(´・ω・`)ショボーン

いろいろと…

解離性同一性障害

2021-10-14 | Other
多重人格と言われるような、所謂、精神病なわけだが、過去の精神的な過度のストレスで自己防衛で自然に別人格が形成されるらしい。ただ、こういうのって自分が別人格に入れ替わりたいときに自由に入れ替わることができるのはおかしい気がする。ストレスによって防衛本能で入れ替わるのなら、発症した時と同じような環境、シーン、ストレスを感じない限り、その人格に切り替わる可能性は著しく低いと思うのだ。その時のことを思い出すだけで切り替えられるというのもあるかもしれないが。

普通と思われている人でも喜怒哀楽の感情があり、それぞれは全く違う表情、性質、考え方になるのだから。また、殺人においても、「普段はまじめな人ですよ。あの人がそんな事する人だなんて想像できません」みたいなインタビューを目にするが、普段はそんなイメージはなく、過度のストレスにより殺人鬼へと変貌するわけだ。こんなん日常茶飯事ニュースで見られる光景。ある意味、解離性同一性障害というものは特別に存在するものではなく、誰でも解離性同一性障害なのだと言える。解離性同一性障害と診断された人は、重度の頻度が多く、その記憶が飛ぶという点だけだろう。記憶を失うというのは人間の危機的状況における自己防衛機能であり、その機会があれば誰でもなる。例えば軽い症状であれば、皆が経験している嫌なことを思い出すと頭が痛くなるというものだ。頭が痛くなり続ければどうなるか?脳が熱を帯び、人体に障害を与える為、自然に自己防衛機能で熱を冷ますような機能が働く。簡単な例では忘れようとするように感情が動くとか、重くなれば失神して強制的に熱を冷ますなどだ。

別人格が脳内に複数存在するならば、知能テストやIQテストをすれば重度は判るはずだ。同じ脳でも人格が違えば、脳の処理機能は違うはずなのだから。例えば、暗記する能力の違い、計算する能力の違い、興味関心ごとの違いなど。人間は一人として性格、能力、趣味趣向の同じ人はいない。別人格でもそれは当てはまるはずだ。

そもそも人格と言う概念が一人の人間に1つしかないと思うのが間違い。誰でも多重人格者です。怒っているときのあなたを想像してごらんなさい。平時とは全く別人ですよね。人格が一つならば喜怒哀楽なんて存在しません。いつでも平時のままです。人格には感情が大きくかかわっている。感情が強く強く現れた時ほど、人は別人格へと変貌するのです。感受性が豊か、感化されやすいなど、感情に変化がおきやすい人ほど解離性同一性障害になりやすい。同じ境遇の人でもならない人はならないですからね。程度に差はあれど虐待されて育った人でもならない人はならない。でも、なる人はなる。その違いは感情の変化レベルの差。逆説的に考えれば、何があっても感情を一定に保つことができれば、解離性同一性障害になる可能性を回避できるということです。と言っても、感情の変化レベル差や環境差は違うので、理論通りにできることではないですが。一番大事なのは自分は解離性同一性障害で周りとは違うなんて思わずに普通に過ごすことでしょうかね。だって、程度の差はあれ、全人類が多重人格者であり、自分だけ特別なものではないのだから。周りの人たちもそういう疾患と診断されている人を特別な目で見ずに、普通に接することです。だって、その人が特別ではなく自分自身も多重人格者なのだから。また、解離性同一性障害と診断する事は特別な存在だと縛り付ける行為で、よくないと思いますよ。自分は病気なんだって安心させる意味で決定づけてるなら大きな間違いです。それがより悪化させてる行為だから、誰一人として治り難くなってるんですよ。病気じゃないわけではないし、そこらへんのフォローもされているお医者さんもいるかもしれませんが、精神疾患において病気名つけるのやめましょう。精神疾患者にそう認識させると、薬に頼り続けたり、精神的に強くなろうとする気を失う人のほうが圧倒的に多いですから。

