拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  小さな土俵

2023年01月13日 | 還暦録

  年頭にあたり、私の経験から若い人にできる話・・・ということを考えた時、例えてみれば『土俵』の話はできるだろうか。

 

  私の言う『土俵』とは、常に初心者から始めなければならない『場』を意味し、数年前に自分の『還暦録』のために

  これまでやってきた職歴(バイトも含めた)を数えてみると『21の職種』を数えた。

  自分的には50ぐらいは・・・と思っていたが、以外に少なくて驚いた。

  それは多分、職種は『21』でも北海道から東京、神戸、大阪、ニューヨーク、スイス・・・と『場所』を変えていたので

  自分としては、職種という『土俵』に土地柄という『土俵』が加わり、沢山の『土俵』を踏んだ気分になっていたのだと思う。

 

  思えば、私は生まれてから一歳になるまで、『7軒の里親を渡り歩いた』・・・と、7軒目に養母となった母から生前

  聞かされたが(夜泣きが凄く、誰も長続きしなかったそうだ)それが事実だとすれば、私は『土俵を渡り歩く』星の下に

  生まれたような者であったのかもしれない。

  その意味では、私は他の子供のように、木に根が生えたような絶対的な『土俵』の上にいるという気持ちには

  ならなかったのであろう。

  

  いろいろな『土俵』をいくつか経験すると、人間関係というものはどこへ行っても同じであると、痛感した。

  どこにも嫌な奴もいれば、良い人もいる・・・と。

  そういった経験の中で、腐敗物があると、金蝿がよってくる…という自然法則が、人間の心や社会にもあって

  凛とした清淨な質を持たない者には『金蝿』が寄ってくる…という事情も、世界中どこへ行っても同じであると良く解った。

 

  ただ、『人金蝿』は人に『清淨心』のある事を気付かせる重要な役割も果たしているのかもしれないが・・・。

 

  私が『悟り』を『郷里・サトリ』と読み替えるのも、『土俵』というとっかえひっかえできる『場』ではない

  本当の拠り所としての『郷里』を無意識にも求めていたからであろうか。

        

            『 我々の 東湖畔の 初散歩 風が起これば 波やや高し 』一撮

 

  

  

  

  



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