(´・ω・`)ショボーン

いろいろと…

解離性同一性障害

2021-10-14 | Other
多重人格と言われるような、所謂、精神病なわけだが、過去の精神的な過度のストレスで自己防衛で自然に別人格が形成されるらしい。ただ、こういうのって自分が別人格に入れ替わりたいときに自由に入れ替わることができるのはおかしい気がする。ストレスによって防衛本能で入れ替わるのなら、発症した時と同じような環境、シーン、ストレスを感じない限り、その人格に切り替わる可能性は著しく低いと思うのだ。その時のことを思い出すだけで切り替えられるというのもあるかもしれないが。

普通と思われている人でも喜怒哀楽の感情があり、それぞれは全く違う表情、性質、考え方になるのだから。また、殺人においても、「普段はまじめな人ですよ。あの人がそんな事する人だなんて想像できません」みたいなインタビューを目にするが、普段はそんなイメージはなく、過度のストレスにより殺人鬼へと変貌するわけだ。こんなん日常茶飯事ニュースで見られる光景。ある意味、解離性同一性障害というものは特別に存在するものではなく、誰でも解離性同一性障害なのだと言える。解離性同一性障害と診断された人は、重度の頻度が多く、その記憶が飛ぶという点だけだろう。記憶を失うというのは人間の危機的状況における自己防衛機能であり、その機会があれば誰でもなる。例えば軽い症状であれば、皆が経験している嫌なことを思い出すと頭が痛くなるというものだ。頭が痛くなり続ければどうなるか?脳が熱を帯び、人体に障害を与える為、自然に自己防衛機能で熱を冷ますような機能が働く。簡単な例では忘れようとするように感情が動くとか、重くなれば失神して強制的に熱を冷ますなどだ。

別人格が脳内に複数存在するならば、知能テストやIQテストをすれば重度は判るはずだ。同じ脳でも人格が違えば、脳の処理機能は違うはずなのだから。例えば、暗記する能力の違い、計算する能力の違い、興味関心ごとの違いなど。人間は一人として性格、能力、趣味趣向の同じ人はいない。別人格でもそれは当てはまるはずだ。

そもそも人格と言う概念が一人の人間に1つしかないと思うのが間違い。誰でも多重人格者です。怒っているときのあなたを想像してごらんなさい。平時とは全く別人ですよね。人格が一つならば喜怒哀楽なんて存在しません。いつでも平時のままです。人格には感情が大きくかかわっている。感情が強く強く現れた時ほど、人は別人格へと変貌するのです。感受性が豊か、感化されやすいなど、感情に変化がおきやすい人ほど解離性同一性障害になりやすい。同じ境遇の人でもならない人はならないですからね。程度に差はあれど虐待されて育った人でもならない人はならない。でも、なる人はなる。その違いは感情の変化レベルの差。逆説的に考えれば、何があっても感情を一定に保つことができれば、解離性同一性障害になる可能性を回避できるということです。と言っても、感情の変化レベル差や環境差は違うので、理論通りにできることではないですが。一番大事なのは自分は解離性同一性障害で周りとは違うなんて思わずに普通に過ごすことでしょうかね。だって、程度の差はあれ、全人類が多重人格者であり、自分だけ特別なものではないのだから。周りの人たちもそういう疾患と診断されている人を特別な目で見ずに、普通に接することです。だって、その人が特別ではなく自分自身も多重人格者なのだから。また、解離性同一性障害と診断する事は特別な存在だと縛り付ける行為で、よくないと思いますよ。自分は病気なんだって安心させる意味で決定づけてるなら大きな間違いです。それがより悪化させてる行為だから、誰一人として治り難くなってるんですよ。病気じゃないわけではないし、そこらへんのフォローもされているお医者さんもいるかもしれませんが、精神疾患において病気名つけるのやめましょう。精神疾患者にそう認識させると、薬に頼り続けたり、精神的に強くなろうとする気を失う人のほうが圧倒的に多いですから。