時間を拘束されない日々を、やっとすんなりと心地よいと思えるようになった。
働く人々の最前線から離脱した直後は、もうかつての様に参戦できない自分に一抹の寂しさを感じていたのだが、物事は考え方一つでずいぶんと変わる。
今は、忙しく立ち働く人々を遠目に見ながら、季節の移ろいを細やかに感じ、草花をじっくり観察したり、昆虫の間に起きている小さな事件を、時間を気にせず眺めたりすることが出来る。そんな豊かな時間を持てることのありがたさを、つくづく感じている。
最近特に、心からホントに良かったなあと、事あるごとに思う瞬間がある。それは…
「出物腫れ物所嫌わず」と言うことわざがある。腫れ物は横へ置いておいて、“出物”の件である。
出物といえば、思い出すのは父である。子供の頃、父の豪快な放屁をしばしば耳にしていた。その度に、母と二人で「いや~」と声をそろえて言ったものだった。
所嫌わずの出物だが、家庭を除く場所では、大勢人が居るのに、ほぼ出物の音を耳にした事が無い。
人は、社会の中では、皆、出物を密かに音が出ないようにコントロールしているのだ。きっと、父も自宅で放つような音は、職場では控えたはずだ。
10月。この時期、乙女たちの好物、さつま芋や栗がおいしい。食すと、腸が活発に動き出し、お腹が張る事がある。そのコントロールには巧みな技が必要になるのだ。
私もそのコントロールを苦慮してきた内の一人だが、そんな時のくしゃみは用心しなければいけない。くしゃみと共に下腹に力が入り、うっかり出物が同時に音をたてる事もある。
実際、職場で、くしゃみの音に出物の音がかき消され、救われた事も幾度かあった。
教訓、くしゃみは盛大にせよ。例の音をかき消すほどに!
退職をしてからというもの、この出物のコントロールから解放された事が、大きな喜びだと感じる。
今では、すっかり緊張のカケラも無い日常になり、身も心もゆったりと、ノンストレスで放出。職場では気が気でなかった事が、今では自由に出来るのだ。
流石に夫の前では、そんなはしたない事はしないが。
「思い切り出来ることの幸せ」
この幸せを“事あるごと”にかみしめている秋である。