昨日は歩き初めから足が痛かった。にをいがけに行くっていうのに
行って帰ってきたような状態に不安がよぎる。
前日の足の疲れが取れていない・・・・・・・・・・。
どこが痛いって足首の上(弁慶の泣き所)が痛い。夕べシップを貼ったところ。
ちょうどこどもおぢばがえり(KOG)の初日の朝かならず痛くなる場所だ。
懐かしい一年ぶりの痛みだ。
KOGでは写真ひのきしんだから。
家から歩いたには違いないけど、
駅が近いので一駅下って降りて、歩いて戻りながらにをいがけをさせて
いただくことにした。自分がどうやったらやる気になるのか考えることも
大事なのではないか、、、、、自分で考えることがミソ(?)。。
そんなにやる気がなくてもだんだんと意欲がわいてくる、、、ものだ。
一駅下った駅で降りて、しばし戸別訪問をしていた。
踏み切りをわたり、駅向こうへ移動をして行ったら車が出たり入ったりの家があった。
そこはとばして、その隣の家をピンポンしたらさっきの車の運転の方が
『なんか用ですか?』と。自分の家らしいかった。
天理教の布教活動をしているyoshiですと言うと、自分の実家は財産すべてを父親の後妻にだましとられてしまって、なにもなくなった、という話をしだしてくれた。後妻さんというのが天理教の教会の奥さんだった方らしかった。昔は信仰熱心の方が財産家の畑もお供えしてしまって家族は本当に生活が苦しくって大変だったという話を聞くけど、今はそんなことはないと思っていた。
嫌な気持ちにさせてしまって、、、、、と謝られたけど平気だった。
その方は当時は子供。あとになってから周りの大人から色んな事を聞かされたんだろうなって思わせていただく。
その方の恨み事を聞かせていただくのも今日の私の仕事だったと思うと共に、
「貧に落ちきる・・・・・・・おやさまじゃん」って。
後妻さんがやったことっておやさまのひながただよね、と。
私が聞かせていただいた内容をシンプルに考えるとそうなるのではないか。
なぜこのような方に会わせてくださったのか。
日常的にもっとおやさまを感じさせてもらって通りなさいってことかと。
おやさまをわすれてませんか、と。
上級の会長様がおっしゃっていた。
どんな災害の中にも親神様のご守護はきっとあるはずです、と。
家族にとっては鬼のような最悪な後妻さんだったとはいっても、楽しい日、嬉しい日、他にも良かったことはあったのではないか、、、そういう部分は語られていかないのはなぜですかね。
こういうお道のひどい話を聞かせてもらっても、きっと何か誤解があったんだよ、と思ってしまうのだけど、このあとしばらくやる気はダウンしてしまった。
コレじゃいかんと思って気持ちを奮い立たせた。
出会った方で深い部分で感じさせていただいたり
自分のなかの引き出しを増やしていける。そんなかには話のタネを
一つ一つしまっておいて、いつでも蒔けるようにしておくんだよね。
時々確認しないと自分の持っているものを忘れてしまう。
今日もありがとうございました。
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