離婚問題

2019-07-05 | Other
離婚は簡単にするものではないと思う。

離婚を必要とするケースは、伴侶から暴行や精神的な苦痛を受けていたり、子供を虐待していたりと様々だ。

だが、軽度の性格の不一致や性生活の不満、夫婦共働きの上に女性の家事・育児負担増など、そんなくだらない理由で離婚する者が後を絶たない。

性格の不一致など当たり前だ。お互いに小さい頃から違う環境、違う情操教育で育ってきたのだから。性格が一致するなんて自分のコピー人間以外ありえないだろう。まして、子供が生まれているならば、伴侶との性格の不一致などで別れるなど自分勝手も甚だしい。子供からしたら、父親も母親も共に親でありどちらも好きでいたい存在だ。そんな親同士が性格の不一致で別れて、何の罪もない子供に片親と離れて暮らさせる…ある意味、虐待しているのと同じことと理解してほしい。

女性をとってみれば、昔話になるが、昔の女性は我慢強かったとよく聞かされる。亭主の収入だけでは家計をやりくりできない為に母親もアルバイトやパートとして共働きしなければならないこの時代。外では仕事をして家では家事・育児と大変で気が狂いそうだと…。昔なら自営業の家に嫁いだなら子供を背中に背負いながら仕事をして家事もこなせたが今ではパート先で子供を背負いながらなんて許されないため、託児所に預ける必要があり、そこでまた金がかかる。パートで働いた給料も託児所代で消える事もしばしば…なんの為に働いているのかわからない状態の人もいる。高度経済成長時代は産めよ増やせよと、いくらでも子づくりしても全員育てるだけの収入はあった。気を強く持つだけでは不景気の現代社会では気が続かないだろう。それは気が狂いそうになる気持ちもわかる。世の亭主たちは、できる範囲で家事や育児を手伝ってやるべきだ。仕事が長時間であったり遅くまでかかったりとかにもよるだろうが、女房ができるだけ自由な時間を作れるように配慮してあげれば、夫婦仲はそこまで悪くはならないはずなのだ。一方的に女房が我慢が足りないとか言うのはおかしい時代。ならば、女房にパートに行かせないくらいの収入を稼げよ…と。所詮、甲斐性なしは結婚なんてするなよ…男ならこんなに不甲斐なく恥ずかしい事はないのではないだろうか。

性生活の不満で離婚…そもそも何を期待して結婚したのだろうか。最近は血がたぎりまくっている若夫婦の間でもセックスレスが増えてきていると言う。男からしたら仕事が忙しく家に帰ったら少し自由時間を満喫して風呂入ってご飯食べて就寝…で、朝起きたらまた仕事に出かけるの繰り返し。家事・育児なんて手伝ってたら体力も気も持たないし、セックスなんてする気も起きない。家は寝るだけに帰る毎日の人もいる。そんな男の気持ちもわかる。女房もパートに家事育児と夜には疲れてセックスどころではない。どちらかが体力が余ってる日にムラムラしてセックスしたいと思っても、相手が疲れていたら拒否される。そもそも、セックスは自分が気持ちよくなってすっきりしたいから行う行為なのだから、自慰で済ませればよいだけの事。性生活の不満で離婚とか自己中の極みだろう。

女房も大変・亭主も大変…ともに大変なのだから、どこかで折り合いをつけてお互いに負担が平等になる程度の家事分担くらいは話し合えないのだろうか。一番、かわいそうなのは子供だと言うことを理解してほしい。夫婦で気持ち良いセックスして勝手に産んでおいて、自分たちの事だけしか考えず、子供の事は考えていない。だから、当たり前のように離婚してしまうのだろう。親の事なんてどうでもいい。疲れてようが、気が続かなかろうが、罪のない子供を産んだ責任として死ぬくらいの覚悟でいなければ、現代ではやっていけないだろう。自分たちが辛い辛いと言って、子供の事なんてなんにも考えてなくてかわいそう…。子供が虐待を受けていないかぎり、片親が欠けて幸せな子供なんているわけがない。

