拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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  馬の耳に念仏

2022年12月23日 | 東洋自分なり研究所

  『馬の耳に念仏』・・・ほぼ死語になりつつある(と、思われる)諺(ことわざ)
             意味は〜馬にありがたい念仏を聞かせても無駄である(大辞泉)とあり、

  昔日の仏教伝道師たちは、大衆の無関心ぶりを皮肉を込めて『馬の耳に念仏』とつぶやいたのであろうか。

 

  現代の僧侶たちは、社会生活のあまりの多様化に、一時はすっかり伝道をあきらめたかに見えたが、

  どっこいその複雑怪奇な多様性ゆえに、最近の傾向として逆に大衆の方から仏教を求める機運が高まっているようにも見える。

  『馬の耳に念仏』であった『念仏』もカリスマ風を装ったジジイやババアの口から発せられると、何やら有り難い気分になって

  全財産をその教団に投げ出す気分になる人間もいる、世の中だ。 

  それに乗じてあの手この手で『念仏』を披露する似非伝道師が増えるのだろうか?

 

  『念仏』を有り難い・・・と心の底から、思うようになるには、それなりの『仏縁』が必要であるが

  『仏縁』はその、ほんの入り口であって、その後にさらに『仏縁』が『起きあがる』・・・つまり『縁起』が

  自己の中に起きなければ、本当の有り難さは解らないのではないだろうか。

  『因』があって『果』がある・・・というような科学的な『縁起』の理解だけでは、『念仏』の有り難さなどわからないだろう。

 

     

        カモメには 念仏ならぬ 音はなし 施無畏の羽で 風と遊べば ・・・ 馬骨

  

  































































 

 

 

 

 

 

 

 



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