学生時代、キャンプ場や研修旅行などで食事が終わり、くつろぎタイムになると、自ずと小さなグループができあがる。
その中に一人くらいは必ず“語り部”がいて、皆の注意を引きつけては雰囲気たっぷりに語りはじめる。
やがて頃合いを見計らっては突然、「犯人は…」
おまえだー
と叫んで驚かされた経験はないだろうか。
キャーという女子の悲鳴から爆笑に変わり、場がおさまった頃に、「実はさ、信じられないかもしれないけどね…」と、リアルな怖い話が始まる時もあった。
私は20代の頃まで、霊的な体験は全く無かった。
よく周りから「20歳までに霊を目にすることが無ければ、一生見無いんだって亅と色々な人が、同じ様に言っていたので、安心していた。
30代に入り、それまで札幌に住んでいた私は、夫の仕事の都合で一時的に滝川に引っ越すことになった。
滝川は札幌からおよそ93キロ程北にある小都市である。当時は西友の大型店がオープンしたばかりで、私にとってはそこが唯一の娯楽施設の様な、田舎町だった。
(1987年頃の事なので“田舎町”表現、お許しください)
引っ越して間もない頃、かねてより入院中だった夫の父方の祖母が亡くなった。
小さなアパートの一室にご遺体が安置され、ご近所のお年寄り達が弔問に訪れていた。
思い出話などが出る中、聞くとはなしに聞いていると、その内の一人のお爺さんが「昨日、ばあさんが家に挨拶に来てたよ」と真顔で言うと、もう一人のお婆さんも「あー、来た来た。うちにも」と、ごく自然に死者の霊が、自宅にやって来た事を話すので、ちょっとビックリした。
私はそれを聞きながら、信じるわけでも信じないわけでもなく、どう捉えて良いかもわからず、結局聞き流した。
お葬式も終わり、ひと月は経った頃だろうか。
早朝、夫の出社を見送り、当時専業主婦であった私はもうひと眠りしようと布団に潜り込んだ。
直ぐに眠りに落ち、ふと目が覚めたとき、時計を確認すると午前7時5分前を指していた。
「もう少し寝ていようかな亅と思って目をつぶった瞬間、「失礼します」と言う女の“声”が聞こえた。
“声”と言っても、耳から入ってくる声というよりは、テレパシーの様な感じ。声なき声が頭の中に入って来たという感覚に近かった。
「あれっ、何だろう」と思った次の瞬間、ビュッとまるで風を切るような音が聞こえ、その直後、まるで布団の上からギューッと押さえつけられるような圧迫感があった。
「まさか」と思った。
私は横向きに寝ていたのだが、 押さえつけられるようなその感覚は、誰かに触れられているわけでもなく、不快な圧迫感なのである。
ふっと圧迫が無くなると、またビュッという音がして、また圧迫感が生じるということが何度も繰り返された。
その時私は、その得体の知れない“モノ”が怖くて、容易に動く事は出来なかった。
もしかすると、ガバっと布団をはぐって起き上がれば、何事もなく終わったかも知れない。
でも、私はただ耐えていた。
そのうち、私はいわれなきこのような攻撃?に対して、だんだんと腹が立ってきた。
一体何時まで続けるのか。
それで、何とか対抗する手立てはないかと身じろぎもせず考え、お経はどうだろうかと思った。
私が知っているお経と言えば、「南無阿弥陀仏亅だけである。
必死に心のなかで唱えてみた。
ところが一向に効き目がなく、止める気配が無い。
その他に何かないかと思い巡らし、「悪霊退散」を思いつき、再び必死で心のなかで唱えてみた。すると、「えっ、じゃあ…」という声が聞こえた途端、パッタリと行為が止んだのである。
不快な行為はおさまったものの、私は“何か”を目にするのが怖くて、しばらく目を開けることが出来なかった。
しかし、やがて完全に何もいなくなったと感じられたので、思い切って目を開けてすぐさま時計を見た。
午前7時5分だった。10分間の出来事。夢じゃない。絶対に夢じゃ無かった。
私は直ぐに起き上がって、ノートに今あった体験を事細かに書き留めた。
それにしても、幕切れ間際の「えっ、じゃあ」は、まるでうっかり間違ってしまったというようなニュアンスだった。
だんだん腹立たしさが募る。
一体あれは何だったのか。朝っぱらから出るとか。夜じゃないんかい。と、突っ込んだ後で、夜だったらなおさらの事、恐ろしかったなと思う。
わかった事は「悪霊退散」が最も有効だったと言う事実。
「南無阿弥陀仏」はこういった場合、お門違いのものだった。
調べたら、“宗教への帰依を表して唱える語”なのだそうだ。
よく聞く霊体験で、「布団の上をお婆さんがドスンドスンと飛び跳ねる」という現象によく似ている。大抵の場合夜だが。
私の場合、お婆さんでは無かった。もう少し若い。声(の様なもの)の感じから判断すると、50代位の女性の声だった。
礼儀正しく「失礼します」で始めながら誤りもせずに「えっ、じゃあ」はないんじゃないかなー。まあ、ありがちな事ではあるけど。驚きで、謝ることを忘れるというのはね。特におばさん。
その後、このいわれなき仕打ちに対して私の怒りは増幅し、一時は夜布団に入るたび「さあ、かかってきなさい」と心の中で呼びかけ、霊と対決する気満々だった。しかし、その後は呼んでも二度とやって来る事は無かった。
私は後にも先にも霊体験と言えるものはこれ以外に無い。
かつて聞いた「20歳までに霊を見なければ一生見る事は無い」…確かに見ていないけどね。
体験はあるんだ。ね。