最後に子供の虐待・ドメスティックバイオレンスによる女房の苦痛や両親の喧嘩により受ける子供の精神的な苦痛。これは離婚すべき。性格の不一致に分類されるが、重度の性格の不一致と言える。暴行するなどの残虐行為は理性のある者であればできないことだ。性格というよりも脳障害で理性の欠如がもたらす精神疾患。精神疾患なのだから普通に話し合うことはできない。つまり、普通ではないのだ。私が我慢し続けていれば、いずれ暴力をしなくなるかも…なんて事は絶対にない。(女性が男性に暴力という逆パターンもあるが)女房や子供に対する暴力をしなくなる時は、本人が死ぬか女房か子供が死んだ時くらいだろう。一緒に暮らしている限り暴力を受け続ける。だから、離れて暮らすことしか選択肢はない。離れて暮らしても暴力志向が無くなることはないので、しばらくしてからまた一緒に暮らしても同じことの繰り返し。つまり、離婚してお互いに干渉する事のない状態になるほかないのだ。運が悪い縁であったと諦めるしかない。

離婚の理由は上記以外にも様々あるだろう。だが、離婚届にハンコを押す前に今一度、本当に離婚してよいのかどうか?まだ、話し合える余地はないのかどうか?そして、何よりも子供にとって一番の選択肢はなんなのか?考えてみてほしい。

涙袋は美の大敵!油断しないで!

2017-05-01 | Other
ニコッと笑うと目の下がぷくっと膨らむ女性は、魅力的に映ったりします。この膨らむ部分を「涙袋」あるいは「涙堂」と呼びます。下まぶたのまつ毛の下側に沿った部分で、人によって大きさには個人差があります。

若い女性には、若々しく印象づけたり、目が大きく見えて可愛らしく映る涙袋は比較的好まれる傾向にあります。「涙袋メーク」や「涙袋コスメ」、「涙袋形成」など、一種のブームと言っても過言ではありません。しかしこの涙袋、一概によいことばかりではありません。若い頃はチャームポイントだった涙袋も、加齢とともにしわやたるみとなって目立ってしまうと、一転して「目袋」と呼ばれ、老けた印象を与えてしまう可能性も…!

涙袋も含め、目の周りの皮膚は人体の中でも最も薄く、皮膚の下に脂肪はなく筋肉組織で覆われています。眼輪筋と呼ばれ、目の周りを360度ぐるっと取り巻いて、瞼を開閉するのに働きます。よく動く表情筋で顔の印象を大きく変えるため、涙袋に注目し、憧れる女性が増えているようです。

でも、涙袋は筋肉です。年齢とともに衰えていくのは必然で、涙袋が大きければ大きいほどに、衰えた時にたるみとなって目立ってきてしまうのです。つまり、若い方に支持されている「涙袋」も、年齢を重ねていくと目の下のたるみ「目袋」として敬遠する方が多いということです。

おばさんやおばあちゃんで、目の下に半円状のたるみがクッキリと刻まれてる方をよく目にするでしょう。あれが涙袋が垂れ下がった状態です。できるだけ目の周りの筋肉をマッサージして鍛えても限度がありますので、加齢と共にどうしても目の下は垂れ下がってきます。涙袋がある人はその垂れ下がり具合が、ない人よりも凄くなります。

「目袋」を解消する方法はありますが、流行に流されず、先々まで見据えたケアをしていくことが大切だと思います。


涙袋のたるみ予防・対策として、まず、眼輪筋のエクササイズが挙げられます。たるみは筋肉の衰えによるところが大きいですが、長時間パソコンに向かう方や、人と話す機会の少ない方などは、日常生活の中ではあまり使っていない場合も多いかもしれません。簡単ですから、毎日の生活に取り入れてみてください。

1.目の周りにクリームを塗る

2.目を思いっきり細める

3.細めたままの状態で、眉毛を引き上げ10秒キープ

4.眉毛を戻す

1.~4.を数回繰り返します。他に、なるべく頬の筋肉を動かさずに片目ずつ瞬き(ウインク)するというエクササイズもあります。簡単そうですが、やってみると意外と難しく、筋肉がほぐされていくのを実感できると思います。

また、マッサージも効果的です。ただし、目の周りは皮膚が薄いため、しっかりクリームなどを塗って、優しくおこなうことがポイントです。直接的には目頭から目じりに向かって優しくなぞるようにマッサージすることと、リンパや血流の流れをよくする顔全体のフェイシャルマッサージも行うことで、目元のたるみを改善して、ハリを取り戻す対策となります。

