拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『空』読

2023年06月22日 | 東洋自分なり研究所

  『空気を読む』国、日本からやって来た爺さんから見ると、ヨーロッパ人に対して『ちっとあ空気読めよ、アホンダラ・・・』と思う場面は確かに多い。

  反面、個人主義に徹して他人を気にかけなくていい『気楽さ』という長所もあるが、その割に家に招待された際、茶にするかコーヒーか、

  水はガス入りか、ガス無しか・・・と、どうでもいいような事に決断を迫られる事に初めは驚いたが、そういった事にもすっかり慣れた今日此頃。

 

  日本人が言うところの『空気を読む』とは、その場の気配を感得して対処する・・・というような意味であると思うが

  それって『人間』にとって何も特別なことではなく、 万国共通、生まれたての赤ん坊すら感得、習得しようと無意識ながらに必死だ。

 

  ただ日本の場合は単一民族で狭いところに人口密度が高いせいか? 他の人に対する『気配り』する『空気読』が高度に発展した・・・?

  そうした理由も確かにあるであろうが、4世紀には『漢字』という文字と共に入ってきた『仏教』・・・その深奥に『空』という崇高な境地をひかえ

  13世紀には中国から禅僧を迎え、その『空』の般若智による本格的『解読』を国是として掲げた・・・あたりから、『空気から空』へと『読解』の

  次元を深める文化へと成長させた・・・という経緯がある。(かもしれない、という馬骨論)

 

  今、日本ではこの『空気を読む』能力が、個性を失わせる原因であるかのような風潮として捉える向きもあるようであるが

  それは間違いであって、特に若いうちは大いに場数を踏んで徹底的に『空気を読む』修行をすべきであると私は考える。

  ただ、『空気を読む』さいに自我を主語として読んでいる内は、自他をして幸福に導かないと気付いた時

  無我となって『空』を読めばよい。

  

  だいたい、『道』の修行は『空気を読む』処から始まって、『空』を読み解く処まで師の世話になり、あとは各自、随所に主となって深めて行くものだろう。

  万国の外国人が日本にきて『気持ちが良い』のは、人間本来の『空読』の文化が徹底しているからにほかならない。

  観音様の『半眼』の眼は『観音』でもあるし、『空読』の態ともいえる。

              

  

  



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