだ(野生の動物は使用されなかった)。このため、古代ローマの初期には「敬虔な人」は「ポリュテレス(生贄をささげる人)」と呼ばれた。
神の意志によって執り行われる生贄の儀式では、動物自身が喜んで犠牲になる必要があったので、犠牲になることをうなずくことで承諾した動物だけが犠牲になったという(うなずくまで静かに待った)。生贄は祭壇に運ばれ、頭を打たれて殺された後すぐにのどを切られて血が流されたそうだ。その後生贄の体の一部が燃やされて神にささげられた。
儀式が終わると生贄は料理されて人々に配られる。普段は肉を食べられなかった庶民にとって祭りは肉にありつける、とっておきの場だった。一方、権力者にとっては、庶民の人気を得るための格好の場になった。このため、古代ローマにおける祭りの数はどんどん増えて行って、第4代皇帝のクラウディウス(在位:西暦41年~54年)の時には一年間の祭りの数が160にもなったという。そして、この頃には、敬虔な人ポリュテレス(生贄をささげる人)は「大食漢」を意味するようになっていた。なお、第3代皇帝のカリギュラ(在位:西暦37年~41年)の即位を祝う祝賀儀式では、16万匹もの家畜が犠牲になったと伝わっている。
サートゥルヌス神(ライセンス)
古代ローマで最も大きな祭りの一つが、農耕神のサートゥルヌス(ギリシア神話のクロノス)を祝した「サートゥルナーリア祭」だった。この祭りは12月17日から12月23日までの1週間を通して行われ、奴隷も一緒になって大量に飲み食いし、乱痴気騒ぎをして過ごしたという。祭り好きという点でも日本人はローマ人に似ているところがあるように思える。