己龍

2011-09-12 | Other
V系て中世ヨーロッパを意識したモノばかりだったが、和風V系というのは面白い。 『カブキ・ロックス』以来の和風だ。

ただ、残念なのがVo.の声が…。 声が通らなくて、歌詞が意味を成していない。 ただのノリで良いのか、何かを伝えたいのか、そこが希薄で残念。 あと、鼻帯…他のバンドの真似はやめようぜ、せっかく和風で変わってるのに、なぜそこだけ? パクリと言えばマイドラゴンとかナイトメアの仙台貨物の真似もどうかと思う。 V系も結局ネタがつきて同じようなのばかりが多発している。

皇室も変わっていく

2011-09-03 | Other
平民である美智子さんが皇室へ嫁がれてから皇室は変わっていった気がする。 それまでは高飛車な貴族ぶりを醸し出していた皇室の面々だが、平民の血が入ったことで変わらざるを得なくなってきている。 それがいい。 むしろ、それでいいのだ。 現人神などこの世には存在せず、ただそこにあるのは一箇の人間のみ。

天皇一家は日本国民の象徴として、いわば「このような家庭を築きましょう」という見本。 だから、実際には喧嘩やいざこざが皇室内で起こっていても一切口外されない。 いいのだ、諍いを口外してもいいのだ。 もっと平民に示せばよい。 隠し事をすることこそ平民に対しての示しにならない。 肝心なのは、それをどう収束させたのかを示すことなのだから。

皇室の必要性に関しても議論されてきている。 私は皇室は必要ないと思う。 戦後は必要だったかもしれないが、このご時世に必要性を感じない。 これに対して反論する者達は『真に皇室の人達を考えていない非情な者達』であると思うのだ。 どれだけ『皇室を利用』すれば気が済むのか!? 私は皇室の人達が可哀想でならない。 「ちょっと近くのコンビニ行って漫画本立ち読みしてくるよ」なんて許されない。 侍従に頼めばなんでも用意してくれるのだろうが、そんな常に監視されて自由に出かけることもできない『籠の鳥』という言葉が日本国内で一番相応しい立場に立たされている皇室の人達は可哀想でならない。 一部の平民ウ●コ国民により奉られている事へのプレッシャーは相当なものだ。「鳥を飼っている」ような感覚なのか? 何様だよ。 もう自由にしてやればいい。 清子様等、皇室から平民の暮らしへうつられた方々もいるのだから。 もう天皇制廃止して、みんな平民に、自由にしてやればいい。天皇家が無くなっても世界に影響が出ることはない。 世界も私たちの生活も普通に回り続けるのだ。 ただ、歴史的な変革があったというだけの話しだ。 諸行無常。 変わらぬモノなどあり得ないのだから。

皇室の中は私たちが考えているような世界ではなく、日本国内でもあの空間は異常と言わざるを得ない。 だから、天皇に近い立場にある方とご結婚された美智子さんや雅子さんは体調を崩されるのだ。 『皇室=異常』 それでいいのだろうか? そんな苦しめているのなら象徴なんていらない。 結局、世間で殺人や育児放棄が無くなっているわけではないのだから、象徴の必要性自体も問題視される。 抑止効果とかぬかすのなら、それはまさに天皇家を『利用している』と言っているようなものではないか。 天皇家を救う為に私たちは天皇制廃止を訴え続けなければならないのだ。

あえて苦言を呈してでも、この問題はいずれ片を付けなければならない。

私達は常に罪を犯して生きている

2011-07-21 | Other
この地球上に生命が誕生してから今でも、その命は受け継がれてきている。

『命は尊いもの』だと人は言う。 しかし、弱肉強食が自然界の理であるならば、そこに『命の救い』は無いのではないだろうか。 医者が人の命を救うという行為は自然の理に反した事であると。 救われない事が自然の理なのだろうか…。 いずれ食らわれる命のために自らの命を育む。 それは『愚か』な事ではないだろうか…。

人間も等しく他の動植物の命を食らい自らの命を育む。 人間も動物なのだから何も変わらない。 生命あるものの命を食らって生きているのだ。 そうする事でしか生き続けられない私達は何て残酷なのだろう…と思う。 しかし、生きたい。 死にたくない。 やがて訪れる死を自覚していても、そこまで生き続けたいと願う心は『罪』なのだろうか。 このまま永遠に罪を重ね続けなければならないのだろうか…。

