拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『観音』 への旅立ち

2023年01月09日 | 東洋自分なり研究所

  先週の2泊3日パリ旅行での最大の収穫は、坂本龍一氏の自伝『音楽は自由にする』購入であった事を読了して思った。

  (面白いことに、読了して携帯を見ると、偶然にも坂本氏の自伝続編を知らせる情報が表示されていた・・・)

 

  坂本龍一という人は、私が出逢った『唯一の有名人』…であり、1952年生まれの同世代人ということもあって

  ニュースなど(特に福島原発事故後)時折見聞する彼の動向には無意識ながらも常に関心を持っていた。

 

  じつは1984年、小学館が発行する『写楽』という写真雑誌のコンテストで私は『坂本龍一賞』を受賞し、

  授賞式の際に、一言二言彼と言葉を交わした・・・ということがあった。

  その前年1983年に映画『戦場のメリークリスマス』がカンヌ映画祭に出品され、彼は彼の音楽と共に俳優としても

  一躍有名人となり脚光をあびていた時期であったが、その後の活躍ぶりはこの自伝の年譜にびっしりと書き込まれている

  活動内容を見ることで私はあらためて驚嘆し、当時彼にちょっぴりライバル意識を持っていた自分を愛おしく思うばかり。

 

  彼の57歳までを綴った自伝『音楽は自由にする』を読んで、同じ1952年に生を受けた者同士という以外は

  比較の対象にもならない事を知った上で比較検討してみれば、私の言葉で言うところの『観音への旅立ち』という

  当然といえば当然の『観音という心の郷里』への回帰する姿が観えてくる思いがする。

 

  彼の自伝には3歳からピアノを始め、音楽家として『音』の探究歴が綴られている中、私が特に注目したのは

  彼が高校生の時大いに傾倒したというジョン・ケージ(1912〜92)の影響があって、この本の最後のところに彼自身の言葉で

  『禅的なものと一周りして繋がっているのかもしれません』(p243)・・・との記述があることであった。

  何故ならジョン・ケージという人物は、鈴木大拙の『禅の講義』を直接聞くことで『禅』に多大の影響を受け、

  その後『現代音楽の革命家』と称される人物となっている。

        

  ポスター2枚 ↑ は、2017年に制作された、坂本龍一ドキュメンタリー映画『Coda(最終楽章)』(S.ノムラ・シブル監督)

 

  私はこの映画を昔観たが、このポスターをあらためて観るにつけ、今またこの自伝を読むことで確信するのは

   『音』を『観』る如き探究姿勢を生涯通してきた音楽家としての彼が到達せんとした『場』というものが、

  ただひたすら大樹に対峙し、『音』とは一切無縁に黙念と坐禅してきた私が、向かわずに到達していた『場』が

  同じ『観音』という『場』ではなかったか…ということなのである。

 

  そして今回あらためて解ったことは

  彼の華々しい30代と比べた時、私の30代は『マイナス』とも言うべき『何もしなかった時期』で、無駄であったか?

  と自問した時、私は初めて『坐禅』というものが『主語の無い、祈り』の行為そのもので、『衆生無辺誓願度』に直結する

  尊い行為であった・・・と、『坐禅』の奥の深いことを心に刻むことができたように思う。

  

  

  

  



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