拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 ぶっ飛んだ『死生観』〜その2

2024年06月02日 | 東洋自分なり研究所

  禅というのは、基本的に『人をして黙らせる』・・・ものだなぁ…と思う今日此頃、ふと『死人に口なし』という書かんとする事とは

  まったく関係ないセリフが口元にのぼってきた。 いかれたChat-GPT如き、我が愚脳のいたずらか、笑わせる・・・。

 

  釈尊、ご存命の頃『死んだ後はどうなるんでしょうか?』というような質問には、『黙した』ということで『無記』といわれているが

  ある意味、相手を『黙らせた』とも言えるわけで、このへんからして釈尊の死後千年、禅仏教の祖師『達磨(ダルマ)』さんが出現して

  禅問答なる『公案』を用いる禅の興隆があり、現日本文化に多大なる影響を与えている・・・ことを思った時

  『仏教』なるものも、時代に伴って大きく進化(深化)を成しているのだなぁ・・・と私はしきりに感心。

 

  なかでも『父母未生以前のお前はどこにいた?』というような公案には驚愕した・・・というような事を以前に書いたのが

   2021年8月20日のブログ記事〜ぶっ飛んだ死生観

  この奇妙奇天烈な公案を鈴木大拙の本に紹介されていたのを読んだときには、多分自分の中で何かが『ぶっ飛んだ』気がしたが

  もともと寡黙な私をしっかり『黙らせた』公案であった。

 

  正直、私はこれまで『死後』のことについて思い悩むということはなかったので、その問題に思い悩む以前にこのぶっ飛んだ公案

  『父母未生以前』に出会ったのは幸運であったかもしれない。

  私はこの公案にじっくり取り組んだわけでもなく、時折禅書を読んでいると出会うと、ビックリさせられるという間柄であるが

  この公案が私の『死生観』に影響を与えたことは確実であり、こんな事を後世まで言い伝えてきた『禅』に有難い、と思うのだ。

 

        

          先週木曜、我々の大好きな彫刻家の奥さんのピアノコンサートへ (ジュネーブにて)

          〜 主に19世紀の女性作曲家のピアノ曲、5人の曲が地下室に響いた。無名の女性たちの温かい音色に耳を傾ける…

 



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