私は理解している。 その罪は決して消えないと言うことを。 他の動植物も等しく人間もやがて死に絶えるのだということを。 それが罪滅ぼしであることを。 罪のない世界、それは互いの命を奪わないですむ世界。 そう…『無』だということを。


閑話休題。

人間は他の動植物に捕食される事はないです。 だから、あまり意識しないことかもしれない。 でも、少しだけでもそういう事を考えてみれば、これから私たちはどのように生きていけばよいか?が見えてくる気がします。 はっきりとはしないけれども、互いの命を奪わなくても住む世界は、人間の手によって作り出されるべきなのではないでしょうか。 私は思います。 人間の存在は種を際限なく増やすことではなく、また、自然界を破壊することでもなくて、自然界が人間に知恵と理性を与えたのは互いに命を奪い合う事のない世界を作り上げるためなのだと。

技術は着々と進歩しています。 原子の存在を知り得たことは人間が万物を作り出すことのできる機会です。 原子さえ知れば何でも作り出せる。 他の命を奪うことなく、人間の身体を維持するために必要な栄養も作り出せる。 想像できない未来がやってきます。 今生きている私たちは何千年後、何万年後以上先まで生きることはできないですが、きっとこの先の未来ではそんな世界が当たり前の日常になるのでしょう。

地球外生命体とのコンタクト

2011-06-29 | Other
地球外生命体とコンタクトをとろうと特殊な電波を飛ばしたり、ロケットに簡単な人間の絵を描いたプレートを載せて飛ばしたりしているが、それはある意味、危険な行為なのではないか?と私は思うのだ。

ふと、こう思ったのだ。 地球外生命体から何かしらのコンタクトがあったとして、果たして、向こう側は地球人に対して友好的であるのだろうか? 地球の領土を奪おうとか、人間を捕食する為に侵略してこないと誰が断定できるのだろうか? やたらに未知のモノと関わろうとする行為は危険きわまりない事であり、今すぐにでも止めるべきである。

地球内であっても動物は互いに殺し合い食い合い、人間も領土や資源を欲しいが為に人間同士で殺し合っているというのに、誰が地球外生命体が安全であると言えるのだろうか…。

また、もし『コンタクトがとれた』という事であれば、向こう側は相当な技術を持っていると言うことであり、地球人よりも優れているかもしれない。 そんな相手にどうして地球人が敵うのだろうか。 「侵略しにきてくださ~い」と言ってるようなものではないか。

この宇宙で地球人は宇宙の存在を知り、その宇宙へ飛び出している。 こんなにも高度な知能や文明を持っている私たちが存在するのだから、広い宇宙で他にも私たちのような生物が存在する可能性はあると思う。 そんなロマンを追い求めるのは素敵だとは思うが、危険なことでもあると言うことを学者達には理解してもらいたい。

漫画のような世界は時に『リアルになり得る』のだと言うことも理解しておいた方が良いだろう。

東電社長に『土下座して謝れ!』

2011-05-04 | Other
なんか虚しいですね…。 東電が管理している人的被害をもたらす危険な物を天災で壊されてしまい、後々の子孫に至るまで後遺症が出るかもしれない放射能の危険にさらされた住民の怒り。 農家や漁業関係者は収入に関して大打撃で明日からどう生活していけばよいのか解らない状態。 その他諸々の怒りが東電に向けられている。

私は思うのです。 東電は放射能の危険性を十分に理解していなかった、若しくは、軽んじていたのではないだろうか? 海外で起こった過去の原発事故から何も学ばなかったのだろうか? 原子力発電所の設備は人が作るものである以上、絶対はあり得ないわけだが、危険性を考えれば絶対に限りなく近くなくてはならないのです。 はたして日本の原発は限りなく絶対に近かったのでしょうか。 私は、明らかに東電のミスだと思います。 過去に10mを超える大津波が日本国の何処かにきていた歴史もあり、そういう事を理解していれば、どのくらいの被害をもたらすか?の予測は今の日本の技術なら100%可能です。 津波でどのくらいの圧力が原発の建物にかかるか?そんなことも解らなかったのでしょうか?

