通常はあまり無い出来事だと、誰かに知らせたくなるのだが、この話は誰しもが楽しめる話ではなく、むしろ不快な話なので語る事を随分躊躇してきた。でも、不快と感じる出来事を、表現に注意しながらお伝えしたい。
お食事中には読まないで下さい。
それは一昨年の初夏あたりであったと思う。清々しい朝だった。ジョギングに出た時の事なので、恐らく土曜日だった。
家から出て間もなくのこと、ひと気のない歩道上の前方に“ひとかたまり”何かある。学校のグランドを囲ってあるフェンスの下に当たるコンクリートの壁際。
走るに従い近づき、ほぼ通り過ぎる頃に何であるかはっきりと認識し「うわっ!」と思ったのだった。
その一塊は、犬や猫の“もの”の何倍もの量であることから、動物のもので無いことは明らかだった。
通常は人の腸の中に収まっているもので、自分以外の人の目に触れることの無いもの。各人の家の然るべき場所で排泄され、大量の水で下水道に流されるべきものであった。
そんな物を朝から目にして嫌な気分になったが、なぜあのようなものがあの場所にあるのか。当然疑問が湧く。
よく消化された“それ”は、とぐろ状の形をなし、1キログラム以上はあるのでは無いかと思われるほどのものだった。持ち主の腸内環境は良好で、胃腸が丈夫な健康な人であろうことが想像された。
まだそう時間は経っていない様子で、乾燥もしていない。したてホヤホヤの様子さえする。
思わず元持ち主の人物像について、あれこれ想像される。
あの量からいって、早朝散歩の老人と言うことは考えづらい。恐らくランニング中にもよおした、3~40代の男性のものなのでは無いかと思う。
前日は金曜日。同僚と焼肉食べ放題なんかでたっぷりと胃袋を満たしたのに違いない。あの量だもの。
ガタイの良いスポーツマンタイプではないだろうか。ストイックに休みの日には、ランニングを欠かさない人。走り出したところで急にもよおし、やむにやまれずあの場所に…。大胆である。いくら何でも交通量の多い公道に面した、何の囲いも無い歩道上にしてしまうとは…。
恐らくその人の体勢は、学校のフェンス側へお尻を向け、公道に顔を向けての大胆なポーズだったのではないだろうか。公道を睨みながらの脱糞とは…。面は割れるが、大事な所は、取り敢えず隠れる。
緊急事態になかなか良く考えられた体勢だとも思う。緊急事態に判断力のある、もしかしたら頭の良い人かも知れない。
しかしながら、やってはいけない事に変わりはない。
その場に紙類は無かった。あの完璧な状態の内容物なら、拭く必要も無かったのだろう。
誰しも不意の便意はある。
腹痛が周期的に襲ってくるのは、まるで陣痛(実際の陣痛はこんなものじゃ済まないが…)。でもみんな大抵は、何とか我慢して然るべき所へたどり着くのじゃ無いだろうか。
私が小学生だった60年ほど前は、そこら中に草むらがあり、時折お婆さんが道端で用を足している事もあった。私も幼児の頃「おしっこ!」と父に出先で訴えて、緊急時にはやはり草むらで用を足した事もあった。
しかし、大の大人があの場所に置き土産とは情けない。
数日あの場所に鎮座していたが、程なく片付けられた。
歩道上の汚物の清掃は、基本地域住民の協力が求められるのが一般的だというから、ご町内の方が片付けられたのだろうか。犬や猫のものならまだしも、大変ご苦労な事でした。
この話が誰かの役に立つことも無いとは思うけれども、こんな珍事があり、何となく人物像を考察してみた。
ビロウな話で大変失礼致しました。