音楽室へ行くと、マンドリンとギターが用意されており、確か座っている場所によって、楽器は振り分けられた。
たまたま私の列はマンドリンだった。小さなピックで弦を上下に弾くトレモロ奏法は嫌いでは無かったけれど、ギターの方が何だか優雅に見えた。
学校では弾くことができなかったギターを私は父にねだった。
程なくして父はガット・ギターを抱えて帰ってきた。値段はその当時5,000円位だったと父から聞いたように記憶している。
私は初心者用のギター教本を買い、コードを覚え、「ドナ・ドナ」や「グリーンスリーブス」等を弾き語りしたり、「禁じられた遊び」の冒頭部分を覚えては、一人悦に入っていた。
高校生になってからはギターを弾いた記憶がないから、私のギター熱は中学生で終わった様だ。熱しやすく冷めやすい、実に私らしいエピソードだと我ながら思う。
何度か引っ越しをしたが、ギターは処分する時期も逸し、ずっと我が家の押入れの中で眠っていた。
娘が高校生の時にギターが欲しいと言い出した時は、「私のギターがあるよ!」と、かつて私が使っていたギターを、押し入れから引っ張り出した。古いギターだったけれど、まだきれいだったし、十分使えるギターだ。
しかし娘は「そのギターではダメだ」と言う。古いから嫌なのかなと思い、それではとPCの通販で一万円ほどでカバーを含め一式揃うギターを見つけてモニターを見せたが、それもダメだという。
結局、娘と二人で楽器店に足を運び、娘の先輩が勧めるアコースティックギターを一式買う事になった。値段は35,000円を軽く超え躊躇したが、渋々購入した。
私のギターはいわゆるクラシックギターで娘のギターとは種類が違う。
初めて娘のギターの音色を聞いた時は、その響きの違いに驚いた。なんとも美しく、胸に響く音だった。
高校、大学と娘はギターを背中に背負ってよく出かけた。小さな体がギターに隠れそうな姿が今も目に浮かぶ。
高価なギターを娘は目一杯活用してくれた。
翻って私のギターは、50年以上誰に扱われること無く押し入れだ。このまま使われずに置いておくよりも、欲しい人に譲ってしまおうかと、フリマに出品する事を考えた。
真っ先に検索したのは、「ギターの梱包方法」だ。
動画で確認したら、手順は先ず弦を緩め、エアキャップ(ブチブチ)で全体を覆い、大きな箱に入れ、ヘッドを固定して完了。見ていたら簡単で、自分でも出来そうな気がした。丁度大きな段ボール箱も2個あった。
少し前にバドミントンのラケット3本を梱包した事も自信に繋がった。きっと梱包出来る、そう思って早速フリマに出品してみたのだった。
フリマの相場の値段を調べてみると、私と同じ型のギターが何本か上がっており、結構高めに値段設定がされていた。一応他の出品者よりも低めに設定したのだが、値引き交渉を想定して5,500円にした。
「お前も悪よの〜越後屋」と言う声が聞こえそうだ。購入してから半世紀以上も経過したギターに、父が払った位の値段を付けたのだから。
出品したものの、梱包の事を考えるとやっぱり少々不安だった。このまま売れなければ良いなとさえ思った。
そんなことを考える一方で、結局少しずつ売値を下げ、4,000円代半ばまで下げ続けたところ、売れた。「売れてしまった」と言うのがその時の正直な感情だった。父から買ってもらった思い出のギターを売ってしまったという少し寂しい思い。だからといって、持っていても弾かないのだから意味は無いのだ、と自分に言い聞かせた。更に、過去最大の大物の梱包をちゃんと出来るのか?という不安。とにかく売れたからにはやるっきゃない!
改めてフリマでギターの梱包に付いて確認してみると、「ギター専用の段ボール箱を使わないと破損の恐れがある」と記載があった。
つい少し前に梱包で大失敗した取り引きが頭をよぎり、気弱になったが、実際には多くの人が段ボールを加工してギターを梱包している。やってみよう。今度こそちゃんとお届け出来るよう頑張ろう。朝10時から、梱包に取り掛かった。
動画では数分で終わっていたギターの梱包。私の場合はギターに合わせた箱を作り、補強する作業があった。箱が潰れないようギターの周囲を段ボールでギター型に囲ったりと、手間もかかった。途中でクラフトテープが無くなって買いに行ったり、手際の悪さもあって、結局トータル3時間以上を要して梱包が完了した。私はヘトヘトだった。狭い我が家の床で行った作業は、ギターの“巨大さ”をつくづく感じさせられた。
ともかくコンビニへ、フラフラになりながら発送のための持ち込みをし、割れ物のシールも貼ってもらった。
発送をしてから先方へ届くまで、どうか無事に届く様に祈りながら、ドキドキしながら待つこと数日。無事に届いたと知り、心底ホッとしたのだった。
“人生最大の梱包”(大げさ)は、これを最初で最後にしよう。
発送した翌日から、数日間、太ももの筋肉が痛かった。激しい運動もしていないのに不思議だった。考えてみたら、床で行っていたギターの梱包が、立ったりしゃがんだりと、結果的にスクワット運動みたいな事になっていたかららしい。
今頃は購入者の方によって、あのギターは50数年ぶりに、美しい音色を響かせているだろうか。
それにしても、楽器は長生きだ。名品ストラディバリウスは何百年も人手に渡りながら、その魅惑的な音色を現代に響かせている。
私のギターも、私がこの世を去っても、誰かの手によって、音色を響かせ続けるのだろうか。そう考えると、ギターを手放して、心から良かったなあと思う。