静岡の浜岡原子力発電所は日本国内でも地震に対して他の原発を凌駕する耐久性を誇るそうです。 ただ、そんな過信が今回のような取り返しのつかない事態に繋がるのです。 過信せず絶対により近づけること。 必要以上という言葉を使って欲しい。 電力会社には『必要以上』を『無駄な経費』と勘違いしないで欲しい。 これが肝心なのです。

土下座させたからどうなるわけでもないですが、住民はどんどん怒りなさい。 怒り疲れるくらいに怒りなさい。 貴方たちの暮らしができるだけ元の状態に近づけられるよう、国や東電に時間をかけても何とかして頂くのです。 怒り続けることで、いずれ心は『責めること』から『頼ること』に転じる時がやってくるでしょう。 それが自分自身の中の神仏にすがると言うことなのです。 だれでも良いから助けて欲しい…と、心の中で叫び続けるようになります。 貴方たちには同じ国土で育った日本国民が常に傍にいます。 何も心配することはありません。 今、CMのキャッチコピーでも盛んにみかけますよね。 『日本は1つ』なのです。

東電の方々には真摯に住民の怒りを受け止めて欲しい。 ただし、それを苦に自殺するなどはしないで欲しいとも思います。 貴方たちが日本の国を豊かにと、国民の皆の生活を豊にと願い電気を供給し続けてきた貢献は計り知れないのです。 住民の罵倒は『何とかして欲しい』という心の叫びの現れなのです。 その真意を受け止めるのです。 さすれば、心は和らぎ、心の底から何とかしてあげたいという気持ちに昇華します。 表面だけを捉えては自分の心が苛まれてしまいますから、住民の皆の真意を…どうか察してあげて下さい。 『責任をとる』という事は、『住民の心の声に応えること』と受け止めなさい。 つまり住民に希望を託されているのですから、これから誠意を持って住民のために自らの心も尽くすのです。

坊主は地獄に堕ちる

2011-04-20 | Other
坊さんは衆生を救う為、即身仏や即身成仏という荒行をされる。 私は思うのだ。 即身仏とは、自らの命を絶つ行為であり、それは決して仏に許されるものではない。 この世に生まれ落ちてより天寿を全うするまでが自然の理なのである。 しかし、自身の命を自身で決めるこの行為は自然の理に反し、人の『傲り』である。

しかし、わたしはこうも思うのだ。 傲るのは人の性。 その罪は真摯に受け止め、自らの命を絶つ事で『自ら地獄に堕ちよう』という行為が、即ち『即身仏』になる事なのであると。 そして、地獄に堕ちた後にも、地獄で苦しむ者達に救いの手を差し伸べるのだろう。 地獄に堕ちたら永遠に苦しみ続けなければならないのだろうか? 永遠に極楽浄土へと後生することはないのだろうか? 昔の坊主はそう考えて『即身仏』なる荒行をしたのだろう。 現在の坊主達はそれを理解し、昔の大僧正の考えを知るべきだと私は思う。 無知である事は人の性。 それに気づくことで新たな未知が切り開かれる。 『即身仏』は衆生も救い、地獄に落ちた者達も救う。 それが真の『即身仏』の意味である。

酒井雄哉殿の荒行は衆生を救うでしょう。 しかし、地獄に落ちた者達を救う事はできない。 いかにして地獄の亡者を救うか? 即身仏ではなくとも、また新たなる未知を切り開かれていかれることを…。

宗教は神への冒涜である

2011-04-14 | Other
『神』とは人それぞれの心の中に存在する。 その形は様々であり一箇として同じではない。 それを知らずして神の存在を語る偽りを教え広める宗教は、その存在自体が『神』への最大の冒涜であると悟りなさい。

この世の宗教は全て、仏教にしてもキリスト教にしても、その他様々な『宗教』と名のつく物は、ある一箇の人の神の姿であり、また、それは他人では全く意味のない神である。 それを信奉することなど自分自身の『神』への冒涜であり、まさに地獄に堕ちるだろう。 それを人々は知らなければ、心に平穏はない。

まやかしの心の平穏に安堵せず、自分自身の『神』を信じること。

それが、本来の『万物の理』である。


『天上天下 唯我独尊』

皆、この意味をきちんと理解しているならば、宗教などと言う団体は築かれないはずなのだが…。 人の弱さが小鳥の群れのような団体を作り上げているならば、それは本来の人間の弱さであり自然なことである。 しかし、それを克服したいと願い、心の平穏を願うならば群れていては悟りは開けないのです。

