ある人は、わたしのにをいがけ報告をきくと、
楽しそうだって言う。自分もそういうにをいがけがしたいって言ってくれる。
知らない人とそんなふうに和やかに、話がしたいって言う。
わたしは、嬉しくないし、そうかなーって思う。
甘いよなーって思う。
人との出会いがあって、会話で心がつながって、、、そんなにをいがけが
できても、その人にために自分がなにが出来たのか、
分らないからだ。神様の話をしっかり聞いてくれたわけでもなく、
身の内話をじっくり聞かせてもらえたわけでもなく、
少しの時間をともに楽しく過ごせただけで、
今、分かれたら、もう会うこともないかもしれないのだ。
それでもいいと思っていたこともあったし、
そう思うことも今でもあるけど、プロのようぼくなんだから
もっとしっかりと、おみちを知ってもらいたいし、
教会へきてほしいし、助かるためにはおぢばへ帰っていただきたいと思う。
そう導けるお手伝いをさせてもらいたい。
本当の助かりは、おぢばへ帰って頂いてからこそ。
その足がかりになることを自分が出来てないんじゃないかなって。
ちっぽけな自分だから。
どんなこと考えても思っても、歩いたからこそ分ることなのだから
それはそれで、素晴らしいんだと分っているんだよな。
そうはいっても
やっぱおぢばへひとりも多く、お帰りいただきたいっすよね。
そういう人、見つけたいー。
最近、というか毎日、親を喜べなくて苦労しています。兎に角ギャンブル好きで、その為の弊害が多い。
そういう親に対しての苦労をにをいがけおたすけの力というかに出来たらいいのでしょうね。
でも、親に喜べないと心のどこかに穴が空いたようで
にをいがけをしてても、
助かっている自分なんだと思えなかったり
親孝行の教えなのに、自分はなにをやっているんだろうって落ち込みがちになるよ。
おみちを素晴らしく思う気持ちが
どこかへ行ってしまう気がします、私はです。
おたすけ人さんから見たら、
私の理の親は素晴らしい親です。
きっと親に甘えることができない性分なのかな。
実家の親にも甘えてこなかったように思います。育ちからくるのかなーーー。