拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  考えるな、観じろ!

2023年01月03日 | 東洋自分なり研究所

  2023年、私の正月は、春から縁起がいい!・・・と思えるのは、『観』が自分の中で深まった観がしたからで、

  昨年暮れに、自分の作品の中にこの写真を見つけ、正月にアップしようかと準備していたところ

      

  自分の心境を詠った短歌には『鷺』が多いことに気が付いた。

            

  この作品 ↑ が私が最初に『鷺』を詠ったもので、鷺が微動もしない・・・ところに大変惹かれたようだ。

  その後    

  など、何故か『鷺』の姿に魅せられ、拙いながらもその姿を借りて、心境を短歌にして詠んでいることに気付いた時

  何の気なしに、『観』の字の解字をみると『観』の字の左側の字は、

  『目の周囲の赤いコウノトリの象形で、目を大きくひらいてよく見る…の意味』(大辞泉)・・・とあり、さらに検索していると

  同Gooブログで『漢字の音符』という『解字』に特化したブログに出会い、その方の調べによると、梟(ふくろう)がモデルになっていた。

  まぁ、そこから敷衍した馬骨流解釈すれば、まさにじっと観察する風体の『鳥』であれば、何の鳥であってもいいわけで

  そういう意味では、私にとっての『観』は『鷺』由来で、坐禅を修行してきた者としては、じっと『止観』しているレマン湖の『鷺』に

  共感を覚えるのも自然なことに思え、この『観』にこそ東洋思想の真髄を、たとえヨーロッパにあっても観てしまう馬骨がいるのだ。

 

  そう思って自分のブログを調べてみると 2020年11月24日のブログ記事『魂の郷愁』があって、ブログに使った写真は2017年に日本へ旅行

  した時、金沢で見かけた河でじっとしている『鷺』が写っていた。

  その下のキャプションで私は、『考えるな、感じろ!』は 『観じろ!』への昇華の必要を予告していた・・・のが面白い。

  

  今日あらためて『観』=『鷺』の心境を詠んでみる

     

        『観』の字の 字源の如く 鷺不動  何を観るやら 知る人ぞなし ・・・ 馬骨



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