この世に一人として同じ人は存在しません。 皆が個性があり、人それぞれに悩みがあり、この憂き世を生きています。 心は弱くて良いのです。 皆が弱く、どんなエライ人であってもお金持ちであっても最高権力をもつ者でも、誰一人として心の強い者などいないのですから。 人は弱い。 ただそれだけが真実です。

その弱さを知り、そこから新たな芽を育むのです。 己の弱さを知る者こそ、既に真に強い心を持つ糧を得ているのですから。


『怒り・憎しみ・妬み・悲しみ』

そのどれもが人を懊悩させる。 一生、楽しく笑って生きていきたいと願う気持ちは誰の心にもある。 しかし、その4つの感情は現れる。

私はこう思うのです。

どんどん怒りなさい。
どんどん憎みなさい。
どんどん妬みなさい。
どんどん悲しみなさい。 と…。

愚かなる感情は隠せる物ではない。 また、消え去る物でもないのです。 『悪い気』は溜め込まずに吐き出し続けること。 己の器量を知りなさい。 溜め込みすぎて器量を超えて溢れだした『悪い気』はどこに行くのでしょう?

貴方の器を破壊しかねない状況にしないこと。 これが肝心なのです。 普段から、どんな些細なことでも良い。 負の感情はどんどん小まめに吐き出すことです。


最後に、宗教団体のトップとでも言いましょうか、『教えを広める者』に対して箴言があります。


「人として…傲りは己を苦しめる事になりましょう。
 神の代弁など各神への冒涜を神は決してお許しにはなりません。

 無に帰す前に…過ちを正すことで、
 貴方たちの教えは真に人々の心を救うでしょう」

地震を余所に世界は回る

2011-03-13 | Other
太平洋側は地震によりあちこち甚大な被害が出ている。 しかし、私は思うのです。 いくら多数の負傷者や死者が出ようとも依然世界は回っているのだと…。 自分の身にならなければ人は分かり得ないのだと言うことを。 今まででも凄惨な天災に見舞われてきた。 だが、その予期し得ない被害に関しては人の憶測することもかなわぬ未知の領域である。 今でも懸命に行方不明者の救助活動や被災者への援助活動が行われている。 家族と離ればなれになってしまい行方も知れず泣く人の姿をテレビで観ては、その都度心が痛むのだろう。 それが人の情であると私は知っている。

自分自身が生きるために人は地震を余所に仕事を続けるのだ。 泣き叫ぶ人の姿を見ても何も感じる事もなく、ただ自分自身の為だけに見向きもしないのだ。 それが人の醜さであることも私は知っている。

彼の地で起こる様々な出来事は全く無関係なことであると。 そうして明日をも知れぬ我が身を余所に興味深げにテレビを見つめる人々の憐れなこと。 そうすることしかできぬと自分自身を納得させるだけの木偶。 人は斯くも正直であり、それ故に正直なのである。


閑話休題。

未だ余震が続く中、皆、不安と緊張を解くことができずにいます。 震源地が近いことから宮城県や福島県は一番惨状であると。 一人でも多くの人達が助かって欲しいです。 家族の安否が不明という方の心労は如何ばかりか…眠ることもままならない状況。 あれだけの家屋の損壊と津波による被害の中、波にさらわれた人達も数多く。

憎きは天災。 自然の恩恵を受けて生活できているわけですが、その自然が牙をむいたときには人の力では、それを止める手立ては今のところはない。 しかし、将来に同じ惨事が起こらないように、自然を完全に人間の手によって支配する必要があります。 敵は地球です。 壮大な戦争になりますが、地球を中心まで支配しなければ永遠に惨事を防ぐことはかなわないでしょう。

「ゆとり世代」は親の代から

2011-02-15 | Other
現代の10~20代前半の若者達のことを「ゆとり世代」との発言がみられる。 しかし、「ゆとり世代」とはその親たちの世代が既に「ゆとり世代」である事に誰も気づいていないのではないだろうか? ニュースで「ゆとり世代」について話されるときには、若者達のことしか差していない。

