拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  観『時』在・菩薩

2023年07月13日 | 東洋自分なり研究所

  今朝たまたま眼にした、アバタローさんというYoutuber  本紹介動画ミヒャエル・エンデ著『モモ』の解説の最中、『時間の華』・・・という言葉に

  私はハッとして、私のアレは『観"時"在』菩薩であったかのか・・・と気がついた。

 

  アレ・・・というのは、私の坐禅初体験の感想のことであるが、これまで何度かブログに書いてきた。

  2010年7月22日のブログ記事〜禅修行〈キントン雲でぶっとばせ〉

  2023年2月9日のブログ記事〜般若の智慧

  2023年3月24日のブログ記事〜『坐』型UFOの行方

  

  私はじつはあの初坐禅で悟っていたのだと思う。・・・ただ、『不二落ち』なかっただけであり、『大疑』に目覚めた瞬間ではあった。

  だから、何だかわけのわからん『禅修行』に耐えることができたのだと思う。

  

  私は修行によって『観世音』に行き着いたが、その働きの面である『観自在』にもしつこくこだわり続けてきて

  『漢字在』だの『観"自在"』だのと遊戲してきたが、私の禅の根本には『観"時"在』・・・が最初にあったのではないかとあらためて思った次第。

  当時私は、三法印つまり、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静…などという言葉(仏教根本原理)もしらない若僧であったが、

  最初の坐禅で諸行無常である『時間』を疑った・・・それが基で禅門を叩いたという経緯を思えば、私はまさに『観時在』菩薩であった。

 

            

             昔の禅僧も、モモの物語も同じことを言っている、『時間を使って、時間に使われるな!』・・・と。

 

 

 



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