(´・ω・`)ショボーン

いろいろと…

サバイバルこそ真理

2010-07-07 | Other
生命の不思議として精子と卵子の関係があります。 精子は男性器の睾丸内で約1秒に1000個のペースで誕生しています。 副睾丸内で溜まった約10億個の精子のうち正常で健康な精子はわずか20%です。 残りの80%の精子は何の役にも立たずに死ぬのです。

女性の膣内で射精された精子は、いくら健康であっても壮絶なサバイバルを経て卵子へ到達します。 射精時に膣内へ放出される精子の数は凡そ2億5千万個。 そのうち、卵子へ無事に辿り着けるのは僅か数十個。 さらに卵子の中へ迎え入れられるのは、通常はたったの1個の精子だけです。 250,000,000分の1の確率。 さらには、その前から言うならば、10億分の1の確率でしょう。

この精子の過酷なサバイバルは社会の縮図のように感じます。


人間の個々に『天運』というものが存在するならば、宝くじや懸賞で当選した等の100%運任せの幸福は、ある程度、精子である時から個々に決められているモノなのではないでしょうか。 また、幸福だけではなく、老衰を迎えることなく若くして病気や事故で亡くなる不幸もまた然り。 この世の全ての事象は起こるべくして起こる。 それが抽象的であるが故に、人は恐れおののき救いを求めて『神』や『仏』を作り上げすがり続けている。

神や仏とはまさに天運の事であり、人それぞれの内の中に存在する。 つまり、運がついている=神や仏に護られている。 運がついていない=神や仏に見放されている。 と同義ではないだろうか。 神仏にすがる事は定められた己の中の天運を肯定し、素直に受け入れ徳を高めることに繋がる。 禅を組み、己を見つめ知ることで、天運に抗う術を見いだすことができると坊主は宣う。 生き続けたければ常に運命に抗うこと。 それはとても見苦しい事ではなく、精子の段階でのサバイバルからの延長である。

精子として生を受け、その天命を全うするまで人は人を蹴落とし合い、殺し合い、仲間意識など偽善に過ぎず、いざ卵子にたどり着けばお互いを憎み合い妬み欲に駆られ、そのあげく勝利した者は敗者への慈悲もない。 周りで死に行く敗者に振り向くこともせず、競争、闘争、殺し合い。 それが生命の本質であり、真理である事は、理性のある人間からすれば実に残念なことに感じる。