戦後の荒廃した日本を高度経済成長時代に至るまで発展させてきた団塊の世代。 その団塊の世代が築き上げた豊かな日本で何の苦労もなく育ったベビーブーム世代が、まさに「ゆとり世代」なのです。 その、ゆとりの中で育った今の50代の人達の子供がまさに今の若者達ですから、ゆとりで育てられた人間の子供がゆとりに育たないわけないでしょう!!! ゆとり世代の50代の人間は昭和の一番景気の良かった時代をサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!と闊歩していたのですから、何を苦労の一つもしていないではないですか。 団塊の世代である自分達の親の背中を見て育ってきたはずなのに、それを何一つ糧としていない。 糧としないから、バブル崩壊になったのです。 糧としているならば、自分達の子供がなぜ「ゆとり世代」と呼ばれているのか? その事実を真摯に受け止めなければならないのです。

まさに政治家達も「ゆとり世代」の集まりではないですか。 日本の負債は900兆円超と日に日に増しています。 自分達のまいた種を10~20代の若者達に枷をはめる真似は言語道断!!! 良い時代を謳歌しまくり欲に目がくらんで日本をバブル崩壊に陥れたその罪は許すまじき悪行。 私は関係ないなどと責任逃れをするならば悪辣無比です。 「未来の子供達のために…」などとお為ごかしは見透かされています。 日に日に増える国民一人当たりの負債額をみれば、言っていることとやっていることが矛盾していて滑稽きわまりない。 能のない鷹は墜ちるのみ。 世代交代の時期がやってきたのではないでしょうか。 遊びしか知らない「ゆとり」のベビーブーム世代の人間に政治など行わせても全く意味がないのですから。 若者達は現実を冷静に見ており、無難な行動しかできないチャレンジ精神無き者達が多くなってしまった…。 日本の技術が発展しない要因がここにあるのです。

景気は良くなる。 それは能のある者達とチャレンジ精神旺盛な団塊世代のような者達がいてこそ為し得ることなのです。

涙袋

2011-02-12 | Other
目の下に涙袋があると優しそうな印象や可愛らしい印象に見えると言われていますが、私はそうは思いません。 目の下がぼこっと出ているのは、あまり印象が良くないです。 先天的な物であるなら仕方ないとしても、わざわざ可愛らしくなりたいからと涙袋を作る手術を受ける女性がいます。

人相学で言うと、涙袋がある人は異性から好かれる傾向にあるそうです。 決して悪い相ではないとの事ですが、これは大きな間違いです。 人相学を否定はしません。 ただ、それは加齢と共に変化するのです。

年をとると肌に張りが無くなり、顔全体が垂れ下がってきます。 その時に涙袋がある人は目の下に大きな半円のシワが浮き彫りになり袋が垂れ下がり、無い人と比べると目立ってしまうのです。 そうなると、欲深そうで陰険な感じになります。 若い内は涙袋にも張りがありぷくっとしていますが、年をとるにつれて見栄えが悪くなってくるので、40過ぎたら毎日の美顔ローラーでのお手入れは欠かせません。

トイレの神様

2011-02-08 | Other
これって、家族の大切さを伝えたいのかなと感じます。 この歌詞を聴いて、この女の人に激しい憤りを感じたり、呆れたりする人はたくさんいると思います。 でも、若いときは誰でも家族で喧嘩したり言い争いくらいはするでしょう。 それは必然であって、それがまた良い思い出になったりもするんです。 当時は、悪いことをしたとは思っていても、なかなか「ごめんなさい」という一言は言えないものです。 それは何歳になっても、今でも同じではないでしょうか。 生活している内に自然にまた普通に話せるようになる。 時間が解決してくれるんです。 ただ、それは『家族だから』できることなんですよね。

最後の方で、「良い孫じゃなかったのに」とか「恩返しもしてないのに」とか、ここに涙する人が多いのではないでしょうか。 もし涙するなら、自覚していなくても貴方の心の中に家族に対する大切な思いがあるからなんですよ。 別に家族が生きている間に恩返しをしなくても良いんです。 先人は子孫の貴方が今を、そしてこれからも幸せでいてくれるだけで、既にそれが恩返しになっているのですから。 子供や孫の幸せを願わないで育ててくれるなんてことはないです。 育ててくれたって事は、それは貴方に幸せになって欲しいと願っているからなんです。 だから、貴方は育ててくれた両親や祖父母のために、今も、これからも幸せに生きていって欲しい…。